詠み人知らずの呪い詩~歪な魂の在り処と異邦の魔女~

椎名千紗穂

第1話 狭き牢獄の中で

 近畿地方某所の山深く。霊脈が深く穿ち、未だ神秘が息づく土地にとある洞窟がある。常世とあの世の境目にあるこの洞窟は、常人であればまず立ち入ることは叶わない。異形の化生が跋扈する彼の洞穴は、術師たちにとっても忌み嫌われる場所。人呼んで――深月洞しんげつどう。大罪を犯した術師、あるいは封印すべき妖異や化生が閉じ込められている地獄である。



 「ぐーすー……ん、んん……」

 雫が滴り、洞穴の中に水音が響く音で目が覚めた。空中を漂う霊子が発光し、洞穴の中を薄青白く照らし出している。人によっては物珍しい光景も、流石に十年もいれば大分ありがたみも薄れた。今日も今日とて変わり映えのしない光景にうんざりしながらも、俺はゆっくりと身体を起こす。天然の洞窟をそのまま独房として使っているこの監獄の寝心地は、生身の人間である俺にはあまり寝心地がいいとはお世辞にも言えない。

 まあ、言ったところで聞き入れてくれるわけでもないのだが。所詮罪人である俺の言葉に耳を貸すような人間はこの監獄には早々いない。

 のそのそと独房の中で起き出す俺に気づいたのか、対面の独房に閉じ込められているご近所さんが声をかけてきた。


 「ふわぁ……やれやれ、今日もつまらん一日が始まるのう。退屈もここまで極まれば死んでしまいそうじゃ。いい加減寛恕院かんじょいんの連中も諦めてわっちを外に出せばいいものを」

 「なんだ、魔孤魅も今起きたところか」

 「キヒヒヒ、そなたも今起きたところか懸命。おはようさん、今日もいい朝じゃ」


 向かいの独房の中で九本の綺麗な尻尾がユラユラと揺れている。眠そうな目をこすりながら、尻尾の主はニマニマと俺のいる独房を見ていた。皮肉たっぷりな朝の挨拶は如何にも化生の口車である。

 魔孤魅まこみ――曰く、外の世界では言わずと知れた大妖怪である九尾の転生体なのだという。そうは言われたところで、俺は九尾がどれほど恐ろしい妖怪なのかということを知らないので、精々口の達者なおば……お姉さん程度の認識である。見た目は普通の人間なのだが、ご覧の通り尻尾は隠そうともしていない。まあ確かに、言われれば目を細める仕草なんかは狐に見紛わないこともないが。


 魔孤魅と軽く言葉を交わすと、お互いそれっきりにそれぞれ過ごし始める。チラと横目で魔孤魅の檻の中を見れば器用に九本の尾をそれぞれ手入れをしていた。こんな檻の中に閉じ込められてはそれくらいしかやることもありはしないのだろう。

 少し耳を立てれば、遠くで人に非ざる足音が聞こえる。監獄の中を徘徊する化生たちの足音だ。人間であれば二足の足音なはずだが、ズリズリと地べたを這いずる音や、明らかな蹄の音、風を切って動く音など人間とは思えない音が聞こえてくる。ここは異形を閉じ込めておく監獄でもあり、人間が化生を使役しているのだとか何とか。時折脱獄をしようとする囚人もいるらしいのだが、俺は正直あんな化け物相手に取っ捕まるくらいなら檻の中で大人しくしている方がよほど賢いと思う。もっとも、俺に脱獄をする気など毛頭もないが。そも、脱獄した囚人の末路など推して知るべしだ。

 「はぁ……」

この監獄に閉じ込められて早十年近く。当時六歳だった俺は、今や十六歳になる。俺の世界の全てはこの牢獄の中であり、外の世界で過ごした時間よりもいつの間にかこの牢獄で生きる時間の方が長くなってしまった。大体、外の世界がどんな場所だったのかも今の俺の記憶ではひどく曖昧になっている。

 天井を見上げ、収監されてもう何度目なのかも分からないため息を吐く。手の平を掲げ、焦点の合わない視線の先でグッと力を籠める。たちまち手の平は鋭い爪が覗く獣の前足に変化した。

 (一体俺が何をしたって言うんだよ)

 身に覚えのない罪を、一体何度責められたことだろう。わずか六歳の時分のことである。当時まだ物心つくかどうかの時の記憶など、俺には皆目見当もつかなかった。

 うす暗い檻の中、鍾乳石のつららが喉に刺さらんばかりに伸びている。いっそ、あの石で喉笛を貫いてしまおうか。

 ……なんて、そんな勇気もあるわけもなし。


 瞼を閉じ、自分の意識から接続を断つ。言われなき罪で下された沙汰は無期懲役。死ぬまで閉じ込められるこの檻の中で、正気を保つ方法は一つだ。それは正気そのものを最初から放棄すること。大体の囚人は、この方法を選択する。収監されたばかりの囚人にはさぞこの場所は苦痛だろう。毎日毎日、気が触れたような絶叫がこだまするのは今やこの牢獄の名物だ。

 (この十年、結局父さんも母さんも――誰も迎えに来てくれなかった)

 それは淡い期待だったのかもしれないと、今では思う。期待すればするほどに、心は鑢で削られるように擦り切れていく。今日はだめでも、明日。明日だめなら明後日。毎日毎日それを繰り返しているうちに、俺はいつしかそんな期待を抱くことそのものが間違っているのだと悟った。

 身に覚えのない罪、。術師の世界では最大の禁忌とされている霊媒手術。  

 孤独の不安に駆られ、昼も夜も関係なく泣き明かしたあの頃。いつかきっと、誰かがこの子は無実なのだと迎えに来てくれると信じていた。

 けれど、そんなことは一度たりともなかった。父も母も、あるいは俺を蔑んだ親族たちにさえ期待したこともあった。

 結局、俺はずっと一人だった。

 誰にも必要とされず、また誰も必要としない。俺の世界は俺一人だけが、静かに揺れる波の上に漂っているだけ。暗がりの、明かり一つないこの水面の上で漂うにはあまりにも人生は長すぎる。

 

 起きて、最低限与えられる食事を口にし、そしてまた眠る。また遠くで、収監されたばかりの囚人の叫びが聞こえる。今やそんな悲鳴さえも、俺の心を動かすには足りない。目覚めたばかりだというのに、俺の意識はいつしか目を瞑っているうちに眠りの水底へと沈みこんでいく。

 これが、十六歳字見懸命の取るに足らないような退屈で、凄惨で、緩慢な日常だった。

 


 

 

 

 

 

 

 

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