第4話 刃の魔女

 夢を見る。長い間牢に繋がれていると、夢の内容は似たようなものばかりになっていく。魔孤魅曰く、夢とは人間の脳が記憶を整理する作業の副産物なのだと言う。妖術呪術、あるいは西方の魔術においては夢は占術とも深い関わりがあるのだというが、生憎術師としての知識は皆無なため夢がどうだったところで俺はそれを有効に活用することはできない。さりとて、日々の変化に乏しい生活を十年続けていれば、なるほど確かに見る夢の中身も似たり寄ったりになろうというものだった。

 けれど、その夢は同じであっても何かが違う。

 一振りの刀が、そこにはあった。その刀は、俺が幼少の頃に見た祖父の握っていた刀。言わずとも分かる、呪い刀である。

 その刀は、鞘の中に納まったまま空中に佇んでいる。嵐が吹きすさぶ中、刃が引き抜かれることはなく、俺が夢の中でもがいても鞘を抜けた試しは一度もなかった。ただ、そこに刀はあるだけで刀身を垣間見たことはついぞなかった。


 単に、俺が刀の姿形を――忘れているだけなせいか。


 一体何を、俺の記憶は伝えようとしているのだろうか。その日の夢もまた、いつしか眠りの底から意識を引き上げられるように冷めていった。いつものように、一片のもどかしさを残しながら。




 不思議なもので、人間の体内時計は随分と優秀だ。時計がなくとも、俺の身体は自然と決まった時間帯に目が覚める。いや、覚めてしまうというべきか。看守の見回りのタイミングもあるが、眠っているとドヤしてくるやつがいるせいだ。まあ、大体は鳳蝶なのだが。

 「……朝か」

 洞穴の中では昼も夜も関係ない。目が覚めれば、その瞬間が朝なのだ。

 独房の中には板張りの床があるばかりで、周囲はそのまま洞窟のむき出しの岩肌になっている。最低限床だけは気を遣ってはあるが、直接この板張りの上で寝起きすれば必然として身体があちらこちら痛くなる。慣れたとはいえ、こんな環境で十年も寝起きしているという事実に正気を疑いたくなるところだ。

 いつものようにぼんやりとした頭のまま、魔孤魅の閉じ込められている独房を見ると魔孤魅は珍しく座ったまま目を閉じていた。九本ある尾が、その身体の周囲を取り巻くように鎮座している。

 魔孤魅も眠る時は普通に横になっているはずだが……今日は一体どうしたのだろうか。まさか、あんな体勢のまま眠っているとは思えないが。

 俺は恐る恐る起き出すと、魔孤魅に向かって軽く手を振る。

 「……」

 反応はなかった。しかし、うつらうつらと眠っているわけではないようで、姿勢は一向に崩れることもない。

 意を決し、俺は魔孤魅に声をかける。

 「おーい、魔孤魅。起きてるか」

 「……」

 「魔孤魅ー」

 「……」

 「狐のばーちゃーん」

 「お姉さんじゃ!わっちはお姉さんなんじゃ!」

 「そこは反応するのかよ!?」

 とんだ理不尽を被ってしまったが、魔孤魅は眠っていたわけではなかったらしい。気が立っているのか九本の尾は、その毛の一本一本までが針のように逆立っていた。決して俺が魔孤魅のことをおばちゃん呼ばわりしたことが原因ではないと信じたい。

 「な、なあ魔孤魅、何かあったのか。その……寝てなかったみたいだし」

 「ん……ああ、何やら今日は妙な気配を感じてな。少しばかり、気配の元を探っておったところよ。心配させて悪かったな」

 「ふうん、妙な気配ね……」

 気配と言えばこの洞窟の中はそもそもが妙な気配だらけだ。獄卒として徘徊している化生たちもそうだし、収監されている囚人たちも化け物ばかり。そう考えると妙な気配だらけだと言ってしまえば身も蓋もない。

 「まあ、わっちの気のせいかもしれぬがな……キヒヒヒ」

 「気のせいではないぞ、日の国の大妖怪よ」

 「ッ……!?」

 途端、聞きなれぬ声が現れる。まさに突然現れたような声に、俺は聞き覚えがなかった。魔孤魅は一斉に九本の尾を構え、狐火を浮かべる。俺もまた立ち上がり、全身に力を込めた。手指を振るい、大爪は抜かりなく研ぎ澄ます。

 覚えがないような緊張感に、洞穴の中は息苦しいまでの沈黙に包まれた。実際それは刹那のことだったのか、俺や魔孤魅が突如現れた謎の女性に向かって臨戦態勢を取っている間に遠くからバタバタと足音が近づいてくる。普段は気配を殺したような足運びをしているはずだが、今に限っては相当に息せき切ってやってきたということがありありと伝わる。

 「っ、ぜぇ、はあ……おい、魔女! 何勝手に歩き回ってやがる! 看守の帯同なしに歩き回るなと言っただろ!」

 「うん、なんじゃ。ようやく追いついたか、すまぬすまぬ。置いていくつもりはなかったのじゃが、ちゃんとひとこと言ったはずじゃが。《先に行くぞ》、とな」

 「っ、く……はぁ、そういうこと、じゃ、ねぇ……」

 「あ、鳳蝶……」

 肩で息をする鳳蝶の姿を見るのは初めてだった。魔孤魅と煽り合っている姿は幾度となく見たし、それ以外であれば看守長としてこの監獄においては絶対的な存在だったはずだ。

 だが、その鳳蝶をしてここまで疲弊させるほどの人間……いや、本当にこの女は人間なのか。魔孤魅と同じように、人の姿をしているだけの化生なのか。

 訝しむ俺の視線に、魔女と呼ばれた女はヒョイと肩を竦めた。

 「ま、警戒されて当然よな。うぬはともかく、こっちの妖怪は特にが見えているな? まあ隠すつもりもないし、知れたところでどうということはない。むしろ、気にすべきはそっちの小僧だな」

 (中身? 一体何のことだ?)

 俺の疑念を他所に、魔女はおもむろに牢の前を歩き始める。つかみどころのないその振る舞いに、俺も魔孤魅も鳳蝶もどう扱えばいいのか分からない。ただ一つ言えることは、迂闊に手を出すことはできないということだけ。

 そしてしばし牢の作りやらなんやらと観察していた魔女はピタリと格子を挟み、俺の目の前で立ち止まる。

 視線が――交錯する。それは数秒のことにも、あるいは数時間……永遠にさえ感じるような時。気が遠くなるような時間を数秒のうちに体感したと思えば、魔女は被っていた帽子を脱ぎ、サラリと流れる銀色の髪を晒した。帽子の影になっていたが、青白い明かりに照らされたその顔立ちはこの国の女性のものではない。語彙の乏しい俺では、到底語り尽くすことのできないその面立ちを形容するなら――まるで満ち足りた月の美しさを見ているように思えた。

 同じくしげしげと俺の顔を見ていた魔女はパチンと胸の前で手を合わせる。

 「うん、なるほど。悪くない――おぬし、ワシと一緒に行くぞ」

 「……は?」


 出会いというものは、いつだってお膳立てされたものではない。曲がり角で出会い頭にぶつかるように、予想ができないものの大半を人は巡り合いと呼ぶ。そしてまた、この日のように突如として何の前触れもなく現れた魔女――後にケイと名乗るこの異邦の魔女と俺は、こうして出会ったのだった。

 

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詠み人知らずの呪い詩~歪な魂の在り処と異邦の魔女~ 椎名千紗穂 @chisaho_s

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