第9話 太陽の世界

 不思議なもので、最初は覚悟が必要だと思っていたその一歩はさして大した決意もなくあっさりと踏み出すことができた。実際のところ、葛藤がなかったわけではないのだが、そんな葛藤も今にしてみればなんと取るに足らないことだっただろうか。

 無駄に焦って、無駄に苦労して、無駄にから回して。

 「そんなもんじゃねぇの、人生なんてよ」

 鳳蝶は俺の心中を知ってか知らずしてか、トントンと自分の肩を相棒で叩きながら呟く。俺もまた、そんなことが言えてしまう鳳蝶にちょっとした意趣返しのつもりで尋ねてみた。

 「鳳蝶には、そういう経験があるのか」

 「鳳蝶さん、な。まったく、最後の最後まで行儀がよくねぇ。そんな経験なんざ、腐るほどあるさ。他人と関わりゃ、嫌でも味わう……まあ、最近の若いやつは無駄ってもんは嫌がるらしいがね」

 まるで自分が最近の若者ではないかのような言い草で鳳蝶は言った。自分だってまだまだ若いだろうに。まあ、その苦労の原因は今しがた悠々と目の前で脱獄を果たしたわけだが。鳳蝶の顔は清々したという気持ちと、これをお上からどう咎められるのか憂鬱だというの両方の気持ちが浮かんでいた。器用な顔をしているが、複雑な心中だろう。

 「ま、お前が気にすることじゃねーさ。どの道、いつかは暴れるだろうって寛恕院の連中も思ってたはずだ。そもそも、あんな怪物が十年大人しくしてただけでも奇跡みたいなもんだろ」

 「まったくじゃな、あんなものがいるなら先に言っておけ。うっかり洞窟をめちゃくちゃにして生き埋めになるところじゃったわ」

 「あのな……いや、もういいか。どの道終わったことだ。あんたらも、用件は今しがたすんだだろ。とっととどこへなりと出ていけばいいさ、ただし寛恕院の依頼は忘れるなよ。そしたら今度は二人仲良く牢屋入りだ」

 「ククク、そうはならんさ」

 鳳蝶は心底うんざりした顔をしていたが、手で追い払うような仕草をして踵を返し岩肌がむき出しになっている通路を歩いて行った。その背中を追うように、一体また一体と異形の怪物たちがついていく。

 「やれ気の強い女じゃな、ワシの若い頃を思い出す」

 「若い頃って……」

 俺はケイの顔をしげしげと眺める。皺ひとつなく、肌は瑞々しい。真っ白で触れれば吸い付いてしまいそうなほどの絹肌に、艶やかな銀の長髪。鳳蝶ほどでないにしても、スラっとした手足はしっかりと全身を支え、その双眸ははっきりと世界を見据えている。年齢に換算すれば、鳳蝶と同じくらいか下手をすれば俺より少し上程度に見えた。

 「レディに年齢の詮索は無粋じゃよ」

 と、白い歯を見せケイは笑った。しかしその瞳の奥には「あまり年齢には触れるな、いいな?」という威圧が込められているのを流石の俺も感じた。

 あれは本気の目だ……。

 これから相棒として共に任務をこなさなくてはいけない相手に、これ以上余計な軋轢を生むわけにもいかない。俺はそれ以上探るような顔はせず、歩き出したケイの背中を追いかけていった。



 牢獄の外に出るのは実に十年ぶりのことだった。外に出ると、太陽の日差しが目を焼いてくるようで、思わず目を細める。

 「あまり日差しに目を晒すな。今のお主は蝙蝠一歩手前じゃろうからな。うっかり日差しを見ようものなら目が焼き付くぞ」

 「あ、ああ」

 ケイの言葉通り、俺は頭を下げ極力日差しが目に入らないように努める。洞窟の外に出ると、視界開けたような気がした。勿論そんなものは錯覚に他ならないのだろうけれど、見上げれば天井はなくどこまでも高く空が広がっている。

 (そういえば、空ってこんなに青かったんだな)

 洞窟の中に満ちている蒼い光とは違い、空の青さはクリアなものだった。大きく息を吸えば、湿っぽくない空気が肺一杯に満ちていく。

 「こんなものを、俺は恐れてたんだろうか」

 「そうさな……」

 ポツリとこぼれる俺の言葉に、ケイは肯定とも否定とも言わずにただ相槌をするだけだった。

 きっと、そればかりは魔女であっても分からないのかもしれない。せめて、魔孤魅くらい世界を知るほどに生きていればああやって躊躇いなく外へと踏み出していけるのか。

 「それにしても、いいのか。実の父親じゃろう」

 「ん、ああ。親父のことか」

 いいか、悪いか。二者択一で言えば、悪いと言える。血を分けた肉親であったとしても、俺のされた仕打ちは自分で自分に同情してしまいそうなほどの仕打ち。呪い刀に選ばれるためとは言っても、それで投獄されていたのでは目も当てられない。結果として俺は十年牢に入る羽目になったし、恨んでいると言えば間違いなく恨みもある。

 だが、本当にそれだけなのだろうか。

 自分の胸に手を当てると、それだけではない感情がどこかに引っかかっているような感覚があった。恨みもつらみも、俺が抱くべき正当な感情だには違いない。それは同情なのか、あるいは同じく罪を被り投獄されたが故の仲間意識なのか。

 親と子だからなのか。

 「正直、今は良く分からない。十年の間、牢にいる間にそれについては何度も考えた。でも、答えは出てない。だから、多分」

 会えば、答えが出るような気がした。恨みで復讐するも、同情で手打ちにするも。それはきっと、俺にしかできないことだろうから。

 「そうか。なら、今はそれで充分じゃ」

 「分かった。それで、まずはどうするんだ。親父のいる牢獄には、見当でもついてるのか?」

 「ふうむ、それなんじゃがな」

 ケイは歯切れ悪そうな顔で手を顎に当てる。

 「そなたの父である字見灰治は現在その行方がどこにいるか分からぬのだ。本当であればこれは先に言っておくべきじゃったが、あの娘の前ではちと口に出すには憚られた」

 「んな!? それを最初に言っててくれよ! じゃあ俺……っていうか俺たちは、まずは親父がどこにいるかを探すところから始めないといけないのか!?」

 「そういうことになるな。何、じゃが安心するといい」

 「今の情報を聞いた上で、一体どこに安心できる要素があるんだよ……」

 「それはの」

 「……俺?」

 ケイはビシッと俺を指さす。

 「子であるそなたなら、きっと居場所が分かると踏んだのだ。最初のうちこそ、居場所を特定しからことに臨もうと思っていたが、そなたが処刑されるとあってはその時間も割くことができなんだ。さあ、字見灰治の居場所はどこじゃ!」

 ケイの言葉に、俺は頭を抱える。落ち着いた見た目の割に、結構出たとこ勝負で生きているなこの魔女!

 というか、魔女ならもっと色々人探しの魔術とか使えないのかよ。

 「使えなくはないが……ワシの魔術はあまり汎用性に富んでいるわけではないのでな」

 「それって、普通の魔女とは違うっていうことなのか?」

 そもそも、俺は普通の魔女がどんなものか知らないのだが。

 ケイは「そんなことでイチイチ目くじらを立てるな」と言いたげな顔をしていた。どうにか決心をして外に出たというのに、早くも暗雲が立ち込めてきたような気分になる。

 両肩が重い。これは多分、長い間の洞窟暮らしのせいではないだろう……。

 カラカラと笑うケイに、俺はため息を吐く他なかった。


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