第19話 弱った医師
次の日鳥羽刑事より西田医師との面会許可の連絡が入った。黒澤を連れて警察署へ向かった。西田医師と会う前に鳥羽刑事から、望が頼んでいた間島の父親に関する情報について交換をする時間をもらった。望は取材で得た情報を伝えた。
鳥羽からは間島の父親についての情報、父親の事故についての情報がもたらされた。間島の父親は中学校教師だった。文化祭などの催し物、部活動の顧問、どれも積極的ではなかったようだ。父親の同僚は妻を亡くし、シングルファーザーとして子育てをする彼に対しあまり仕事を依頼できなかったと言っていたようだ。ただ間島の父親の担任していたクラスの生徒からは、彼についてある一つの噂話を聞いたそうだ。 間島の父親は女生徒に厳しく、男子生徒には異常なほど優しかったそうだ。初めのうちはやんちゃな男の子を注意するのに躊躇する弱腰な教師かと思われていたが、どうやらそうではなかったらしい。
男子生徒からは「同性愛者」と噂されていた。手を出された生徒がいたわけではない。ただ贔屓よりひどい男女差があったようだ。女子生徒には些細なことで罰を与え、声を荒げた。男子生徒には、大事な課題を出さなくても提出期限を定めずに注意もしなかった。よって生徒からは可も不可もある教師という評判だった。しかしもともと間島父はそんな教師ではなかった。妻の病気がわかってからそのような態度が顕著に表れたらしい。生徒たちにも間島父の事情は流れていたため、病気の奥さんを看病する先生というベールによって生徒たちの親までは噂が流れなかったようだ。しかし鳥羽刑事との情報交換で望は矛盾を見つけた。
近所の人の証言では間島の父親は仕事を理由にあまり家に帰ってこなかったとあった。しかし生徒たちや父親の同僚たちは間島の父は残業をほとんどしなかったと話した。本人は息子にご飯を作るとか家事があるといってきちんと定時で仕事を終えていたそうだ。
食い違っている。間島自身が近所の人に父親は仕事で不在だと伝えていた。では父親は仕事を終えてからどこで何をしていたのか。
また調べることが増えたようだ。
鳥羽刑事ともう一人の刑事が同席のもと西田医師との面会が許可された。面会時間は制限ないが、西田医師も間島の行方がわからないことに大きな恐怖を抱いてる。そのため、西田医師が話せる時間に収めてくれという警察からの要請だった。
望達が先に部屋で待機していると、鳥羽刑事に連れられて西田医師が入ってきた。望が西田医師に最後にあったのは理子と初めて会った時だ。西田医師から理子を紹介された。西田医師は見るからに優しそうな医師で、優しいだけでなく医師としての腕も素晴らしく、専門は精神科で主に犯罪精神医学の分野で秀でていた。西田医師の治療プログラムによって何人もの犯罪者が社会に復帰した。その成果会って彼に間島が託されたのだ。
しかし医師は以前にあった人とはまるで別人の容貌だった。マスクをしているが、やせ細り、顔全体に深く影ができていることが分かる。歩き方もかなり歪で、つま先立ちで、ふらふらとしていた。さらに髪もぼさぼさで、皮膚はひどく乾燥している。 眼鏡にも汚れがついていた。
「お久しぶりです、先生。体調はいかがですか?だいぶお痩せになられたようで…。」
西田医師はゆっくり口を開いた。「忙しくしていてなかなか時間が取れなくてすみません、川本さんもお久しぶりです。」
望は西田医師が間島の件で相当疲労を抱えていることを察した。
「先生、今日は時間をくださってありがとうございます。お疲れでしょう。いくつか質問をしたらすぐに帰ります。また間島については先生の患者ですので守秘義務があるかと思います。言える範囲で構いません。お聞かせください。」
「まず一つ目の質問です。間島は理子さんとの関係構築によって精神状態が安定してきていたそうですね?事実ですか?」
「ええ、彼はここ半年ほどかなり落ち着いていました。以前は自殺企図もあり目が離せないような状態でしたが、理子さんが担当になってからは理子さんに多くのことを相談し、自分の過去を受け入れる段階、いわゆる受容という過程ですが、その段階を超えることで過去の自分の過ちと向き合い、悔やみ、生きて罪を償う意味を理解するんです。間島さんは理子さんという対象に自身のことをアウトプットすることでストレス軽減を可能にしていました。
ここ三か月は一度も自傷行為をしていませんし、拒薬や危険行動も一度もありませんでした。理子さんとのことは間島さんから切り出されました。私はすごく良い変化だと思い、同時に賭けではありましたが外泊訓練に乗り出しました。理子さんも外泊以外の日は必ず面会に来て間島の精神安定を支えていました。」
「外泊訓練は何回行われたのですか。」
「外出訓練は五回。外泊訓練は計四回です。
最後の一回であんなことが起こりました。それまでの外出、外泊訓練では一度も問題は起こらなかった。外出訓練を重ねるごとに間島さんは理子さんの話をすることが増え、食欲も増し、よく眠れるようになりました。初めての外泊訓練の後、間島さんと面談しました。外出と外泊では彼の中で大きな違いがあったようです。外泊から帰ってきた間島さんは何だかハイテンションで、夜も眠剤を使用しないと眠れないほど興奮していました。恐らくですが、理子さんとの間にそういう…まあいわゆる夫婦の営みがあったのだと思います。間島さんはこれまで女性経験が無かったと言っていました。この大きな経験によって間島さんはよりらしさを取り戻していったと僕は考えました。」
「理子さんとの関係によって間島さんの病状が快方に向かっていたなら、なぜ理子さんはあんなことになったのでしょう。間島さんは理子さんに対してどんな感情を持っていたのでしょうか。」
「理子さんに対しては本当に、本当に大切に思っていたと思います。愛しているという言葉こそ聞いたことはありませんでしたが、彼の行動には愛情が溢れていました。間島さんにとって確実に大切な存在だったと思います。どうして彼が理子さんを手にかけたのか、主治医をしていながら何も気づけませんでした。」
「先生の責任ではありません。次の質問をしてもよいですか?」
「はい、もちろんです。」
「間島さんの父親について何かご存じですか?」
西田医師は眉をひそめた。望は医師がこのことについて何か知っていると確信した。
「なぜ彼の父親について聞きたいのですか?」
「私は間島さんが彼の父親に何かしらの虐待を受けていたのではないかと考えています。私たちが取材した間島さんの関係者からは、間島さんと父親の関係性について不明な点が多くあります。間島さんの体や精神状態から虐待の経歴を疑う所見はありませんでしたか?」西田医師はしばらく考えた。数分後医師はやっと口を開いた。
「これは患者の個人情報です。本来私の立場から明かすべきことではないかもしれません。しかし、川本さんだからお伝えします。間島さんは…お父さんから性的虐待を受けていました。」
黒澤が望の後ろで「え、そっち?」とつぶやいた。望もまさか性的な虐待だとは思わなかった。西田医師は続けた。
「間島さんのお母さんについてはご存じですか?乳がんで闘病生活も短くこの世を去りました。しかし彼女は病気が分かってから、間島さんと父親の元へは帰りませんでした。実は父親の同僚と関係があって、最後はその人と過ごすことを決めたようです。妻の葬式後、酒に酔っぱらった父親が、幼い間島さんの洋服を剥ぎ、嫌がる間島さんに暴行を加えました。挿入は伴わない行為でしたが、幼い間島さんにとってはその父親の変貌がひどく精神を混乱させる出来事でした。なぜ父親が間島さんにそのようなことをしたかというと、彼は父親に何度もこう言われていたそうです。「母親にそっくりだな。」と。暴行の理由は恐らくそれです。」
望は初めて間島の心の影が見えた気がした。信頼していた教師である父親から、そんな風に性を蔑ろにされ、それが原因で間島の心は壊れたのだ。
「先生、続けて質問をしてもいいですか?
中学生殺人についてです。私は実は間島さんが全てを計画的に一人で行った可能性が低いと思っています。なぜなら、殺人を犯した相手は門限のある中学生で、当時何百人も動員して見つけ出せず、間島さんは十二年後まで骨を隠し続けた。ましてや間島さんは当時から様子が可笑しかったと周囲から証言があります。もしその時点で精神に異常をきたしていればすべての犯行を一人で完遂することは難しかったのではないでしょうか。先生が間島さんを担当し始めたときの様子を教えていただけませんか。」
「実は間島さんは殺害の時の記憶がありません。警察にも促され何度も催眠療法などを試しました。しかし間島さんは当時のことを全く思い出せませんでした。入院してきたとき、彼はかなり精神状態が悪く、自分がなぜ病院にいるのか、何度病名や治療方法を伝えても理解できず、自殺企図が強く、自傷行為も頻繁にありました。
とにかく混乱している中でも死にたいという願望が強すぎました。そのため、まずは張り詰めた精神の混乱を解く必要がありました。彼の精神が落ち着いたのは治療開始してから二年以上経ってからです。やはり彼には記憶は戻りませんでした。よってどのように犯行を実現したのか今もわかりません。」
西田医師は徐々に話すスピードが緩慢になってきていた。明らかに疲労が増し、表情が暗くなってきた。望は医師の様子から今日はここまでにしたほうが良いと判断した。刑事に連れられて西田医師が席を立った。その痩せた背中、ふらつく足取りを見送りながら望は次の取材計画を練っていた。
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