第22話 あてどない道
無力な自分が忌々しかった。
もっと何か、掛けてやれるはずの言葉があったはずなのに。
ずっと、ケイに怒っていた。沸々と、腹の中で湧き上がる激情がある。魂の半分以上が化生であるからこそなのか、憎しみは嫌悪の感情は無意識に肉体を変化させてしまう。
だが、本当は分かっている……この怒り、感情の正体は。
自分に怒っている。
自分にいら立っている。
自分を許せないでいる。
自分が、自分であることをこの上なく嫌悪している。
ああ、本当に無様で情けない。みっともなく、この上なく救いようがない。
こんな自分でも、心のどこかであの華やかな魔女の何か助けになれるのではないかと思い上がっていたのではないか?
「本当に、笑えるよな……」
暗闇はどこまでも続いている。田んぼ道の真ん中を、あてどなく歩き続けるのは砂漠のど真ん中を彷徨っている気分だった。
ほのかに、身体に熱を感じる。あの案山子との激しい戦闘で負った傷が、今になってジクジクと熟んできていた。恐らくただの鎌ではなく、その刃には毒やそれに類する何かが纏わされていたのだろう。
一人になり、少し冷静になった今アドレナリンによる誤魔化しが効かなくなったのだ。
毒が隅々へと行き渡っていく、足どりは一層重くなり、ついには視界も朦朧とし始めた。幼い頃、まだ魂が完全な形ではなかった時代にはよく体調を崩していた。健康だった時期なんてなかったようにさえ思う。心技体とは良く言われるが、不完全な魂は肉体の強度さえも衰えさせてしまう。呪いの多くが、その心や魂だけでなく肉体さえも蝕んでしまうのと同じように。
「げほっ……がふっ……は、はは……」
乾いた笑いがこぼれる。ケイもいなくなった今、自分はどこへと向かえばいいのだろう。母が生きていることは確認できたが、あの状態の母を果たして正常に生きていると言っていいものなのか。
今戻ったところで、きっとまた取り乱してしまうことは想像に難くない。どころか、今度こそ彼女の精神は完全なまでに破壊し切ってしまう可能性だって考えられた。
暗闇の中で、俺は一人だった。
「……ちくしょう、ちくしょう! なんで、どうしてこうなるんだよ! 俺が、一体何をしたって言うんだ!」
足がもう進まない。
重力に引きずられるように、膝は大地へと縫い付けられた。
嗚咽のような叫びが、誰もいない暗闇の中へとこだまする。しかし、その叫びに答えてくれる声はなかった。ただ夜を愛する虫たちが、寂しく俺を嘲笑っているのか、慰めているように合唱を続けるばかり。
夜露で濡れた草花の上で、何度も何度も大地を殴りつける。手あたり次第に草をもぎ、引き裂き、契り、抉る。
何度も何度も、何度も何度も。
こんな感情は知らなかった。ただ時間ばかりが流れるあの牢獄の中では、決して知ることのない感情。
これを人は、悔しさと呼ぶのか。
ボウっと、人魂が闇の中で青白く浮かび上がった。ゾロゾロと、闇の中から人のような獣のような得体の知れない化け物たちが俺を遠目から伺っていたらしい。払﨑の土地を離れた今、ここは安全な場所ではない。
闇の薄くなった今の時代にあってもなお、こうした霊地へ霊場に近い大地には多くの化生たちが暮らしているんだ。
ギラギラと、闇の中で獲物を品定めする瞳がいくつも浮かんでいる。
「何だよ、俺のことを食おうってのか」
フラフラと身体を起こし、どうにか立ち上がる。全身くまなく痛みが走る。節々が痛み、呼吸は浅い。霊子も上手く練れず、妖力は体内を空回りするばかりで変化が安定しない。バチバチと、不規則に身体の周りでか細い電流が弾けるばかり。
肺から酸素が漏れ出すような音が口から溢れる。
「――――!」
甲高い声と共に、泥にまみれた人型の化生が俺の首を目がけて腕を伸ばした。本来であればそのくらいの攻撃を躱すことなど造作もないことだ。だが、今のコンディションではそれも難しい。意識と行動が、あまりにも乖離しすぎていた。
「お、おぉ、お……!」
「がっ、かはっ……」
夜、しかも深夜。化生は闇が深まるほどにその力を増す。とはいえ、この力の強さは異常だった。辛うじて抵抗してはいるが、ちょっとでも気を抜けば首がへし折られる。
「離し、やがれ!」
「ぎっ」
悲鳴を上げる暇も与えず、俺の足は泥の化生の腹を蹴り抜いた。いつもは大した集中もなく当たり前のようにできる変化も、今は全力を一瞬出すだけで精神力の全てが持って行かれる。
首の拘束から解放され、どうにか地面に足を着く。軽く触れてみるが、どうやら骨にも異常はなさそうだった。明るい場所で見ればきっと青痣……紅黒く変色した手の跡が残っていることだろう。
呼吸を整えようとするが、化生たちの波は俺を休ませてはくれなかった。鳳蝶や魔孤魅の鍛錬も中々キツイものだったが、実戦はさらにその上をいく。
(魔孤魅の小言も、実戦あってのものだったってわけか……)
鋭い羽根を持った昆虫の群れが俺を目がけて飛翔する。暗闇の中、しかも朦朧とする視界の中ではその全てを回避することは難しい。わき腹、肩、腕、足……次々と痛みが全身に作られていく。
「こん、の野郎がっ!!」
腕を、爪を手あたり次第に振り回す。正確に狙いをつけることは難しいが、大群で押し迫る中であれば一匹二匹くらいならば偶然に叩き落とすことは可能だ。勿論、全て防げないのであれば一匹二匹程度であれば仕留めたところで何も変わらないだろうが。
「ぎぎぎっ、ギチギチ」
「うっ、く、食ってるのか……!?」
叩き落とされた同胞を、妖虫たちは一匹足りとて無駄にしないようにと喰らっていた。群がった後には、その姿は初めからいなかったように消えている。
代わりに、妖虫たち一匹一匹の妖力は増加している。喰らった分が、そのまま力へと還元されているのだから当然かもしれないがこちらとしては気が滅入ることこの上ない。
「はぁ、はっ……ぜっ……この、野郎!」
本当は使いたくなかったが、背に腹は代えられない。腕と足の変化を解く――代わりに、妖力を別のベクトルへと変換してく。
チリチリと、沸き立つ熱で首筋の産毛が爆ぜる。
『よいか懸命、お主はまだこの術を多用してはならぬ。お主の為にも約束じゃ』
『……なんで?』
『やってみれば分かる。身体は何よりも正直じゃ』
辛うじて残った集中力をかき集める中、脳裏で魔孤魅の白々しい笑顔が蘇る。そういえば、あのいけ好かない狐は今ごろどこで何をしているのだろうか。
少しだけ、懐かしくなった。まだ分かれてそう経たないというのに。
ユラリと、真っ暗闇の中に光が生まれた。灼熱を帯びる焔は、周囲を一瞬だけ眩く照らし出した。
(全方位に、一瞬だけ広げる……!)
「焼け尽きろ……
眩い光が波のように広がる。一瞬の眩さは、しかし長くは保つはずもなかった。周囲10メートルほどが焼け焦げた焦土と化し、そこにいたはずの化生は大地に黒い影としてかろうじて痕跡を残した。勿論実体などは残っているはずもなく、どうにか焔を逃れた化生たちも冷めやらぬ熱気に狼狽えていた。
(所詮はこけおどしだ、手の内が知れたらこいつらはまた襲ってくる)
今は逃げるしかない、そう思って駆け出そうとする。だが、身体は自由を奪われた操り人形のように音を立ててその場に崩れ落ちた。
同時に——激しい代償が返ってくる。
「ぎっ、がっ、あっがぁぁぁぁっ!?」
熱い——
痛い——
苦しい——
必死になってもがくように呼吸をする。だが、どれだけ空気を吸い込もうとしても酸欠になったように呼吸が楽にならなかった。肉が焼け焦げた匂いは化生たちのものも含まれているだろうが、自らの身体もまたひどい火傷を負っている。グズグズと、肌が赤黒く焼け爛れていた。
ゴロゴロと、その場をみっともなくのたうち回る。不思議なもので、生物というものは痛みがマシにならないと分かっていてもこういう時はもがいてしまうものらしい。
化生たちが苦しんでいる俺の様子を窺いながら、次の手を考えているのだろう。俺が抵抗できないと分かれば、もう打つ手はない。
(——嫌だ、死にたく……ない)
苦しい、それも生きているからこそなのか。
死んでもいいと、あの牢獄の中では毎日のように考えていたんじゃないのか。今こそ、やっと死ねるんだぞ?
ああ、なんて醜悪な姿。死ぬことさえ——ままならない。
「が、がが、が……」
ユラリと、影が蠢いている。傘を被った屍は、ジリジリ一人俺へとにじり寄っていた。他の化生たちも遅れてなるものかと、一体また一体と俺へと距離を縮めてくる。警戒は当然だろうが、もう俺に尽くせる手立てはなかった。その警戒自体、丸っきり無意味なものだし、死が眼前に迫っている中であるならいっそ手早く殺してくれた方がずっと温情だ。
(いや、そもそも俺は咎人じゃないか)
罪人に、生易しい死に様など神は用意してくれるほど世界は優しくない。因果は巡り、犯した罪は自らの喉笛へと舞い戻ってくる。
例え、その罪が覚えなきものであったとしても。
意識が途切れていく。もう、きっと目覚めることはなかった。
(———ケイ)
薄れゆく意識の中、最後に思ったのは父でも母でもない。
あの魔女は、きっとこれからもどこかで死ねないと言いながら一人で亡霊のように彷徨いながら生きていくのだろう。
それを思うと、少しだけ心が痛んだ。
「……魔孤魅?」
一瞬、視界の端で狐火が踊った気がした——だが、それをもう確かめる術はない。
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