第2話 九尾は詠う

 「お前様は外の世界のことを覚えておるか」

 「……なんだよ、藪からに」

 二度寝もそこそこに目を覚ますと、向いの独房に収まっている魔孤魅が俺の入っている独房を見ながらぼんやりとしていた。


 監獄暮らしは基本退屈との戦いだ。収監された当時は遊びたい盛りだというのに閉じ込められていて自由もへったくれもなく、ただただ退屈だった。退屈を通り過ぎて悲しくなって泣き喚いたこともあったくらいだ。

 それでも監獄の看守というのは職務に忠実で、俺が子供だろうと容赦がない。おかげで相当ひねくれた性格になったものだが、まあ今後外に出る機会などないだろうに外の世界を覚えていたところで何の足しにもならないだろう。

 「いや、全然覚えてない。あんまり俺の記憶力を過大評価しないでもらいたいね」

 「そこは誇るところではなかろうに……」

 「いいんだよ」

 魔孤魅は呆れたように言うが、大体俺には誇れるものなど大してありはしない。魂の改竄という禁忌をこの身体は犯したと言われているが、俺にはその実感はほとんどない。肉体の変化などは感覚でできるものの、それでも化生のように全身が人間離れするようなこともない。

 禁忌というからには、相当に恐ろしいものなのだろうからこんな程度の力ではないだろう。それならまだしも、魔孤魅のように身体の一部が常時化生の姿を取っているままの方が余程脅威だ。

 「大体、外の世界に出ても俺は受け入れてもらえるわけがない。人のなりして、こんな化け物みたいなやつなんて誰だって願い下げだろ。それだったら、ずっとこの檻の中で大人しくして死んだ方が――ずっといい」

 その方が、ずっとマシだ。いわれのない罪で石を投げられるのはもう勘弁願いたい。図体はそれなりに大きくなったつもりだが、精神の時計の針はあの頃のままで止まったまま。次に傷つけば、俺は立ち直れる自信がない。

 そんな俺の内心を読んでか、魔孤魅は苦笑したように言う。

 「外の世界が恐ろしいか、懸命」

 「……どうだかね」

 鍾乳石の欠片を指先で弄びながら、俺は外に出た自分をイメージする。しかし、それはいつも外に出た瞬間に足元が崩れ落ちてしまい、最後にはまたこの牢獄の中へと戻ってきてしまうのだった。

 「ダメだな、今回もまた戻ってきちまった。こりゃあ俺はいつまで経っても外に出れやしない」

 「何をバカなことを。お前様とて、少しくらいは外の世界のことを覚えているだろうに。楽しかった思い出の一つくらい、思い出せないのか」

 「思い出、ねぇ」

 意識の泉に、ゆっくりと釣り糸を垂らす。釣り針にはエサはついていないが、俺の意志には関係なく釣り針はどんどん深くへと潜っていった。



 字見、字見懸命。それが俺が与えられた名前。

 字見という家は、古くから術師の家系として大成してきたいわゆる名家というやつらしいということは覚えている。魔孤魅に話をしたら、魔孤魅も字見の名は知っていると言う。転生を繰り返す妖狐が知っていると言うのだから字見の家が由緒正しき家系だというのはまず間違いないだろう。その中に俺が含まれるかはいささか疑問ではあるが。

 (……俺はどっちかと言えば二つある汚点の片割れだろうからな)

 術師にも様々あるだろうが、魂の改竄で収監されることになった人間は結構珍しい方だろう。聞いたところによれば魂の改竄という禁忌は、大体の術師は失敗して死んでしまうことがほとんどだと言う。人によっては、魂の改竄は得られるリターンよりリスクの方が高くつくギャンブルなのだとか。

 というか、楽しい思い出何て片時も思い出せないんだけど……。

 辛い思いでや苦しい記憶はいくらでも思い出せる。何せ、字見の家に生まれた以上その生きる使命や目的の大半は呪い刀の使い手になることに終始する。幼子であろうと、訓練訓練、また訓練。個人として、というよりは一族の部品としての役割を果たすために生きているという感覚だろうか。

 同世代の友達とかもほとんど、いなかった。せいぜい知っているのは、同じく字見の分家の子供たちだろうが、それでも今となってはもうほとんど思い出すこともできない。遊んだりした記憶もないし、やはり顔を合わせたのも訓練や家の付き合いの時くらいなものなのだろう。子供心にも、それが年相応の生き方なのかは疑問だった。

 

 俺は真剣な顔で悩んではみたが、結局楽しい記憶など思い出すことはできなかった。両手を上げ、ヒラヒラ手を振る……降参のポーズだ。

 「はあ、まったく……呆れたものよ。たかが呪いの刀一つの為に、子供の人生さえ棒に振らせるか。つくづく、人間とは度し難い」

 「なんだよ、俺のこと憐れんでるのか。大体、そういうのは俺の窓口じゃないぞ」

 「キヒヒヒ、愉快だとは思うがの」

 本当、いい性格をしている。俺の日常の大半は、こうして問答をしては魔孤魅にからかわれていることがほとんどだ。まあ、愉快だと言うのならそれはそれでいい。結局呪い刀の使い手にもなれず、何者にもなれなかった俺の人生が人の笑い話の一つになるくらいでなければ報われやしないだろう。

 ふと俺は浮かんだ疑問を口にする。当然と言えば、あまりにも当然すぎる疑問だったが思えば今に至るまで魔孤魅に聞いたことはなかった。

「というか、お前は呪い刀見たことないのか?」

「ないな。そもそもそんなもの、恐ろしゅうて近づきたくもないわ。お前様は人間にまだ寄っているから分からんだろうが、あれは化生や妖怪にとっては恐ろしいものぞ。呪いや災いを鎮めるということは、退魔の刀と同義じゃからな」

 魔孤魅は心底うんざりした顔で、そう言った。実際魔孤魅が見たことがないと言っていることが事実かどうかは別としても、九尾クラスの妖怪であれば退魔の類の武具については一家言あるのも頷けるというものだ。いっそ、俺よりもそういった得物については詳しいだろう。

 さりとて、思い出すのは苦労ばかりである。泣きながら竹刀を振るわせられた記憶を思えば、ひたすらボーっとしているだけのこの暮らしも案外悪くないとさえ思える。

 「そういうものか。しかしな、わっちは今でも外に出たいと思うぞ」

 「出たい? 今さら、九尾のお前が外に出てどうするんだよ」

 「キヒヒヒ、分からぬか懸命? 外の世界はな、お前様が思っているよりもずっと広いのだぞ。わっちは今外に出たら、蝦夷に行ってみたい」

 「蝦夷?」

 「そうじゃ。今で言うところの、北海道というやつじゃな。蝦夷にはな、わっちの同類たちがたくさんおると聞いておる。ついぞ、前世でも行くことは叶わなんだ。だからな、わっちは外に出たら蝦夷に行きたいのじゃ。その時は、お前様も一緒についてきてもいいぞ」

 「あのなぁ……」

 不意に、俺はどこかこの九尾の妖狐がひどく羨ましく思えた。仮に前世から続く願望だったとしても、俺はそこまで大層な執着が外の世界にはない。楽しい? そんな感覚は、悲しいことに今の俺には理解ができなかった。そもそも、楽しいだとか嬉しいだとかなんて感覚そのものが俺にはどこか他人事のような感覚。

 人が、 化け物を羨むか。何とも、寓話めいた話だ。

 だから俺は、その羨ましさを誤魔化すように苦笑するしかなかった。

 「行けるといいな、蝦夷」

 しかし、魔孤魅はいつものように「キヒヒヒ」とは、笑わなかった。慈しむような、優しい顔をしているだけだった。狐の、妖狐の気持ちなど俺には分からない。同じように妖怪だとか、化生であったとしても恐らく彼女の気持ちは分かりはしなかっただろう。

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