第10話 鉄の揺り籠
檻を出てから、どれくらいの時間が経過しただろう。俺の体内時計はあまり正確である自身がないのだが、日差しが少し西に寄り始めているのでもう数時間は経過したことになるのか。
「まあそう構えるな。気楽にいこうぞ」
と、ケイは車を運転しながら鼻歌交じりにそう零す。はじめのうちは一体どうやって移動するのかと考えていたが、よもやこんな現代的な方法で移動をすることになるとは。ケイの運転技術はそつがないもので、乗用車は軽やかな道路を進んでいく。まさか前後を走っている車も、今目の前や後ろを走っている車の運転手が魔女だとは思うまい。
魔女も車を運転する時代か……。
俺はなけなし記憶を手繰ると、やはりそこには箒で空を飛ぶ魔女の姿があった。が、隣にいる魔女は箒の一つとて携帯している様子はない。
これこそジェネレーションギャップというやつなのか。
ケイは俺の怪訝そうな視線に気づいてか、「箒で飛んでいた時代もあったのう」と零すのだった。となれば、やはりこれも時代の流れというやつなのか。
「逆に聞くが、今の時代に魔女が空を箒で飛んでいたらどうなると思う?」
「えっと……」
考えては見るものの、一般的な社会常識の更新が十年前で止まっているので大した想像ができなかった。せいぜい飛行機にぶつかる程度のことくらいは想像できたが、残念なことにケイには鼻で笑われてしまった。
「ったく、聞く相手間違えてるだろ……うっぷ……」
「おいおい、借り物の車なんじゃから吐いて汚してくれるなよ?」
「よ、酔ってないし……うっ」
助手席の窓を開け、遠くに視線を向ける。そういえばあまり車に乗っていた記憶がないが、どうやら俺は乗り物の類には弱いらしい。それとも乗りなれれば少しくらいはマシになるのだろうか。真っ青な顔色になりながら、俺はどうにか新鮮な空気を取り込んでいた。
「やれやれ、先が思いやられる……ほれ、口直しじゃ」
「あ、ああ……ありがとう」
見かねたケイが、何かを俺に手渡した。魔女と言えば薬学にも通じているのだったか。怪しげな薬を大釜で煮込んでいるイメージがある。酔い止めも作れるとは、流石は魔女だ。後ろ手にケイが手渡したものを受け取り、口元に運ぶ。すると「あ、すまん間違えた」とケイが慌てる。
「……って、これナイフじゃないか!?」
「すまんすまん、間違えた」
「間違えるか、普通……? どう見ても刃物だろ」
「いや、ワシにとっては間違いではないからの。ほれ」
言うが早いが、ケイは俺の手から渡されたナイフを口元に運ぶ。俺があっと言うよりも早く、ナイフの切っ先はケイの口の中へと吸い込まれるように入っていった。
「なっ、な、何して……!?」
「いっ……たいと、思ったか?」
車酔いなど一瞬でぶっ飛んでしまった。どうやって止血しようと血相を変えて考え始めると、パキンと乾いた音が車内に響く。
「ナイフが、折れて……こ、これも魔術か何かなのか?」
「遠からず近からずという感じじゃな。まあでも、ワシにとって食事であることは違いないというのは本当じゃよ」
ナイフって食べ物だったのか……苦いものが大人になれば食べられるようになると聞いたことはあるが、まさかナイフもそういうものだっとは。
パリパリと、それこそ食事をするようにケイの口の中で刃が砕かれていく。触れた感触は間違いなく金属のナイフそのもので、どこをどう見ても刃物だった。相変わらず前を見ながら運転したままだったが、俺は呆気に取られているばかりだった。どうして俺の周りにいる女性は癖が強いやつしかいないのだろうか……。
魔術素人の俺のリアクションが愉快だったのか、魔女はニヤニヤと笑っていた。
――刃製魔術。
ケイ曰く、刃の魔女と呼ばれるその所以。刃物が持つ能力を、自らの五体に宿らせる魔術。切る、裂く、割く、突き刺す、抉る、削る。それらの現象を、自分の身体で可能にすること……それが刃製魔術の本質だと言う。一見すれば、ひどく地味な魔術に思えるが。
「そなたの言うそんな地味な魔術で、ワシは魔女狩りを生き延びた」
ケイはそんな風に語った。後になって、魔女狩りというものについて俺は調べたが、なんてことはない。あれは地獄以上の生き地獄だったはずだ。誰も彼もが信じることはできず、身内であってもそれは例外ではない。
魔女であれば。
魔法使いであれば。
誰とも構わず、それを免罪符に殺し続けた。最初はささいなきっかけに過ぎなかったはずだろうに、結局人間はその道を進むことをやめられなかった。最後にはきっと誰も彼もがお互いさえも信じることはできなくなっただろう。
それはもう、戦争にだって等しい。魔女や魔法使いと殺し合うような人間がザラにいた時代に、そんな魔術だけで本当に生き残れるものなのだろうか。
……というかこの魔女、一体いくつなんだよ。
当初の疑問が再び頭をもたげる。魔女に読心術の心得はなかったのか、俺は内心で冷や汗をぬぐった。
「ククク、そう侮るものでもない。少なくとも、ワシの魔術はお前を牢の外に出すくらいのことはできるからのう」
それを言われると弱い、事実は事実だ。格子がスパッと、まるできゅうりよろしく断ち切られた瞬間を俺は目の当たりにしている。
「でもそれとナイフをおやつ代わりにしてるのにどんな理由があるんだ?」
「同化というやつじゃよ。刃製魔術に限らず、他のものが持っている性質を身体に宿らせるという魔術は他にもたくさんある。ワシはたまたま刃物を選んだが、刃を身体と同化させる方法の初歩は食べることか身体を傷つけることのどちらかじゃ」
「どっちも想像しただけで痛いな……」
「身体を傷つけるやり方は、これが結構時間がかかるものでな。要は、自分が刃物以上の切れ味を持つということを世界が誤解すればいいのだ。喰らうと言う行為は、刃を捕食するほど刃物より強いということの証明に他ならぬ。ま、屁理屈みたいなもんじゃがの」
「本当に屁理屈じゃないか……それにしたって、ケガとかしないのか?」
「普通にするぞ。始めたばかりの頃は毎日のように血を吐いておったわ」
その光景は本当にゾッとする。そりゃあナイフを毎日食べてれば内臓はズタズタになるだろう。場合によっては普通に失血死さえあり得る。魔術一つを取っても、それを獲得するというのは難儀なことだ。
「して、そなたはワシのことについて聞くが。ワシからもそなたのことについて知っておきたいことは山ほどある。相棒なら、それくらいは話てもらわねばな。そなたについては事前に色々調べたが、調べがついているのはせいぜい表面的な情報に過ぎぬ」
「俺のことって言っても、俺が話せるようなことはほとんどないぞ」
ケイはすでに俺が呪い刀に選ばれるために魂の改竄手術という禁忌を犯した人間だということを知っていた。ならば、俺について語ることはほとんどないように思える。俺自身が、それ以上のことを詳しくは分からないからだ。
自分の家のこと一つ取ったとしても、それは例外ではない。俺は字見懸命という名前だが、しかし字見家というものを語るにおいてはあまりにも必要な知識が不足しすぎている。それならまだしも、事前に色々と調べていたケイの方が詳しいくらいではないだろうか。
しかし、ケイは咀嚼していたナイフを呑み込むと続ける。
「そなたの能力についてだ。魂の改竄手術自体は成功しているのだろう。ならば、そなたは呪い刀を握ることは可能なはずじゃ」
「まあ確かに、それはそうかもしれないけどさ。でも結局俺は呪い刀を見ることなく牢に入れられたんだ。握れるかどうかは、今の俺には判断できない。大体、親父に会ったとしても親父は多分呪い刀を持ってないだろうしな」
「ふむ、それもそうじゃな……」
ケイはハンドルを緩やかに切りながら路線を変えていく。一体どこまで走るつもりなのだろうか。景色も最初のうちは大自然のただ中を走っていたが、今はもう大分街の中を走っている。繁華街とまでは言わないが、これが普通くらいの街並みなのだろうか。歩道を家族連れや、犬の散歩をしている人が歩いている。普通の人間、呪いや祟り、そういった世界とは無縁の人々。そんなものを、俺はしげしげと眺めるのは初めての経験だったかもしれない。
それからしばらく、車内は静寂に満たされた。俺もケイも、どちらも黙ったまま走行する車体の揺れに身を任せる。気が付けばすっかり車酔いも気にならなくなっていた。流れていく景色の中で、一人また一人と人間の姿が飛んでいくように後ろに流れていく。
不意に、俺は遠くの山を見ると魔孤魅の姿を思い出していた。あの妖狐は、果たして今どこで何をしているのだろうか。人の姿に化けて、悠々とどこかに紛れているのか。はたまた、この前言っていたように北海道を目指しているのか。まだ今日の出来事だというのに、ひどく懐かしさを覚える。チラと、横目でケイの方を見やる。ケイもまた、視線は目の前にあったがどこか心ここにあらずと言った風にハンドルを握っていた。ウィンドウに映る横顔は、一体何を思っているのだろう。
二人の化け物を乗せた車が進む先は、どこへ続くのか。
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