第23話 先人の言葉

 死んだら人はどこにいくのだろうと、幼心に夢想したことは何度もある。誰だって、一度と言わず二度三度と考えたことのある問答だろう。子供どころか、大人だってその問いについて考えだせば夜も寝れなくなってしまうに違いない。

 そも、死とは目覚めない眠りのようなものなのだろうか? 

 だが、目覚めない眠りというのは目覚めるからこそのものなのであって、何となくその表現は相応しくないように思えた。

 生きていると、ついぞ人は自分は死なないものだと考えてしまう。どちらかと言えば、自分以外の人間の方が先に死んでいく姿を見ることの方が多いのだから至極当然な考えだとも言えるが。

 けれど、人は——自分もまたいつか終わりゆく命なのだ。

 大半の人は、しかし生きているうちはそれを思うことは殆どないかもしれないが。

 

 病に冒される——。

 不慮の事故に見舞われる——。

 他人の悪意に晒される——。

 

 いずれかを以てして、人は終わりを迎える。ならば、せめてその終わりくらいは見れたものであった欲しいと願うのは、やはり人が人であるからなのだろうか。

 生まれは選べずとも、終わりは選ぶ努力はできるのだから。




 夢の中にいた。今は、自分が夢の中にいるのだと分かる。曖昧だが、しかしそれをはっきりと夢だと知覚できるからだ。

 川がせせらいでいる。春風は穏やかに肌を撫で、コンコンと流れる水はどこまでも注いでいるように見える。若草が、桜の花びらが清流に乗ってどこからともなく流れてきて、そして目の前を通り過ぎればあてどなく消えていった。

 川はどこから注いでいるのかも、どこに流れていっているのかも検討がつかない。そもそも、今の俺はそんな些末なことはどうでもいいと思っている。

 「……疲れた」

 何も考えたくなかった。「疲れた」と、そう口をついて出たのも仕方のないことだっただろう。

 全身という全身が、ひどくくたびれていた。身体は動くが、しかし今は身動き一つ取りたいと思えない。

 いずれ自分も老いれば、そう思うようになることが当たり前になるのだろうか。

 新緑の川べりの草原に、静かに腰を下ろす。どこか遠くで、弦を弾くような美しい音色が聞こえてきた。

 穏やかな場所、穏やかな時間——。

 (……ずっと、ここにいたい)

 そう思った時、不意に何かが肩に触れる。

 真っ白な手だった。



 パチパチと、火の粉が爆ぜる音で意識が水中から引き上げられるように戻ってくる。曖昧な意識は自分が生きているのか死んでいるのかさえも不確かに感じるが、仄かに香る薬草のような香りにどうやら自分はまだ生きているようだと確信を持たせてくれた。

 「……う、あ」

 上手く声が出せない。呻き声とも、何ともつかない音が喉からこぼれた。

 ズキズキと、痛みが全身を支配している。だが、焼け付くような痛みは随分と引いているように感じた。

 ……あくまで感じているだけであって、マシになっているわけではなさそうだが。

視線の先、見上げた天井は覚えがなかった。だが、少なくとも周囲に敵がいるような気配はない。

 身体を起こそうとしたが、やはり痛みのせいか思うように身体が動かせなかった。そういえば、深月洞に投獄されてしばらくの頃はこんな調子だったなんて思い出してしまう。今いる場所は、どうやら深月洞でないことだけは確かだが。

 「おう、目が覚めたか小僧」

 「……あ、んたは」

 「ふむ、声の調子から察するに喉も少し焼けてるな。まあ、あれだけ派手な自爆を晒したんだ。五体が無事なだけでも驚いたもんだ」

 「自爆……」

 薄っすらと記憶が蘇り始める。錆びついた頭の歯車がギシギシと音を立てながら噛み合っていく。同時に、声の主のこともどこかで見覚えがあった。

 (そうだ、プランが払﨑の屋敷に襲ってきた時に助太刀に来てくれた時に)

 掠れた声で、恩人の名を呼ぶ。

 「あんたは……雪暮、彼岸」

 「おう、そうともさ。かはは、よく覚えてたな」

 「いやいや、あんな颯爽と助太刀にきて名乗りを上げてくれたんなら誰だって旦那のことは覚えてくれてるっすよ」

 彼岸の声に相槌を打つように、もう一人の声が聞こえた。この声にもまた、覚えがあった。彼岸と共にいた優男で、確か名前は……花夢里だったか。

 「ええ、ええその通りっすよ。いやあ、旦那の名前は憶えられても俺のことを覚えてくれてる人間って意外といないんっすよねぇ。感激で涙が止まらないっすよ、ええ本当に」

 「どうして、俺はここに……」

 「俺の感激は全スルーっすか……いや、まあ全然いいんっすけどね。庵に戻ってから、うちの庵を囲ってる境界に変なものが引っかかったから彼岸の旦那が飛び出して行ったんっすよ。おかげで俺も一緒に出る羽目になったんっすけど……」

 「うるせぇ。居候なら家主の命令には口応えするんじゃねえよ」

 「やれやれ、狐使いの荒い旦那っすよ……」

 「狐?」

 「ああ、言ってなかったっすか? 俺こう見えても狐なんっすよ」

 ほらと言って、花夢里は黒い髪はぐしゃぐしゃとすると形のいい三角の耳が頭に生えていた。毛がフワフワしているのを見ていると、魔孤魅のことをどうしても思い出してしまう。

 見た目は完全に人の姿をしていたので、あの激しい戦闘の最中では完全に人間だと思い込んでいた。振る舞いも、姿かたちも人間の姿そのもの。

 「……そうか、幻術!」

 「へへ、その通りっすよ。幻術……はったりは俺たちの得意分野っす。あ、言っときますけど狸どもと一緒にしないでくださいよ? 俺たちはあんな不格好な連中とは違う気高い種族なんで」

 「お、おう」

 どうやら狸と狐の間には越えられない壁があるようだった。生憎と言うか、俺はまだ化け狸と呼ばれるような化生には出くわしたことはなかった。もし出会うことがあるなら、狐の話題は避けた方がいいのか。

 

 部屋の中はまるでタイムスリップしたかの様な古い建物の中だった。土間があり、居間の中央には囲炉裏がある。鉄瓶が火にかけられ、フツフツと蒸気を吐き出している。

 「俺は、どれくらい眠ってたんだ……」

 「二時間くらいってところか。ま、二時間程度しか寝てない割に回復は早そうで安心したぜ。若いのは無茶をする生き物だが、早死にされても寝ざめが悪い。もう夜が明け始めてる……化け物どもの時間もそろそろ仕舞いだな。あの得体の知れないやつが現れたもんで、今日は寝ずの番になっちまった」

 「おかげで俺も夜勤ですよ、ふわぁ……」

 花夢里はいつの間にか人の姿から狐の姿になっていた。曰く、人の姿でいるには妖力を四六時中維持しなくてはいけないため疲労が溜まっていくらしい。そう考えると、常時人の姿をしていた魔孤魅はやはり同じ狐であっても九尾クラスの大妖怪であるということのすごさをしみじみと感じる。

 少しだが眠ったおかげか、身体に力が戻っている。どうにか自力で起き上がることはできたが、流石にまだ立ち上がるまでにはいかなかった。

 (早く、ケイを探しにいかないと……)

 「喧嘩でもしたか」

 ドクンと、ずばり考えていたことを言い当てられて心臓が跳ね上がりそうになった。彼岸はゆるゆると煙管をくゆらせ、紫煙を吐き出していた。

 プカプカと、クラゲのような煙が宙を漂っている。

 自由で、自在に——思うがままに。

 「確か、銀髪の姉ちゃんがいただろう。ありゃお前のツレだったんだな、一人でぶっ倒れてたもんだから花夢里に探させたんだが見つからなかった。んで、女が男を置いて姿を消す時ってのは大体仲違いが相場だって決まってる」

 「……」

 何も言い返せなかった。まるで見ていたかのように状況を言い当てられ、俺は言い返そうとした言葉を呑み込む他なかった。

 (いやでも、あれはケイも悪かったし……)

 花夢里はニヤニヤと俺の方を丸くなりながら見ていた。フワフワした黒毛の尻尾を、ユラユラと揺らしている。なんだか、ずっと直視しているとそれこそ花夢里の幻術にかけられてしまいそうだ。

 「大方、払﨑の連中に追い出されたんだろう。山の方でも色々あったみたいだしな……まあ、その原因の7割くらいは俺にもあるわけだからあんまり強くは言えねぇが」

 「あの山、何かあるのか」

 「あるさ。今や、あの山自体が呪い刀の鞘みたいなもんだからな。山頂には、何重にも重ねて結界を張って『静嵐刀』が封じてある」

 俺は間の抜けた顔をしていた。結界の修復なんてものに付き合わされたはいいが、まさかあの山中……山頂に呪い刀が置かれていたとは。

 灯台下暗しなんてものではない、これでは道化どころか間抜けもいいところだ。

 花夢里は一層ニヤニヤした顔で、俺の顔をのぞき込んでいた。

 「あのツギハギの女も、それが分かってて払﨑の家にわざわざやってきたんっすよきっと。山に登るのは大変っすからね……俺みたいな取るに足らないような化生なんかうっかり山の中に入ろうものなら消し炭になっちまうっすよ」

 「それでか……てことは、ケイを誘いにきたのはついでだったんだ」

 「そんなところだろうな」

 彼岸は顎の無精ひげをさすりながら、杖を弄んでいた。一見すると普通の杖だったが、思えばあの杖一つで得体の知れないあの魔女を制圧していたのだからこの男も只者ではない。

 「あんた、一体何者なんだよ」

 「ん? 俺か……なんてことはない、ただの呪い刀の人柱さ。そのなり損ない、前任者ってだけだ」

 

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