第24話 昔話
彼岸は鉄瓶の中の湯を、乾燥させた薬草の入った急須へと片腕で器用に注いで薬草茶を煎じてくれた。差し出された器の中にはやや深い緑色のお茶なのか何なのかよく分からない液体がなみなみと満たされている。
「引退してからはすることがなくなって暇でよ。次の担い手が決まるまでって約束で、今はこの庵を住処にしてるんだ。あの山は薬草もよく生えてるんで、療術に精通してない俺にはありがたい土地だよまったく」
「い、いただきます……うっ」
口に含んだ途端、渋みと酸味が同時に襲い掛かってきた。舌の先が麻痺したようにビリビリと痺れている。どうにか飲み下せたが、飲み込んで数分すると身体痛みや熱が和らいだ気がした。
「まあ気休めだな。ないよりはマシだろう……まったく、連中もひどいもんだ。自分たちの代わりに戦ったお前の手当も碌にしないまま追い出すなんてよ」
「……仕方ないよ、俺はそれだけのことをしたんだ。払﨑の人たちが、俺やケイのせいにしたいのも分かるよ。みんな、呪い刀の件で相当不安になってたんだって今なら分かる」
瞼を閉じると、プランのあの狂気に満ちた禍々しい顔が思い浮かぶ。
正直ゾッとしない光景だ……あんなものに、並みの人間が立ちはだかるのはきっと容易ではない。
恐ろしくて、足が竦むだろう。
人は弱い。だから、いつだって言い訳を探してしまう。言い訳をせず、あるがままを受け入れられるということは、それだけで強者だ。俺だって、ケイのことを言い訳にしてこうして痛い目を見ているというのに。
「あんたは、すごいな」
俺は片腕だけの戦士の姿を改めて見つめる。現役だった頃は、相当に腕の立つ剣士だったのだろう。引退してもなお、あれだけ動けるということは今も欠かさずに鍛錬を積んでいる証拠だ。
自分の責任を、筋を通すために。
彼岸は腕が喪失した肩先を撫でながら、一人呟く。
「何てことはないさ。ただ、そういう役回りが回ってきたってだけのこと、sれだけのことだ。呪い刀を抜けば、その瞬間からその人間の人生は災いの真っただ中に放り込まれる。俺は腕を失った代償に生き延びちまったが、大体の呪い刀の担い手の最期は見れたものじゃねぇ」
「それでも、あんたは」
呪い刀を抜いた。そこに、どんな覚悟があっただろう。どんな葛藤があったのだろう。
俺も、本当だったらそうなっていたのに。
俺が呪いに蝕まれてしまったから——
「お前がそんなツラする必要なんざこれっぽっちもねえさ。呪い刀の起源は江戸時代以前よりあると言われてはいるが、たくさんの人間がこの刀に関わって振り回されてきた。一族丸ごと滅んだって話もザラさ。字見の家も、その一つだったってだけのことだ」
大勢の中の一つ、果たしてそう考えたとして一体何の救いになるのだろう。
失われたものは、もう戻ってはこない。俺もまた、去る側だったはずがいつのまにか残された側になってしまった。
ふと、俺は思い出したように親父のことが脳裏に浮かんだ。
「な、なあ……ひょっとして、親父——字見灰治が今どこにいるか知ってるんじゃないのか、あんたなら」
「……お前は、本当にあの深い洞窟に閉じ込められていたんだな」
彼岸の声音は、どこか憐れみが籠っている響きがあった。パチパチと、火花が弾ける。部屋の中には、薬草の香りが未だ満ちていた。
不思議と、まだ少ししかいないのにこの場所がとても離れがたく感じ始めていた。
花夢里は消耗しているのか、自前の黒い毛皮の中でくるまってウトウトと舟をこいでいる。
「字見灰治は、もうこの世にはいない。字見の家と共に、死んだよ」
「……そっか」
不思議と、彼岸のその言葉に俺は驚かなかった。いや、むしろそれが当然だとさえ思ってしまう。
呪いが一族を襲った。
老いも若いも関係なく、残されたのは母と俺だけ。まあ、もしかすると他にもどこかに細々と続いている分家の人間が生き残っているかもしれないが、きっとそんな人間に俺は生涯見えることはないだろう。
そんな中で、呪いの真っただ中で呪い刀を抜いた親父が生き残っていたとは考えられなかった。むしろ、そんな背景があることを知っているはずの寛恕院とやらが親父の行方を掴めていなかったことに驚きさえ覚える。
「あんた、寛恕院には言わなかったのか?」
「俺も伝え聞いただけだったからな、証拠もないのに生きている死んでいると断言はできなかった。実際死んだのは、お前が投獄された後すぐの頃だろうな。その時もう既にあのバカ……灰治のガキの後釜だったからな。俺の血筋も、古くは呪い刀を担いでた経緯があったらしく話が回ってきたんだ。呪い刀の担い手は、さっきも言った通り急に空席になることが珍しくないからな。おまけに」
「まだ何かあるのかよ」
「呪い刀は、人を選ぶ。選ばれなかった人間は、どれだけ必死に力を込めても刀を抜くのは無理だ。逆に、選ばれた人間ってのは、抜かずとも抜けるのが触れた瞬間に分かる」
彼岸の言葉は、これ以上にない実感を伴った現実味を帯びていた。実際に呪い刀を握っていた当人の口から語るのだから、これ以上にない証言だろう。
親父や、あの張間象形もそうだったのだろう。
もはや言葉もなかった。分かっている、そんな気がしていたとどれだけ自分に言い聞かせたところであの洞窟から出て得られたものは何一つとしてない。自由を享受するためには、親父の所在を掴まなくてはいけないのに。
焼けついた肌が、ひどく痛む。
ここでボーっとしていても、時間は刻一刻と過ぎていく。親父が既に死んでいることが確定したとなれば、もはや俺を釈放する理由も寛恕院にはない。ケイもまた、追われる立場になってしまうだろう。いや、あの死にたがりの魔女であればむしろそれこそが本当の狙いだったと言われても納得してしまいそうだった。
生きる理由が、手の平からすり抜けていくようだった。
化生たちに囲まれ、死の恐怖を味わった。今こうして生きているのも、本当に偶然が重なっただけに過ぎない。
……結局俺は、死にたいと口にしても本当に死ぬことは嫌な臆病者だったということが身に染みただけ。
なんて、小さい命。
なんと、矮小な心。
「俺は、どうしたら——ッ!?」
激しい地鳴り、地響きと共に庵そのものが激しく揺れた。古い建物なのか、ギシギシと全体が音を立てて埃が舞う。
(地震——じゃない!?)
「花夢里!」
「ああ、なんてことっすか旦那! やばい、やばいっすよ!」
「な、なんだよ今の!?」
「――静嵐刀が、引き抜かれちまったっす!」
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