第21話 死してなお朽ちず

 プランが去ってから一時間ほど、すっかり深まった深夜であるというのにも関わらず払﨑家の人々は忙しなく庭や塀の周囲で動き回っていた。勿論後片付けをしているというのもあるが、その実態は敷地を覆う塀の境界——結界としての能力の修復作業がメインだった。

 境界術の大家である払﨑家の結界が侵されたということは、俺が考えている以上にナイーブなことらしい。作業をしている術師たちやそれに混ざって手伝いをしているひどりたち使用人たちもみな、その顔には未だに現実が信じられないと顔に書いてあった。

 そして今回一番の大怪我を負った祈は、麓の病院へと運ばれることとなった。花夢里の幻術で一旦は出血が止まってはいるものの、幻術の効果自体は永続的なものでもなく、むしろ深く傷を負って身動きができないからこそ効果を発揮しているのだそうだ。つまり、意識が回復して身動きができるようになれば自然と幻術の効果は切れてしまう。

 俺も復旧作業の協力を申し出たが、象形からはそれとなく断られてしまった。

 

 残った俺は、一時間前には静かに腰掛けていた縁側で作業の光景をぼんやりと見ていることしかできなかった。手伝おうかとも考えたが、払﨑の術師たちは明らかに俺とケイを警戒の眼差しで見ていたので、どうにも声をかけづらい。

 「……何で、こんなことになっちゃったんだろ」

 ポツリと、同じように縁側で腰かけていた拝のつぶやきがこぼれる。拝もまた、戦闘での負傷があったので額には包帯を巻いていた。傷は浅いが、目の前であれだけの大怪我を負った祈の姿を見ていたのだ……精神の傷は計り知れない。

 ゴロゴロ転がっている案山子の頭が、一つまた一つと片づけられていく。ケイ曰く、傀儡の魔術の一種らしい。山中にあった一体だけでも厄介だったが、あれだけの数をよく凌げたと思う。切り刻まれているとはいえ、魔力が通っているうちはそのまま無造作に廃棄することは危険なようで特別な焔で焚き上げる必要があるらしい。

 もっとも、今の状況ではそれもいつになるのか分かったものではないが。人手が足りないと言っていた祈の言葉に嘘はなく、現在この払﨑邸に詰めている術師たちの多くも土地の守護や呪い刀の事件の解決のために昼夜問わずに動き続けているらしい。それを思えば、厄介ごととしかいえないような事態を持ち込んだ俺やケイが睨まれるのも仕方のないことに思える。

 「まあ、蔑まれるのには慣れてるけどな……」

 「なんか言った?」

 「いや、なんでも。祈は、大丈夫かな」

 「思ったけど、あんたうちの姉さんに随分慣れ慣れしいよね」

 「え、だって拝とそんなに年齢変わらないんだろ?」

 「姉さんはもう25歳よ……」

 そうだったのか……見た目が拝とそう変わらないように見えたのでつい軽い口を聞いてしまっていた。とはいえ、見た目に引っ張られ過ぎたのかもしれないが今さら態度を改めようよあの人は気にしないような気がする。

 まあ、気がするだけだが。

 俺は今までの人生で、祈ほど表情に乏しい人間に出会ったことはない……悲しいかな。

 「姉さんがあんな奴に遅れを取るなんて思わなかった……姉さんはさ、次の払﨑家の当主になるんだよ。そんな姉さんが負けるところなんて、今まで見たことなかったのに」

 「拝……」

 優秀な姉、そんな言葉が祈にはピタリと整ったパズルのピースのようにハマる。感情が乏しいことはとかく、俺もケイも母さんの暮らしていたアパートでその才能は見せつけられている。いや、払﨑邸に来てからもずっとそうだったんだ。

 今なら、拝のあの動揺も理解できるような気がした。

 優秀な存在がいつも上にいるということは——きっと、思っているよりもずっと息苦しい。なまじ、名家大家と呼ばれる家に生まれてしまったが故にそれはきっとひとしおだろう。

 「拝はすごいな……俺にはきっと、耐えられない」

 「ひゃっ!? きゅ、急に何!? 褒めても、何も出ないわよ!」

 「いや、普通にすごいなって思ったんだよ……そんなに驚くか?」

 「……普通に、決まってるでしょ。あたしは、払﨑拝よ」

 拝はどこか遠くを見つめながら、そう口にした。静かな口調は、やはりどこか確信がないと自覚的な響きを含んでいるように感じた。

 俺もまた、自分の握った手を見つめる。

 自身がない。

 自信がない。

 そんな、洒落めいた共通項に一体どんな救いがあるというのか。実践の中で、俺も拝も祈や象形、ケイの足を引っ張ってばかりだった。動けず、ただその背中を見ているばかりで。

 

 悔しいと、生まれて初めてそう感じた。


 だが、静寂は長くは続かなかった。

 「いっ、てぇ!?」

 額に激痛が走る。一瞬またプランが現れたのかと思ったが、額を抑えると切ったのか血が滲んでいる。

 ふと足元に視線を堕とせば、額に当たったであろうと思われる血がついた石が転がっていた。

 「な、何!? また、あの女!?」

 「……お前らのせいだ」

 作業をしていた術師や使用人たちは作業の手を止めていた。ひどりが一人、肩を震わせながら俺を睨みつけている。その瞳には、憎悪の二文字が踊っていた。ギリギリと、その手には次なる礫が握られている。

 「みんな、おかしいでしょ!? 分からないの!? 払﨑家は、払﨑家は……守護において右に並び立つものなき名門なんですよ!?」

 「ひ、ひどり……落ち着け!」

 「これが冷静でいられますか! あの得体の知れない二人が払﨑の土地を踏んでからというもののおかしなことばかりじゃないですか! 結界は破られる、得体の知れない魔女はやってくる……おまけに、次期当主である祈お嬢様まであのように痛ましい傷を負ったのですよ!?」

 「ち、違う! あいつと俺たちは関係ない!」

 「違う? ならば、そこにいる女は何なのですか!? 魔女を名乗っているなら、あの継ぎ接ぎの化け物と同類なのでしょう!? それがどうして関係ないと言えるのですか」

 「そ、れは……」

 ひどりの言い分はあまりにももっともなものだった。俺は返す言葉もなく、ただ唇を噛み締めるしかなかった。

 「そうだよな……確かに」

 「聞けばあの少年、字見の隠し子らしいじゃないか」

 「どころか、最近まであの深月洞に投獄されてたって聞くぞ」

 ザワザワと、ひどりの叫びが中心になるように動揺が波紋のように広がっていく。払﨑の術師たちは俺が字見灰治の息子で、魂の改竄という大罪を犯した存在だと気づくなりみな戦闘態勢を取る者もいた。

 使用人たちもまた、ひどりに同じく手近な礫を拾い握り締めている。

 憎しみが、俺とケイを隙間なく射抜いていた。

 「ちょ、ちょっとみんな落ち着いてよ! こんな、こんな状況で身内で争ってどうするの!」

 「拝お嬢様、差し出がましい真似をお許しください。身内などとは、我々は到底この二人を受け入れることはできません。素性も不確かで、その上一人は未だ罪人の立場にある者を身内だとどうしていうことができるでしょうか……」

 「……いけ」

 「出て、いけ!」

 使用人の一人が放った石がケイのこめかみを直撃する。方々に尖った石だったが、しかし俺はケイが尋常ではないレベルの刃でなければ傷をつけられないことを知っている。それは投擲された小石であっても同じようで、ケイは多少身じろぎしたものの傷一つついていない。

 「化け物……」

 「ああ、なんて薄気味の悪い!」

 「去れ! 二度と払﨑の土地を踏むな!」

 「そうだそうだ、出ていけ!」

 夜の闇に、怒号が響く。もはやこの場所に、俺やケイの味方がいないことは明白だった。みっともなく、俺は拝に助けを求めるように視線を送ったが拝は視線を落とすばかりだった。

 ……拝が悪いわけじゃないよな。

 礫の雨の中、俺は痛みを噛み締めながらケイの前に立つ。ケイは虚ろな視線を彷徨わせていたが、俺は無理やり手を取るとそのまま引きずるように払﨑邸を後にした。俺たちが出ていく最後の最後まで、結局罵詈雑言の怨嗟は背中を刺し続けた。

 唯一、拝だけは俺たちを庇ってくれた。けれど、そんな拝の顔を最後に見ることも叶うことはなかった。

 本当に、逃げるように俺たちは屋敷を出た。




 屋敷を出たはいいが、そういえば母さんの住んでいるアパートとここはどのくらい離れているのだろうとふと思い立つ。

 「いや……」

 ケイと共に乗ってきた車に戻ることを考えたが、首を振る。

 ケイは払﨑邸を出てからは、どうにか自分の足で歩いていた。深夜も深夜だったが、魔に生きる二人にとってはむしろ闇の中は居心地が良い。

 温い泥に、ズブズブと浸っているようだった。そのうち、底の知れない沼は後戻りできないほどに沈んだ俺たちを容赦なく飲み込むのだろう。結局、親父探しは振り出しに戻ってしまった。

 ……どころか、状況は振りだしよりもひどいものかもしれない。仕方なく出たはいいものの、足取りは鉛のように重かった。

 「なあ、ケイ」

 俺は目の前を歩くケイの背中に声をかけた。ケイはフラフラと歩いていた足取りを止め、ぎこちなく俺の方へと振り返る。

 ひどい目をしていた。泣いているような、怯えているような目。あれほど、俺を洞穴の牢獄から連れ出した時には爛々と輝いていた瞳も今やくすんだ鏡のように濁っている風に見える。

 「……ワシのこと、じゃろ?」

 「プランが言ってたことは、本当なのか」

 俺の言葉に、ケイはしばし沈黙した。その沈黙は、あまりにも雄弁にそれが真実を物語っているように思えた。できれば、それは違うのだと告げて欲しかった。プランの、魔女お得意の戯言なのだと一蹴して欲しかったのに。

 ケイは結局、力なく頷いた。

 懐から柄のないナイフと取り出すと、バリンと音を立ててその刃を貪る。バキバキと、普通の人間がスナック菓子でも口にするように刃は細かく噛み砕かれて嚥下される。

常軌を逸した光景——ただの人間には、とても見えない。

 「誰だって、初めのうちは将来にどんな自分や状況が待ち受けているのか分からないものじゃ。魔術だって、最初のうちはただ純粋にワシやプラン、多くの魔女の仲間たちの好奇心を刺激して止まないものじゃった……」

 残った柄を、ケイは口元まで運んで止めた。しげしげと眺めた金属片を、懐に改めて仕舞う。

 「だが、お主が知っているかは分からぬが今の時代においてはすでに正体明らかになっているものの多くはワシの生まれた時代には得体の知れないものばかりじゃったよ。疫病、災害、呪い……魔術とは、ある種超自然的なものじゃからな。そして、そしてその得体の知れないものは目をつけられてしまった」

 「魔女狩り……」

 「凄惨なものじゃったよ、本当に見るに堪えないような非道が当たり前のように蔓延っていた。隣人が互いを疑い、時に自らを守るために親しい者でさえ告発した。ありもしない罪が素知らぬ顔でまかり通り、人々は何が正しいのかさえも分からずに毎日怯えて暮らしていた」

 ありもしない罪という言葉が、ズンと重くお腹に圧し掛かった気がした。思えば、俺があの洞窟に閉じ込められていたのも自ら与り知らぬ罪によるものではなかったか。

 ケイは目を伏せる。銀白のまつげに、うっすらと露が浮いていた。

 「まあ、本物の魔女にとってはいい迷惑じゃったがな……所詮魔女狩りとは言っても魔術を理解するワシらと魔術を恐れて挑んでくる兵隊たちには埋まらない溝があった。だが、魔女の命も永遠ではない。一人、また一人と老いさらばえ死んでいけば魔女の趨勢も傾いていく」

 「それで、魔女は姿を消したのか」

 「あるいはな。ワシもいずれそうなると思っていたが、ワシは魔術の神に嫌われていたのかもしれぬ。魔術にも様々あるが、ワシの扱う魔術は特殊なものじゃ。焔や風を自然から引き出すものではなく、自らを刃物という概念と同化させる魔術……結果として、ワシは自分よりもより優れた刃物でなくては死ぬことさえ敵わなくなった」

 「そんな、ことって……」

 死にたい、その言葉には一体どれほど願いが込められているのだろう。今目の前にいる女性は、見た目は二十代後半くらいの姿をしている。だが、心に降り積もった苦しみはそんな歳月ではないのだ。

 だが、だからといって……。

 「死にたいなんて、そんなのないだろ……俺には外の世界に出てみろとか言う癖に自分は死にたいから俺を利用したなんて……!」

 そんな、そんなことがまかり通っていいはずがない。

 俺自身はケイの言葉を信じて外の世界へと踏み出したというのに、肝心の引っ張り出した本人は自ら命を絶つための協力者として俺を選んだということじゃないか。

 「悪いとは思った……だが、言えなかった。お主の顔を始めて見た時、ワシはお主を外へと連れだしてやるべきだと本心から思ったのじゃよ。嘘ではない……まあ、今更信じてくれなどとは虫のいい話かもしれんがのう。ワシも長く生きたが、十年も幽閉された少年が外の世界を忌んだままに死ぬのはあまりにも不憫ではないか」

 「そんなこと言われて、許せるかよ……」

 ギリギリと、手の平が痛いほどに拳を握り込む。指先に、生暖かい血が触れた。頭の中は絡まった糸のように不明瞭で、最善が一体何なのかさえも分からない。

 こんな思いをするために——。

 「俺は、お前のおかげで生きるのも悪くないかって……やっと思えたのに! 俺を救って、救ったら救ったで自分は死ぬなんて許せるかよ!」

 「け、懸命……」

 ああ、頭が痛む。

 こんな難しいことを考えるのは、生まれて初めてだった。檻の中にいれば、こんなことを考えずに済んだのに。

 これも全て、全て——あの魔女が悪いのだ。

 「お前のことなんか、知るか……死にたいなら勝手に死んでくれよ。俺は、お前が死ぬために手は貸せない。頼まれたって、絶対に聞いてなんかやるもんか」

 「……そうか」

 ケイはそれだけ言うと、覚束ない足取りを再び前へと進め始めた。憔悴し切った横顔、一瞬だけ目が合うがもうその瞳が一体何を語っているのか読み取ることはできなかった。

 

 俺は憐れんでいるのだろうか、嫌悪しているのだろうか。

 俺もまた、何もケイの背中へと掛ける言葉はなかった。何か、もっと上手く言えることがあるんじゃないかと喉の下で感情が燻る。だが、燻るばかりの熱は言葉になることはついぞなかった。

 魔女は、一人プランのように闇の中へと溶けていった。


  

 

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