第25話 呪って、祟って、被って

 地響きはなおも短い間隔で庵を揺らす。まるで、大地そのものが胎動しているようなリズムにも似ていた。そのリズムは、人間の本能的な恐怖に——訴えてくる。

 

 なんだ、この妙な胸騒ぎは……。


 「ああ、もうだめだめだ! まずいっすよぉ旦那!?」

 「うるせぇ、術式に疎い俺でも分かる。この感覚、誰かあの山の頂上に踏み込みやがったな」

 「しかも、それだけじゃないみたいっすよ……!」

 彼岸は素早く身支度を済ませると、呪い刀の代わりに今の相棒である杖を片手に庵の外へ身を躍らせる。

 見つめる先、薄っすら夜が明け始める空には——

 「おいおい、なんだ……ありゃあ!?」

 彼岸は空を見上げて言葉を失っていた。俺も傷む身体を引きずりながら、先に外に出ていた花夢里に続く。

 同時に、俺も花夢里も彼岸と同じように天を見上げて言葉を失った。

 深月洞に十年閉じ込められ、その間に魑魅魍魎、怪物化け物と謳われる人間や人外は腐るほど見てきた。それなりに、得体の知れないものを見てきたという自負はある。

 だが、だがなんだ——あれは、あのは!?

 俺たちが見つめる先、件の呪い刀が次の担い手を静かに待ちわびている鎮護の山を覗き込むようにして巨大な、百足としか言い表しようのない化け物が空へと身をくねらせていた。その顔は、醜悪と言うべきなのか般若の姿を取っており、見ているだけでも精神が狂ってしまいそうな光景だった。


 ――とてもではないが、常人には耐えられる代物ではない。


 呪い刀の担い手、妖狐、そして魂を改竄された俺……この三人であっても、ようやくトントンだ。それでも、俺は今眼前に広がっている光景を直視しているだけで無意識に肉体が変化してしまいそうになる。

 言い難い恐怖に抗うために。

 妖狐である花夢里でさえも、異様な光景に全身を震わせていた。

 武者震い……って、わけでもないよな……。

 「へ、へへ……な、なあ旦那……俺、目がおかしくなったっすかね? 俺には、藤原の兄さんが射止めたような大百足が目の前に見えるんっすけど」

 「げ、幻覚じゃない……本当に、あんな化け物がこの世界に存在してるっていうのか!?」

 思わず言葉が震える。ケイを探すどころではない、あんな化け物が現れては今ここにいてもどうなるか分かったものではない。

 いや、それどころか——

 「誰だから知らねえが、呪い刀を抜きやがった……大地に直接封をしてたが呪いがあふれ出やがったな。ありゃあ、呪い刀が封じてる呪いそのものが形を取ったもんだろう」

 「あんなものを、呪い刀は抑え込んでたっていうのかよ!?」

 呪いを以て、呪いを制する。

 だが、あれはいくらなんでも。

 彼岸は歯ぎしりすると、大地を蹴った。長い戦いのさ中で、摩耗し老いさらばえた肉体に無理やり鞭を打つ。俺の目から見ても、彼岸があの大百足に一人抗するとは思えなかった。

 無謀と、そう言わざるを得ないのだろう。

 だが、身を退いてもなお次の担い手が現れるまで刀を見守ろうとしていた男の矜持がそこにはある。俺や、親父——今の時代に至るまでに倒れてきた数えきれない屍を踏み越えた者にしか分からない覚悟が彼岸の背中にはあった。

 「っ、待てよ!」

 気づけば俺も不格好な姿のまま駆け出していた。到底まだ、戦うには及ばないコンディション。肉体は未だに傷つき、変化もままならない。不完全に変化をしながら、俺は遠ざかっていく彼岸の背中を追いかけた。

 「……ああ、くそ。何してるんだか……本当に、二人とも命が惜しくないっすか!? ああ、やだやだ!」

 「……花夢里!」

 「乗ってくんなまし、若大将。俺だってね、本当は嫌っすよ。狐使いの荒い飼い主に、無理やり働かされてさぁ……でも、あんなデカブツ放っておいたらどうなるかわかりゃしないっす」

 花夢里は俺を背中に乗せると、大地を一層強く蹴った。肌に触れる妖狐の霊毛も、大気を震わせるほどの大地の息吹を受けて空気が弾けるような音と共に逆立っている。

 「……いいんっすか、こんなもんに首突っ込んで。呪い刀っていやぁ、日ノ本の国じゃあ一級の呪具じゃないっすか。あんたも、それに人生を狂わされてるクチだって聞いたっす。俺が言うのもなんっすけど、あんな怪物と正面から殴り合ったら普通に敵うわけがない」

 「ああ、そうだよ……」

 だったら、それが何だと言うのか。

 頭では、嫌というほど分かる。自らの魂の奥深く、根源ともいうべき深淵。その一番深くに根差している本能が、あれを明確な脅威だと認識している。いや、別にそれが特別な存在であろうとなかろうと、あんなものを見てまともに殴り合おうだなんて考えるやつの気が知れている。

 けれど、逃げ出すわけにはいかない。

 「待て、彼岸! 俺も、俺も——戦う!」

 駆ける彼岸は、大地を滑るように疾駆している。俺は花夢里の背中の上から、彼岸に向かって大声を張り上げた。

 俺の必死の形相に、彼岸も少し面食らった様子だった。当然と言えば当然だろう、病み上がりどころの話ではない。こんなボロボロの人間が、戦場に一人いたところで精々盾になるかどうかがいいところだ。

 「……守ってやれねえ、それでもいいなら命を投げ出せ」

 「……はっ、当たり前だ」

 不敵に笑ったつもりだった。自分でも、頬が引き攣っているのが分かる。恐ろしくて恐ろしくて、とてもではないけれど今からでもあんな化け物の前から回れ右して戻りたいくらいだ。

 だが、もう戻る場所なんてどこにもない。

 生きたければ、前に進む以外の選択肢は初めからそもそも存在していない。

 

 戦わなくては、生きているとは言えないのだから。


 

 

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