第3話 勤勉な看守長

 厳かな洞窟の中に、カツンカツンと一際響く音が聞こえてくる。魔孤魅と無駄口をしばし叩いている間に、その音の主はいつの間にか俺と魔孤魅の入っている独房の傍まで来ていた。

 「おい、そこの二人。無駄口を叩くな……懲罰房送りは嫌だろう?」

 四面四角、声音からいかにも厳格な性格が伝わってくるような話し方。俺はおずおずと顔を上げると、そこにはニヤっと笑う女性が一人佇んでいた。片手には、先端が洞窟の中を照らす青白い光で鈍く輝く薙刀を携えている。背丈もまた、その薙刀の長さに負けず劣らずスラっと長い手足が備わっており、一度薙刀を振るえばどこまでも届きそうだ。およそ、立ち合いになれば一分の隙もないと思わされるような居住まい。武人然としたその女性は、この深月洞の看守たちを束ねる看守長の役割を担っている女性で、張間鳳蝶はりまあげはと言う。


 「なんじゃ、先日の新入りの看守はどうしたのじゃ。今度きたらまた遊んでやろうと思ったのにの」

 「おいおい、囚人の癖に見回りを選べるとか思ってるのかこの妖狐は。九尾の妖狐様は随分と待遇がいいとお見受けするが」

 「ま、まあまあ……二人とも」

 鳳蝶と魔孤魅の間で、見えない火花が散っているように見えた。鳳蝶は魔孤魅とはほとほと相性が悪いのか、顔を突き合わせる度に何かと口論になっている。魔孤魅というか、妖怪や化生相手であれば大差はないのかもしれないが。この監獄では、看守の存在はかなり影響力ある。看守に口ごたえしたりすれば、簡単に懲罰房行きになったりするからだ。実際俺も経験があるので、面倒を起こせばどんな目に遭うかはよく分かっている。しかし、それは大半の場合が人間であればの話である。

 化生である魔孤魅にとって、看守の影響力はさほどない。まして、並みの化生や妖怪であればいざ知らず、魔孤魅レベルの大妖怪であれば迂闊に懲罰を下すことも難しい……らしい。実際、生半可に手を上げて暴れられでもすれば面倒なのはむしろ看守側の方だろう。魔孤魅もそれがよく分かっているからなのか、しょっちゅう鳳蝶をからかっているのだ。

 「てんめぇ、口の減らない狐だなコラ! 毛皮にするぞ!」

 「キヒヒヒ、勝負がしたいのならわっちを外に出すがいい。いくらでも受けてたとうぞ」

 ……まあ、傍目に見ても苦労が多そうなのは分かる。なぜかいつの間にか、ことあるごとに俺が仲裁役にされているのも甚だ不本意ではあるが。ほぼほぼ素人の俺から見ても、鳳蝶は並ではない。それに加えて、魔孤魅まで暴れ始めては俺に被害が出てしまうのは必定だ。こんな損な役割もないだろう。俺の命がいくつあったところで、この二人の喧嘩を仲裁するには心もとない。


 とはいえ、何だか今日の鳳蝶はいつも増してピリピリしているように見えた。普段の余裕ある佇まいは崩れ、どこか余裕のなさがあるように思える。魔孤魅が相手だといつも食ってかかるのが恒例になっているが、それだけではないようだ。

 「な、なあ鳳蝶。何かあったのか?」

 「鳳蝶さん、な。何、別に大したことじゃないさ。ちょっとばかし、外が騒がしいだけだ」

 「ほう、騒がしいか。それは見回りの看守の顔ぶれが、ここ数日変わらないことと何か関係があるのではないか」

 「……何か知っているのか」

 図星を突かれたのか、魔孤魅の軽口に鳳蝶の鋭い視線が射抜くように注がれる。しかし、魔孤魅はそんなものどこ吹く風といったようにまるで気にしていなかった。あんな目をされれば、俺は竦んで動けなくなるだろうに大した胆力だ。

 「何、別に大したことではないさ。余裕のないお前様をからかっても、わっちも今ひとつ興が乗らないというだけのことじゃ」

 「チッ、まったく口の減らない化け物だ……まあいい、どうせ遅かれ早帰れお前たちの耳にも入ることになる。遅いか早いかだけなら、ここで聞かせてやるよ。外が騒がしいと言ったが、ここしばらく呪い刀の使い手が襲撃される事件が頻発していてな。そこの妖狐が言っているように、うちの看守たちも今は寛恕院預かりになって事件の対応に当たらされているところだ」

 「なっ、襲撃って……随分また、穏やかじゃないな」

 「ふむ、左様じゃったか。なれば、犯人はまず以て妖怪化生の類ではあるまい」

 魔孤魅の言葉に、俺は頷く。つい今しがた話しをしたばかりの内容だ。魔孤魅クラスの大妖怪であっても迂闊に手出しをしないような相手なら、早々妖怪化生ではないだろう。

 しかし、そうなると犯人は人間ということになるが……。

 俺は浮かんだ疑問はついそのまま口に出してしまった。

 「呪い刀って、人間がそんなに欲しがるものなのか?」

 「分からねぇよ。分からないからこっちも困ってるんだ。普通の人間にはただの日本刀だし、大した価値もつけられない。術師だって呪い刀なら、担い手でさえ常時抱えるには負担のある得物なんだ。心得のある人間だろうとそうじゃなかろうと、アタシにはわざわざリスクを冒してまでつけ狙う理由が分からん」

 「ま、賢い人間ならそうじゃろうな。とはいえ、わっちにもそんなことをする人間の気持ちは相分からぬ。まさか好き好んで呪われに行くような好き者でもなければな……キヒヒヒ」

 魔孤魅の笑い声に、鳳蝶は引き攣った顔をしていた。怒りなのか嫌悪感なのか、はたまたその両方か……。

 ともすれば三人揃って首をかしげる他ない。情報だけ聞かされたところで、所詮事態の背景も全容も何も分からない以上何を言ったところでそれは推測の域を出ることはないのだ。暇つぶしには悪くないが、しかしこういう手合いの暇つぶしはモヤモヤが残るばかりであまり楽しくはない。

 俺の険しい表情を気にしたのか、鳳蝶は少しばかり表情を崩す。

 「悪いな、嫌な話を聞かせちまったか」

 「ああいや、別にそんなことはないよ。こんなこといくら聞かされたところで、俺にはどうしようもないしな」

 「どうしようもない、か……」

 「……?」

 「いや、何でもない。気にしないでくれ。ともかく、外の世界は絶賛混乱の真っただ中なんだ。字見、くれぐれも大人しくしていろよ。そんでそっちの化け狐、お前は特に静かにしてろ。こっちは忙しいんだ、余計な仕事――増やしてくれるなよ」

 「はふぅ……やれ、嫌われたものじゃ。懸命、お前様からもこの石頭に何とか言ってやってはくれまいか。そんなに怒ってばかりではすぐ皺だらけになるぞ」

 「何だとこら、この顔はデフォルトなんだよ! そのよく開く口、縫い合わせてやろうか」

 「おお、やってみるがいいさ小娘。お前様の薙刀など、怖くも何ともないわ! それともわっちが怖くて手が出せないか?」

 「何だとこの!」

 「やるか小娘!」

 「ああ、言ったそばから……」

 まったく胃が痛くて仕方がない、ここの監獄の医者は腕が悪いというのに。なぜ俺はこんな辺鄙な牢獄に投げ込まれた挙句、十年も経とうと言うのにこんな連中を相手に仲裁役を買って出なくてはいけないのか。自分を憐れむのはやめたつもりだったが、こういう場合だけどはついつい己の悲運を嘆きたくなって仕方がなかった。

 ああ、運命の神がいるというなら何故こんな面倒を俺に押し付けたもうたのか。必死になって二人を宥める俺の頬を伝うのは汗か、それとも涙だっただろうか。

 

 

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