第7話 近くて、遠い
「――分かった、お前の提案に乗る」
永遠に続くような沈黙を破り、俺は決断を口にした。緊張と恐ろしさで喉は乾き、呂律が上手く回っているのかも怪しい。
俺の決断に満足したのか、ケイは一際嬉しそうに破顔した。不思議なことに、この笑顔にはいやらしさだとか、駆け引きだとか、損得勘定みたいなものを感じなかった。俺が安堵しているように、彼女もまた何かホッとしたような……そんな笑顔だった。この笑顔のためなら、存外俺もこの決断をしたことは間違いではなかったと思えるような、そんな顔。
……気の迷いかもしれないが。
束の間の安堵感。しかし、それは本当に一瞬のことでしかなかった。いざ外に出ると決めれば、後に襲ってくるのはそれに見合う対価だ。よもやこんな地獄のような檻の外に出ることができるだけの交渉など、一体どんなものなのだろうか。にわかに身体が緊張してくる。心臓が耳のすぐそばで拍動しているような騒がしさ。
「一体俺は、何をすればいい。どうすれば、俺の罪は許されるんだ」
「何、簡単なことだ。そなたをここから連れ出すための条件としては、破格の条件と言える。何せ、この条件はそなたの為にあると言ってもいいからのう」
「俺の為?」
ケイは勿体ぶるような言い方をするが、残念ながら俺が有用性を示せるものなど思いつかない。せいぜい字見の人間だということと、もっと言うならば呪い刀に関してか。とは言っても、俺は肝心の呪い刀を握ったこともないのでこれは論外だろう。しかし、ケイが俺に告げた開放の条件は俺の予想の斜め上を行くものだった。
「
「……ッ!?」
その名前に、思わず心臓が跳ねる。知っているも何も、俺がこの牢獄に囚われることになった張本人だからだ。
字見灰治、本来であれば俺の先代の呪い刀使いになるはずだった男。つまり、俺の父親にあたる人物である。他人行儀なもの言いになってしまうが、しかし魂の改竄手術を俺に施した張本人であり、術師にとっての禁忌を犯した人そのもの。知っているどころの話ではなく、むしろ憎悪の対象と言ってもさしつかえないほどである。
だが、ここにきてなぜその名前が出るのか。
字見灰治はこの牢獄には囚われているかどうかさえも分からない。寛恕院の管轄する牢獄は日本の様々な場所にあり、とりわけ大きな霊地のある土地に点在しているのだと鳳蝶からは聞いている。
俺はてっきり、字見灰治について知っていることを洗いざらい吐けと言われるのだろうかと構えていたが、ケイは首を横に振った。
「これからそなたはワシと共に字見灰治の行方を追う。契約が結ばれた以上、もう後戻りはできぬぞ?」
「ちょっと待て、勝手に話を進めすぎだ。契約を結ぶなら、互いに立場は対等なはずだろう。質問の一つくらいさせてくれ、それでこそ対等な契約じゃないのか」
「ほう……?」
俺の言葉に、ケイは目を細めた。長いまつ毛が、どこか憂いを潜めているようだ。瞳の奥には、淡く期待の色が浮かんだようにも見えた。どこか人形めいた蒼い瞳に青白く光る光が映り込んでいる。
しかし、期待を持たされた割に、ケイの返答は肩透かしなものだった。
「意外に、そなた胆力があるな。ふふ、存外ワシもまだ見る目があったと見える。が、そなたの疑問に対してワシが今返せるものは――秘密じゃ」
「は、はあ!?」
「ひ・み・つ☆」
「ぐ、な……そんな、そんな風に可愛く言っても『はい、そうですか』ってなるか!」
「まあそうカッカするな、今はと言ったじゃろう。タイミングとは、魔術に限らず大事なエッセンスじゃよ。第一、今そなたがワシからその理由を聞いたところでおいそれと納得もできまい」
「ぐ……」
ケイの言葉はどこか俺の追求を煙に巻くようなもの言いだったが、立場としては俺の方が救済されている以上これ以上かける言葉もあるはずもない。納得したわけではないが、俺の個人的な感情の納得は現状棚上げするしかなかった。
ケイは言うだけ言うと、もうこの場に用はないのだと言わんばかりにすでに踵を返して外へと向かおうとしていた。今なら獄卒の化生たちも大人しくなっているだろうから外に出るのも容易い。
大体、処刑が決まっている以上俺も油を売っているわけにもいくまい。時期が不明瞭であるなら、それは長くも早くもなるということ。すぐに処刑はないだろうと高を括っていて、早速処刑しますとなってしまえば笑うに笑えたものではない。今すぐ行動を起こそうとするケイの姿勢に、俺は倣わなくてはいけないところだ。
『それでいいのか?』
牢から足を踏み出そうとする瞬間、鼓膜の奥でそんな声が響いた。俺の声のようでいて、聞いたことがないような声色。
……いや、決めたのだ。だって、だって。
誰だって、進んで死にたいとは思わないだろう。
『死ぬことよりも、恐ろしい世界にお前は自分から出ていけるのか?』
……黙れ。
『誰も! この十年の間、お前を迎えにこなかったような世界に!』
あああああああ! 消えろ、消えろ、消えろ!
瞼をギュッと閉じ、かぶりを振る――気が付けば足の筋肉に力入らない。この十年、こんな劣悪な環境の洞窟の中にであってさえろくに体調を崩したこともない身体が、寒気で震える。両腕で自らの身体から熱が逃げないように、身体を抱きしめる。信じられないほどの汗が額を流れて地面に滴っていった。
「どう、して……」
真っ青になった唇から精一杯振り絞って出た言葉は、十年の間ずっと誰かに聞いてほしい言葉だった。震える身体はついに、自らの重さを支えることができなくなり無様に地に膝をつくしかなかった。
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