第5話 字見懸命という個人

 檻の外の世界について、思いを馳せたことがないわけではない。魔孤魅や鳳蝶に外の世界にはこんなものがあるのだと聞かされる度に、それが実際にどんなものなのだろうかと想像した時だけ、俺の心はこの牢の外に出ることができた。

 けれど、この自由にはただし書きがついてくる。俺自身が、俺のために外に出ようとすると途端にまたこの牢獄の中へと逆戻りだ。


 イメージができない――自分の為に外に出るということが。


 誰一人、俺を迎えに来ない外の世界が恐ろしかった。

 俺を拒絶する外の世界が恐ろしかった。

 自分が自分だと証明するもののない世界が――何より恐ろしい。

 

 

 

 「というわけじゃから、コイツ連れていくぞ」

 「なっ、な、な……」

 ケイの言葉に、俺は二の句が継げなかった。ただただパクパク口をさせるばかりで、論理的な言葉など全く出てこない。魔孤魅も鳳蝶も呆気に取られているのか、揃いも揃って目を点にしていた。当の魔女本人は自分が何を言っているか分かっているのか分かっていないのか、天真爛漫な笑顔を浮かべていた。

 そういや、この牢獄でこんなにいい笑顔をしているヤツは初めて見るな……。

 思えばこんな辛気臭い場所で底抜けの笑顔ほど不釣り合いな光景もない。初めて見た天真爛漫な笑顔が、こんな得体の知れない魔女を名乗る女だとは思いもしなかった。

 ようやく意識が追い付いたのか、鳳蝶は薙刀をグルンと一回転させてケイに突き付ける。

 「おい、本気で言っているのか。コイツは禁忌を犯した大罪人だぞ。確かに話しはしたが、コイツを外に連れ出して何かあればお前は責任を取れるのか」

 鬼も裸足で逃げださんばかりの形相に、思わず俺もたじろぐ。九本の尾は油断なく魔女を狙っているが、魔孤魅は何を思ってか分からないが、ただただ檻の中で沈黙を続けていた。

 一方、切っ先を向けられてもなお魔女は飄々とした態度を崩そうともしなかった。狼狽える様子はなく、むしろ涼し気なほほ笑みを湛えている。

 「責任か……責任ね」

 チラと俺の方に視線を寄越すケイ。その表情、視線には果たして一体どういう思惑があるのかは読み取ることができない。ただ、不思議とその瞳の奥に宿っている意志には確固たるものがあるように感じた。まあ、実際そうでもなければこんな辛気臭い場所に好き好んで足を運んだりはしないか。

 ケイは何を思ったのか、俺の牢の格子に手を触れる。が、それはこの牢獄ではやってはいけない行為。

 「おや」

 気の抜けた声、だが状況は彼女の声音以上に逼迫している。鳳蝶は咄嗟に胸元に手を伸ばし、化生共を縛る音を奏でる笛を掴む。

 (間に合わない!)

 徘徊していた化生たちが、得物を見つけて飛び掛かってくる。この監獄において、看守以外が迂闊に牢には触れてはいけないのだ。姿形様々、まるで妖怪の見本市のように様々な化生たちがケイへと襲い掛かる。

 人間の上半身に蜘蛛の足をくっつけたような化生のするどい爪がケイへと襲い来る。さらにコンマ数秒遅れ、骸の武者が切れ味の悪い刀を振りかざし踏み込んできた、二刀振りかざした線上にはケイの首が置かれている。俺は咄嗟に目を瞑ったが、しかしどれだけ待っても嫌な音一つ響くことはなかった。

 恐る恐る目を開ける――そこには。

 「ははは、こいつはなかなか賑やかな歓迎じゃ。日本には長いこと居るが、この国の怪物たちにこうも出くわしたことはない。懐かしきヨーロッパの怪物どもには劣ると思ったが、なかなかどうして――ユニークな姿じゃ」

 薄っすら開ける視界の中、その姿は、

 息一つ乱れていない、足の先から髪の先まで直前の姿のまま。唯一違う点は……化生たち、妖怪たちが細切れになって彼女の周囲に肉塊の輪を作っていることだった。

 呆気に取られる俺を他所に、ケイはカラカラと笑う。

 「責任とは言うが、これくらいできれば責任は取れそうかの看守長?」

 「まったく、仕事を増やしてくれやがって。ただ交渉するだけのつもりなら大人しく看過してやろうと思っていたのに、こいつはもう見逃せねぇ。数日拘留は覚悟しな」

 「やれまいった、こいつは余計なことをしてしまったか」

 かぶり直した帽子の端を抑え、ケイは苦笑する。鳳蝶の凄みに全く臆さない彼女の強さは、一体どこからくるのか。

 それとも、魔女とはそういう生き物なのか。

 「悪く思うなよ、こっちは仕事なんだ」

 流れるように鳳蝶は薙刀を構える。長い手足と、薙刀が一体となった動きは最早素人目には追うことも難しい。先にケイが細切れにした化生たちを見ていたこともあってか、鳳蝶は一瞬で決着をつけようとしているようだった。その攻撃の軌跡は、狙いすまして急所を狙っている。

 だが――

 「なっ……!?」

 「どうした、何かあったか?」

 鳳蝶の動きが止まる。それこそ、何か見えない糸に引っ張られているように。俺も、魔孤魅も傍目には何が起こっているのか理解ができなかった。現象を目の前にして、脳がそれを理解することができない。

 

 


 血の一滴も流れず、刃はめり込むこともなくただそこにあった。鳳蝶の動きを見ても、彼女は薙刀を振りぬこうとしているのが分かる。

 けれど、刃は微動だにしない。

 「何、で」

 「はふう……ちょっとは期待したつもりだったんじゃがな」

 ケイが指先で刃に触れると、大して力も入れているようには見えないのに刃に蜘蛛の巣状にヒビが走る。鳳蝶の使っている薙刀は、元は張間の家から持ち出している武装なはずだ。早々に、つまんだ程度でヒビが入るようでは到底看守長の得物は務まらないだろう。

 なら、常軌を逸しているのは魔女の方。

 ケイは大して勝ち誇った様子もなく、ただ淡々と告げる。

 「ワシの名はケイ、海の向こうではこう呼ばれておった。人呼んで――《刃の魔女》と」



 

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