第5話 初デート③

「こういう時は……おかえりなさい、あなた」


「どういう時だよ。お邪魔します」


 そういう時は「おかえりなさいませ、ご主人様」か「おかえりなさい、お風呂にする? ご飯にする? それとも……」を言うべきとか思わなくもなかったりしないけど、そんなことはどうでもいい。


 デートをすることを了承して、その行き先を珠唯すいさんに丸投げした俺に拒否権なんてあるわけもなく、俺は珠唯さんの部屋に上がらせてもらった。


 外の古めかしさからは想像がつかないくらいに綺麗な内装で、住み心地は良さそうだ。


「あ、心配しなくても一人暮らしなので大丈夫ですよ?」


「何が大丈夫なのかわからないけど、一人暮らしだったんだ」


 珠唯さんはあんまり家のことを話さないから知らなかった。


 俺もほとんど一人暮らしみたいなものだから一緒だ。


「とりあえず手洗いうがいだけしましょ。洗面所はこちらでーす」


 珠唯さんはそう言うと、玄関を上がってすぐ左側の扉を開いて笑顔で俺を待っている。


 何がそんなに嬉しいの……


「あれ、そんなに視線逸らしてどうしたんですか?」


「わざとだろ?」


「えー、なんのことですかぁ?」


 珠唯さんがわざとらしく笑顔で言う。


 一瞬だけど視界に洗濯カゴにかかっているピンクの布地が見えた。


 大きさ的に多分珠唯さんの……


「悠仁さんのえっちー」


「お前それが言いたいが為に俺を呼んだろ」


「違いますよ。初デートをうちにしたのはちゃんとした理由があって、あれは悠夜さんの可愛い反応が見てると思ったからです」


「やっぱりわざとじゃねぇか」


「……えへっ」


 珠唯さんが首を傾げながらあざとく笑う。


 こんな顔をされて許さない男はいないだろう。


 いやまあ、男からしたら役得以外の何ものでもないのだけど。


「気が済んだならせめてしまって」


「別に悠夜さんなら見てもいいですよ?」


「俺を試すわけね。いいよ、見なければいいんだろ?」


 俺は左目を閉じながら洗面台に向かう。


 珠唯さんは見てもいいなんて言うけど、これで見たら『変態』のレッテルを貼られるであろう。


 さすがにそれは避けたい。


「ほんとにいいんですけど。でもそれが悠夜さんですよね」


「後で話があるから覚えとけよな?」


「はーい。私は悠夜さんとお話できるだけで嬉しいので忘れませーん」


 駄目だこの子は。


 怒る気を失せさせる天才のようで、全てを許せてしまう。


 いつか痛い目を見る前にどうにかしないといけない。


「ちなみに悠夜さんはどういう下着が好きですか?」


「あのね、俺が口に水を含んだタイミングで言って吹かせたかったのか知らないけど、ほんとにやめろ」


「だってコップあるのに使わない悠夜さんがわるい悪いです」


 明らかに普段から珠唯さんが使っているであろうコップがあるのはわかっていたが、そんなの使えるほど俺はとぼけても、肝も据わっていない。


「それに、いざって時の為に聞いておきたくて」


「からかわれ続けるのも癪に障るから、真面目に答える。君がそういうことをする相手として俺を選んだ前提で話をすると、俺は君が好きなんであって、下着が自分の趣味じゃなかったからって、今は蛙化って言うんだっけ? にはならないよ」


「それでも悠夜さんには好きな下着があるわけですよね?」


「ぶっちゃけると、俺は女子の下着とか詳しくないから好きなのとかは無い。あるとしたら……」


「したら?」


「好きな人が着てるやつ?」


 俺からしたら下着は下着でしかなく、服もだけどあんまり違いがわからない。


 今日は土曜日だから珠唯さんは私服だけど、似合っているのはわかっても、他の服を着ていても同じ感想になる。


 どうしても俺は、何を着るかよりも、誰が着るかになってしまう。


「女子からしたらこの答え嫌なんだよね?」


「そうですね。普通は好きな人が気に入ってくれるものを着たいものですから。でも、悠夜さんの場合って、好きな人が着てる服を好きになるってことですよね?」


「そうなるね」


 珠唯さんが顎に手を当てて何かを考えている。


 やっぱり可愛いつむじだ。


「また見ましたね?」


「渦巻いてるからかな? 吸い込まれるんだよ」


「つむじフェチですか? じゃなくて。ちなみに今の私の服は好きですか?」


 珠唯さんが両手を広げて俺に服を見せてくる。


 珠唯さんの服は、白のパーカーに下に黒のスウェットみたいなものを履いている。


「好きか嫌いかで言ったら好きかな。似合ってるし」


「わぁ、普通に嬉しいです! バイトにちゃんとした服を着ていくのは抵抗があるのでちょっと地味めなのを着てますけど、悠夜さんにそう言われるなら良かったです!」


「先に言っとくけど、君の言う『ちゃんとした服』ってのを見ても同じ反応だろうからね?」


 見る機会はないと思うけど、おそらくバイト以外で出かける時はもっとオシャレをしているのだろう。


 だけど俺はその珠唯さんを見ても「似合ってる」ぐらいの感想しか言えない自信がある。


「つまり今以上の反応を引き出せたら私の勝ちですね?」


「なんの勝負か知らないけど、そういうことにはなるのかな? 俺が知らないだけで好みの服とかあるかもだし」


「悠夜さんって、私と居る時は常に私を中心にして意識してるので、他の人とか見てないですもんね」


 珠唯さんがすごい嬉しそうな顔で言う。


 確かに俺は珠唯さんに何かあってはいけないからと、意識の中心に珠唯さんを置いている。


 それは珠唯さんに限った話ではないけど、話してる相手を意識の中心に置くのは当たり前ではないのだろうか。


「悠夜さんは絶対に浮気しないタイプですよね」


「俺を好きだなんて言う物好きはあなただけだからね」


「そんなことないですから。それはそれとして、自分が好かれないから浮気しないって発想できる時点で浮気しない人ですよね」


 まず前提として、俺を好きだなんて言う物好きは珠唯さんしかいないわけで、俺はそもそも好かれてもない相手と付き合うつもりはない。


 そして俺が珠唯さんと付き合ったとして、その後に俺を好きだとか言う人が現れても、既に珠唯さんという大切な人がいるのになんで他の人と浮気なんてしないといけないのか。


「これだけ好きだって言ってる私とも付き合ってくれない悠夜さんが、付き合ってる人がいるのに簡単になびくわけがないですよね」


「なんかすいません」


「別に責めてませんよ。私が急ぎすぎたのはありますし、それに……」


「それに?」


「今の悠夜さんが私だけを考えてくれてる状況が嬉しいんです」


 珠唯さんがはにかむように笑う。


 ほんとにこの子は……


「照れました?」


「照れてません」


「えー、でもほっぺた少し赤いですよー?」


「最近寒いから風邪かも? うつしたら悪いから今日はこの辺で……」


「帰っちゃうんですか……?」


 俺が冗談で帰ろうとしたら、珠唯さんに袖をつままれながら上目遣いで寂しそうに言われる。


 こんなの反則だ。


「照れましたよ」


「え? あ、か、可愛い人めー」


「無理やりからかわなくていいから。ちょうど鏡あるから君の方が何倍も可愛いところ自分で見なさい?」


 俺が鏡を指さすと、珠唯さんがチラッと今の自分を見て頬が赤かったのが一気に耳まで真っ赤になった。


 そして両手で自分の顔を隠してうずくまる。


 俺は可愛いつむじを眺めながら、手で扇いで自分の頬を冷ますのだった。

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