第36話

 ガチャ、と音と共に檻の扉が開く。


「では始めようか。」


 バッカーハントは僕の身体のあちこちにある傷の一つに液体を塗る。そしてまた別の場所にも塗りたくる。まるでナメクジのようにゆっくりと……その度に生まれる痒みが僕を襲う。


「ククッ……良いぞ………貴様が痛覚を失っているのは既に知り得ている。だがそれは精神的なもの、感覚自体がなくなったわけではない。」

 

 バッカーハントは僕の傷に液体を塗り続けながら恍惚とした表情で言う。


「っ!……ッぅ。」


 僕は必死に声を殺す。だが全身を襲う痒みと猛烈な吐き気に思わずうめき声を上げる。


「さぁもっと苦しめ、叫べ。……しかしまぁ、貴様のその目は気に入らないな……」


 バッカーハントは懐からナイフを取り出し僕の左目に突き立てる。そしてそのままグリグリと抉るように動かす。


「ふむ、やはりこの程度では痛みすら感じないか……ならばこれでどうかな?」


 そう言ってバッカーハントは僕の傷にさらに液体を塗り込む。すると今までとは比べものにならない痒みが僕を襲った。


「あぁあ"ぁあっ!!!がぁぁあ!!!」


 僕が痒みのあまりのたうち回っているとバッカーハントはさも愉快そうに笑いながら言う。


「おいネルケ!その猫を痛めつけてやれ。」


 黒ローブの女……ネルケはサルサの髪を掴み上げ、そのまま地面に叩きつける。そして何度も何度も踏みつける。サルサはもう悲鳴すらあげなかった。


「や……めろ……」

 僕は何とか声を振り絞って言う。


「あ?何だってぇ?」

 ネルケが煽るように聞き返す。


「サルサを……離せ!こんな事して一体何になる!?僕が目的なんだろ!?」


「アハッ、アハハハ!!そうだぜ?その通りだよ!!」


 ネルケは僕の言葉を聞いた瞬間笑い出す。そしてサルサの髪から手を離す。


「あ……う……」


 バキッという音と共にサルサが倒れる。


「おいネルケ、あまり手荒に扱うなよ。その猫獣人はまだ殺しちゃいかん。」


「分かってるって!このガキが面白いもんだからつい。」


「ネルケ、猫を持ってこい。」


「りょーかい。」


 ネルケがサルサを僕の隣に放り投げる。


「よし、その猫を治して見せろ。」


 バッカーハントは醜悪な笑みをさらに深くして言った。


 僕は全身の痒みに耐えながら何とか治癒魔術を実行しようとする。だがあまりの痒みによって魔術の行使がままならない。僕は床に倒れ込み、身体を地面に擦り付け、血だらけの左目を掻きむしりながら何とかサルサを治し始める。


 既に彼女の怪我は治癒魔術の限界を超えており、僕は治癒魔法を彼女にかける。幸い彼女の命の灯火は消えておらず、見る見るうちに彼女の傷が消えていく。僕は転移ジャンプを試みるが発動しない。やはり何かしらの対策がされているようだ。


「ふむ、やはり貴様の治癒魔術は素晴らしいな。」


「だが……まだ足りん。もっとだ!もっともっとその猫を傷付けろ!!」


「もうやめて下さい……お願い……します。どうか、どうか彼女だけは……」

 僕はボロボロの身体を折り曲げ土下座をする。


「お願い……します。」


「くはッ!ハハハ!!良いぞ……実にいい……」

 バッカーハントは僕の姿を見て高笑いをする。そしてネルケに目配せする。


「あ?何?」


「ネルケ、あの猫獣人の腹を思い切り切れ。」


「よしきた。」


 ネルケは剣を振り上げるとサルサの腹を引き裂いた。その瞬間、僕の頭は怒りで染まる。僕はバッカーハントに飛びかかろうとするがアルシエルに押さえつけられる。


「離せ!」

 と僕は叫ぶが、その叫びは虚しく響くだけだった。


「なんだ、まだまだ元気じゃないか。さぁ、では始めるか。単刀直入に言う。俺のものになれ。さすればこの猫だけは解放してやろう。ほら、早く決断しろ?あの猫の腹の傷は浅くはないぞ?」


 僕は逡巡する。そして口を開く。


「分かりました……だから彼女を解放して下さい……」


 バッカーハントは醜悪な笑みを浮かべる。その笑みには心底から僕に喜びを抱いているようだった。僕の目を見ると恍惚とした表情を浮かべると、更に笑みを深くした。


「アルシェ、隷属魔術の準備を。」


「もう済んでいます。」


「いい仕事だ。……死克、いいことを教えてやろう。本来治癒士ヒーラーは奴隷契約をすると治癒能力が著しく落ちる。だが精神隷属魔術はその限りでは無い。お前はこれから我の軍隊で死ぬまで兵を癒し続けるのだ。アルシェの精神魔術で恐れを無くし、貴様の治癒魔術で永遠に戦い続ける死の軍隊の完成だ!!」


 バッカーハントは醜悪な笑みで言う。僕はもう従うしかなかった。……しかし、それでもいいと思った。サルサが助かるならそれで……。

 アルシエルが隷属魔術を発動させると、僕の身体から何かが抜けていくのを感じる。きっとこれが魂というモノなのだろう。


「よしネルケ、猫の首を切れ。」


「え…………」


「お前が強すぎるのが悪いのだ。不愉快極まりないが、私の技量ではまだお前に完璧な隷属魔術はかけられん。更に……絶望が必要だ。」


 僕はじたばたと抵抗しようとするもバッカーハントに押さえつけられる。


「良いなぁ!その目!そしてアルシェ!やっぱりお前は最高だ!!」


「感謝の極み。」

 アルシェは表情を変えずに言う。


「では、始めようか。」


「サルサァァァァァァァァァ!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る