第6話 伽藍の檻
張間家を指し、人は《攻めの張間》と呼んだと言う。武器の扱いに長け、またそれと組み合わせて術式を駆使する戦い方はまさしく攻めの張間の名に相応しい戦闘スタイルだ。寛恕院の歴史の中でもその名は古来より記されており、呪い刀の使い手も何代にも渡って役目を果たしていると言われている。
(だと言うのに……この有様だ)
鳳蝶はヒビの入った刃を一瞥したが、彼女もまた、もうこれ以上切り結ぶ気も失せたのか大人しく薙刀を仕舞った。看守長として正しい振る舞いとは言えないかもしれないが、この牢獄には俺や魔孤魅以外にも名の知れた囚人たちが収監されているので、これ以上大ごとになって困るのはやはり一方的に看守側の方である。
「高くつくぞ、この傷は」
「鈍らなのが悪い。負けて武装のせいにするなど、二流もいいところじゃ」
「……ふん」
薙刀を引き、鳳蝶はケイと距離を取って体勢を立て直す。だが、ケイの方はと言えばすでに戦う意志を放棄したのか、ダランと肩を落とした。
「デモンストレーションはこんなものでいいじゃろう。それとも、ワシの強さではこいつを連れ出すには力不足か?」
「……いい、分かった。これ以上暴れられたら、この洞窟が持たん」
「賢明じゃ」
鳳蝶は薙刀を労わるように持ち直し、壁際にもたれかかった。どうやらケイのことはお咎めなしということらしい。まあ、見ているだけでもあんな激しい戦いが続けばこんな狭い洞窟もただでは済まないだろう。生き埋めになりたくないのは、お互い様というところだ。
俺とて、寿命でくたばるのは構わないが苦しい思いをして死にたいと思うほどに希死念慮が強いわけではない。
「おい化け狐、どうしてお前首を突っ込んでこなかった」
「なんじゃ、助けて欲しかったのか」
「……いや、忘れろ。聞く相手を間違えた。まかり間違っても、お前にだけは助けを乞うなんざあり得ない」
「キヒヒヒ、可愛げがないのう」
確かに言われれば魔孤魅は今しがたずっと静観を貫いていた。愉快を愛するこの狐にとって、刺激をもたらすケイの存在はおもちゃのようなものだろうに。その魔孤魅をして大人しくしていたのだから、やはりこの魔女はに何かがあるのだろうか。
それこそ、呪い刀のような何かが。
「それじゃ開けるから離れてろよ」
「いや、まだ心の準備がっ」
俺が言い終えるよりも早く、今度は目の前の格子が鋭利な刃物で両断されたかのように斜めに筋が走り、そしてけたたましい音を立てて地面に転がった。恐らくだが、この牢獄の格子はただの格子ではない。見てくれこそ、どこにでもあるような牢獄に使われる円柱状の金属だが、その材質は化生が反応するような仕掛けがしてあるだとか、あるいは囚人がおいそれと脱獄できないように強度が尋常ではないだとか……とにかく普通ではないはずだ。
それは、こうも容易く。しかも、やはり彼女は何か刃物を携帯しているようには見えなかった。今の一瞬で、目を凝らしては見たがやはり何も彼女は振るったりしていない。
ただ、《切られた、切った》という現象が生じただけ。
「さて、それでは行こうか。外に出るのは久しぶりか?」
ケイは俺の意見など全く聞く耳を持っているようではなかった。牢獄の中で佇む俺に手を差し伸べ、外へと誘おうとする。
俺もまた、その手を取ろうとおずおずと手を伸ばす。だが、ピタリと伸ばしかけた手は途中で止まってしまった。
「……ダメだ、やっぱり俺は出られない」
脳裏を恐怖が過る。字見の親族たち、誰も迎えにこなかった十年、父と母の顔……。そのどれもが、外は恐ろしいという感情の根源にあった。伸ばしかけた手が竦んだのも、足が固まるのも全て。
よほど俺の顔色が悪かったのか、ケイは片目を吊り上げる。
「……なるほどな。この十年は、よほど酷いものだったか。まあ、ワシも同じように十年繋がれればうんざりするだろうよ。ま、そっちのモンスターほど我慢強くはない」
「悪い、俺に何の用があってここまで来たのか知らないけど……他のヤツを当たってくれ」
踵を返し、俺はただ俯くことしかできなかった。こんな、外に出るチャンスは今後二度はやっては来ないだろう。手を握れなかったのは、己の弱さ以外にはない。
俺はこの十年で、何も成長していない。
なんて、滑稽なのだろう。
「はあ、自己憐憫は結構だが……そなた、自分がこれから死ぬと分かっていてもそのまま檻の中で死ぬのを待つだけなのか」
「……何が言いたい」
「おい、看守長の娘」
ケイが視線をやると、鳳蝶の顔には嫌悪の色が浮かんでいた。薄々思っていたが、この魔女は魔孤魅と同じ類の性質を持っているようだ。それで言うならば、鳳蝶が嫌な顔をするのも頷ける。そもそも殴り合いで負かされて鳳蝶がいい顔をするなんてことはおよそあり得ないだろう。
恐ろしく負けず嫌いなのだ、この人。
ケイの視線に根負けしたのか、鳳蝶は重たい口を開いた。できるならば静観していたかったのだろうが。
「字見、お前の処刑が近づいている。これはほとんど決定事項だ」
「な、ちょ、ちょっと待ってくれ!? 俺は、無期限投獄だったんじゃないのか……!」
「上が決めたことだ、アタシには口出しすることはできん。寛恕院の上層部が決定したことなら、時期が不明確だったとしても間違いなく断行されるはず」
「そん、な……」
目の前が真っ暗になる。宙をただよう青白い光も、今は俺の視界を明るくすることはかなわなかった。
処刑、処刑、処刑。
その三文字が延々と頭の中で踊り続ける。細い道を歩き、底なし沼のような闇へと引きずり込まれる幻影を見る。
「そんな……」
どうして、今になって。十年の間、処刑されるなんて話は一度もなかったはずだ。鳳蝶は看守長とは言え、そんなことをずっと黙っているような人間でもない。大体、魂の改竄という罪は――それほどのものなのか?
頭を抱える俺に、しかし魔女は冷たく続ける。
「字見懸命、そなたが今生き永らえる方法は二つじゃ。一つはここを力づくで脱獄する方法。ただし、この手段を取ればそなたは生涯を追いかけられる人生になるじゃろう。そしてもう一つの方法――このワシに協力することじゃ」
「……お前に協力すれば、俺は助かるのか?」
「保証はしかねるがな。助かるかどうかは、そなたの努力次第じゃ。もっとも、前者の方法に比べれば相当に分のいい賭けではあるじゃろう」
「鳳蝶は、それでいいのか」
鳳蝶に水を向けると、彼女は渋々と言った顔で肩を竦めた。何だか今日の彼女は随分とくたびれているように見える。看守長という業務の過酷さ、苛烈さを感じざるを得ない……。
「仕方がない、司法取引ってやつだ。さっきは好き勝手しようとしたから止めようとしたが、大人しく最初の話の通りにお前を連れていくならああも派手な真似をする必要もなかった。誰かさんのおかげで、アタシの相棒もひどい目に遭ったしな。まったく、本家に頭を下げるのはアタシなんだぞ」
「ま、そういうことじゃな。勿論決定権はそなたにある、よくよく考えて……と、言いたいところじゃがそうもいかん。ことは急ぎでな、今この瞬間に腹を決めてもらわねばならん。ワシもこれで多忙な身でな」
どうする、と。ケイはさらに一歩、歩み寄る。だが、それ以上は近づこうとはしなかった。これが俺に示せる最大の譲歩なのだと、暗に語っているようでもあった。
俺は、どうすればいい。
どうすれば、いいんだ……。
時間は刻一刻と流れていく。この死にたいわけではない、しかしこの世界に未練があるかと言われれば――
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