第9話 鳥羽刑事



 病院から戻った望はチーフにこのことを報告した。チーフは行き詰っている状況を、望の様子から察したようだった。

 翌日二人は警察署に向かった。理子発見時に望を取り調べた鳥羽刑事に会いに来た。望の思い付いた次の手だ。鳥羽刑事は間島の逮捕時、その捜査に当たっていた刑事の一人で事件との付き合いは長かった。望と同じようにこの事件に縁のある鳥羽刑事とは時々連絡を取り合う仲だった。

 初めて鳥羽刑事と会ったのは間島の逮捕の時だ。間島の最初の取り調べの際に鳥羽刑事も同席していた。目の前で暴れる間島を取り押さえたのも彼なのだ。警察署内は慌ただしかった。寄れたシャツに乱れた髪の刑事たちが厳しい表情で署内を動きまわっている。鳥羽刑事はいつもの喫煙所にいた。もう残り少ない紙たばこの先をこちらに向け望に気が付いた。望は鳥羽の元へ駆け寄った。

「鳥羽さん、こっちは私の後輩の黒澤。お疲れのところごめんなさい。」

「いや、連絡しようと思ってました。鳥羽です。よろしく。」

 鳥羽が黒澤に握手を求めた。握り返した黒澤も挨拶を返す。

 「川本さん、連絡ありがとうございます。この間は休めましたか?結構メンタルに来たでしょう。あんな変な現場捜査一課の刑事でもなかなかないですよ。」「そうですね。そもそも殺人事件の第一発見者に自分がなるとは思わなかったです。かなり慌ただしいですね。事件に何か進展が?」望は周囲の慌ただしい様子に目を向けた。

 そんな望に鳥羽刑事は困り顔でこういった。「進展したのか、迷い込んでいるのか。何もかもはっきりとしなくて。正直困っています。ちょうど川本さんに意見を聞きたいと思っていました。」吸うつもりのない煙草は鳥羽の指先から細い煙を出していた。

 「意見ですか?」「ええ、事件のことで情報交換したいんです。どうも俺の中で釈然としないことがいくつかあって。実は会議室を取ってあるのでぜひそこで話しましょう。」名残惜しそうに煙草を消し、鳥羽はベンチにかけていた上着を手に取った。望の前を通った鳥羽からはかなり濃い煙草の臭いがした。鳥羽は二人を会議室に入れ、鍵を閉めた。会議室には大きなホワイトボードと五冊ほどのファイルが机に置いてあった。そのままホワイトボードを裏返した。ホワイトボードには十六年前の事件から、理子の事件までを時系列でまとめていた。さらに登場人物の詳細も簡潔に書かれており、鳥羽が二人のために準備していたものだった

「警察の中でも意見が集約されなくて…情報が多いのもそうなのですが、簡単に考えるにはあまりに複雑な殺し方なので。川本さんには理子さんのことについて新たに得た情報を交換したいんです。」ホワイトボードの内容はおおよそ望達が把握している情報と相違なかった。

 「もちろんです。ただ理子さんについてはこちらもつかみ切れていません。過去の関係者や、理子さんの周辺にはほとんど取材をしましたがこれといって情報が出てこないままです。ですが私たちでは得られない情報もそちらはお持ちでしょうから、ありがたいです。」

「まず、警察発表にあったとおり、理子さんの死因や詳細な鑑定結果は他殺で間違いがなく、かなりむごい殺され方をしています。殺害方法から犯人の動機は怨恨だという見方が大半です。」望は怨恨という言葉にひどい違和感を覚えた。「確かに殺害方法はひどい。でも私の知る理子さんは誰かに恨まれたり、憎まれるような人物像ではなかったように思います。」

「実は我々も理子さんの周囲の人間から漏れなく事情を聴いていますが、それほどの恨みを持つ人間が浮かびません。こう言った事件捜査の場合、そういう容疑者が疑惑程度でも直ぐ浮かぶものです。たとえ捜査の結果犯人じゃなかったとしても、全くそのような人物像が浮かばないなんてことはそうありません。」「それに理子さんの体には行方不明だった中学生の骨が出てきていますし、あの事件の関係者が犯人なのでは?そうだとしたらかなり絞られるような気がします。例えば亡くなった男の子たちの親族とか。」

「俺らも骨が見つかった段階で、あの行方不明事件とのつながりを明確に表していると考えています。ただ間島が逮捕されたときに間島の家や関係先は鑑識や大勢の警察が入り、それでも骨の残りが見つからなかった。またすでに親族全員に当たっているのですが離れた所に住んでいたり、体を壊して病院や施設にいるものがほとんどでした。」

「そうですか。間島がうまく隠していたということになりますね。」

 望の言葉に鳥羽は首を振り、訂正を加えた。

「いや、警察はそうは考えていません。なぜならあの時の間島は、それほどの計算的な動きが取れる精神状態ではとてもありませんでした。なので憶測ではありますが、間島を手助けする協力者がいたのではないかと思っています。骨もそいつが何年も隠しもっていた。」

 「たしかに…。でも間島には家族は居ないし、親しい友人のいなかったはず。私たちもこれから当時間島を手助けできるような人物が裏にいたのかどうか探りたいと思います。」ずっと黙っていた黒澤も口を開いた。

「僕たちは今後事件について詳細な記事を出そうと思っていますが、内容が内容なのでぜひ警察側と協力的な体制で動きたいと思っています。」望の隣では初めて本物の刑事を目にする黒澤が、背筋を伸ばし存在をアピールしていた。

「文能社に協力していただけるのは本当にありがたいと思っています。ましてやお二人はすでに事件の渦中にいる人たちですから。そんなお二人を信用してこれからいくつか重要な情報をお伝えします。これは警察発表にもない、この事件を担当している警察官たちしか知らないようなものも含まれます。なので記事にする内容は一つ一つ私が上層部と確認して許可を出します。報道許可が下りない内容でもお伝えするのは、お二人が事件解決のために力になってくれるはずだと思っているからです。」

 鳥羽の言葉に望はしっかりと頷いた。

「そこまで信用いただけるなんて、光栄です。かならず協定は守ります。ともに理子さんの事件の解決に向けて協力しましょう。」

 望の言葉に鳥羽も嬉しそうに頷いた。鳥羽のその表情に、望は初めて鳥羽と会った時のことを思い出した。望が初めて鳥羽を見たのは間島逮捕の時のニュース映像のなかだった。

 一際険しい眉間に、まだ若い熱意溢れたオーラが目立っていた。映像が流れたあと、望は当時の指導者だったチーフとともに警察署に取材に訪れた。その際対応したのが鳥羽と鳥羽の上司だった。望は鳥羽を見てすぐに自分がニュースで見た刑事だとわかった。鳥羽は上司の横でメモを取ったり、言われた資料を出したりしていたが、その様子から望達にあまりいい印象を持っていないようだった。望達の方を正面から見ることはせず、直接的な会話も少ない。そんな鳥羽の様子に望はひどく興味を持ったのだった。望も鳥羽たちが初めて会った刑事ということもあり、自分が初めて担当する記事に対するやる気そのまま、鳥羽にアタックするつもりだった。その後チーフと会社へ戻り、仕事を終えた望は再度警察署に足を向けた。警察署の玄関ホールで鳥羽の姿を待っていた望は、一時間ほどしてから鳥羽が歩いてくるのに気が付いた。鳥羽に気づいてもらえるよう立って声をかけるが、鳥羽は気が付かず、そのまま喫煙所に向っていた。上司の前で我慢していたのだろう。喫煙所に着くとすぐさま紙たばこに火をつけ、深く肺を膨らませた。ぼうっと遠くを見る鳥羽の様子を望も見ていた。望は鳥羽の大事な時間を邪魔するまいと、さらにそこから待っていた。鳥羽が二本の紙たばこを吸いきって喫煙所から動き出した際に、望は大きな声で鳥羽の前を呼んだ。鳥羽は驚いて振り返り、望に気が付くと眉を潜めた。驚く鳥羽に向かって望は食事の誘いをした。望は半分以上の確率で断られると予想していたが、以外にも返事は○だった。望は事前に候補を絞っていたいくつかの飲食店の中から、鳥羽の飲酒の趣味、食べ物の好みなどを聞いて店を決めた。

「あの…記者さんのお名前、もう一度聞いていいですか。」鳥羽が聞きづらそうに尋ねた。望は再度名前を伝えた。鳥羽がこう言ったアプローチに慣れていないことは、昼間渡したはずの名刺の存在を忘れてしまっていることから伝わってきた。そのまま直行した大衆居酒屋で飲食の趣味が一致していた二人は、酒を交えかなり意気投合した。後になって当時のことを鳥羽に聞いてみたが、どうやら亡くなった男の子達の親に対して報じていたマスコミに対し強い嫌悪があったようだ。その時点で森本の母親がすでに自殺をしており、文能社がそういった類の報道をしていなかったことを知らずにあんな態度でいたようだ。居酒屋で酒を交わしながら多くのことを話した二人は、その後何度かのそういった機会を重ねて気が付けば兄弟のような関係性になっていた。なんにせよ鳥羽は正義感が強く、熱意ある刑事だ。望はそんな鳥羽を、恐らく鳥羽が望に対して思うように信頼していた。

 鳥羽が続けた。

 「理子さんの遺体を解剖した結果、いくつかのことが判明しました。まず、理子さんには自傷行為の癖があったようです。ある部位に数年にかけて刻まれた傷と修復できないほどの組織の損傷を発見しました。これは解剖してわかりました。

 さらにもう一つ、理子さんにはある疾患がありました。女性に深く関わる疾患です。」

 「自傷行為に、婦人科系の疾患ですか。そんないくつものことを抱えているようには見えませんでした。」望は生前の理子の様子を思いだしたが、外見は普通の健康そうな女性だった。さらに手首などにも自傷行為の痕はなかったように思う。

 「ここからが詳細な情報になりますが、まず自傷行為についてはおそらく十年以上まえから続いているもののようです。何せ最近できた傷との見分けが困難なようで解剖を担当した医師も戸惑っていました。はじめは骨のせいでできた傷かと思われていましたからね。」「骨のせい?理子さんはどこを自傷していたのですか?」鳥羽の発言に違和感を持った望はすぐさま質問した。

 「実は理子さんの膣内には古い傷が多数あり何度も治癒過程を繰り返していたことが分かりました。無理やり入れられた骨によってできた傷に見えましたが、担当の医師が瘢痕の数や、そもそも膣内の組織の異形があり事実に気が付いてくれました。膣の中をしっかりと調べた結果、何度も硬いものを膣に入れたことで組織が傷つけられ、その傷から感染し膣内の環境がより悪化していたということが分かりました。なぜこれが自傷と言えるかというと、理子さんの部屋から発見された大きな布ばさみの一つから理子さんの血液と膣の組織が発見されました。布ばさみはかなり年季の入ったもので、錆び付きも酷かった。そしてそのはさみからは理子さんの指紋しか見つかっていません。よってなんらかの理由で理子さんは自分で自分の膣にはさみを入れ傷付けていたことになります。」

 「どうしてそんなこと…。」

 「そしてもう一つの理子さんの疾患についてですが、理子さんは子宮や卵巣など、女性が妊娠するために重要な臓器すべてがひどく機能障害を起こしており、いわゆる癌の前病変である異形成だったことが分かりました。 医師いわくこの状態では排卵機能などにも障害が起こるため、月経も起こっていなかったはずとのことです。しかし警察の調べによると、理子さんの持ち物に婦人科に関する診察券や、書類、受診している証拠などは一切ありませんでした。さらに部屋にはナプキンなどの生理用品もそろっており、理子さん自身がこの疾患に気が付いていたかはわかりません。」

 「そういえば、理子さんのご両親が取材の際に理子さんには月経を示す症状が無かったと言っていました。毎月必ず部屋に籠って両親との会話も一切無くすときがあったと。」望はじっくり考えた。女性にとって生殖器官は自己の性別を確定する重要なもので、それを意図的に傷つけるには何か理由があったはずだ。さらに理子の両親が言っていた月一回の理子の異変。これはこう言うことではないだろうか。「私の予想を話してもいいですか?」

 「もちろん。」鳥羽は頷いた。

 「理子さんは自傷していたのではなく、月経を意図的に起こしていたのだと思います。両親の話を聞くに、理子さんは初潮がなかった。自分が他の子と違うと気が付き、小学校高学年のころから両親との距離を取り、自分で自分を傷つけることで膣から出血させ、その出血を月経だと思い込んだ。御両親が言っていました。理子さんは人体の構造に酷く興味を持っていたと。自分の体の異変に気が付き、調べていたのではないでしょうか。理子さんは看護師です。自分のその行為が明らかに月経ではないこと、自分の体の異常には気が付いたはずです。でも理子さんは裕福な生活をしてきてプライドが高かった。自分が女として機能しないかもしれないということを誰にも知られたくなかった。おそらく夫の間島にも知られないように、実家で使っていた月経を起こす道具をアパートにも持ってきた。」「なるほど、単なる自傷行為ではなく理子さんにも精神的な何かがあったのかもしれませんね。理子さんについては警察も情報がなかなか集まらず難航しています。理子さんは両親に自分の話をあまりしなかったようですし、そのせいか理子さんの交友関係について両親はほとんど知らなかったようです。理子さんの体のことも知らなかった。検視の結果を報告したときも酷く戸惑っていました。」

 「それは私たちの取材でもそう話していました。理子さんについて実は何も知らなかったのかもしれないと、特に母親の方が思い詰めていました。」

 「そうですね。こちらでも理子さんの職場の同僚や上司、学生時代の担任などにも話を聞いてみましたが、理子さんはよくも悪くも印象に残りづらい人物だったようです。全員がいい子で問題がなかった、ということしか覚えていない。

 理子さんが周囲の誰にも気づかれないまま精神に変調を来していたとすれば、ある意味すごい精神力とコミュニケーション力の持ち主だと言えます。知り合いの精神科医に聞いてみたところ、そういった外部に気が付かせないほどの精神異常は進行が速い反面、現実との乖離が起きやすい。いわゆる二重人格のようなことですね。」望も頷きながら返した。

 「私がもし理子さんと同じならまずは両親に相談したでしょうし、大人になれば病院にも行ったでしょう。誰にも相談せずに抱えるにはあまりにも大きな悩みな気がします。しかしあの両親に相談できなかったというには多少違和感があります。だって夫妻はとても理子さんを愛していましたし、事実を伝えたとしても力になってくれたはず。それほど理子さんが自分の秘密を守りたかったのか、本人がいなくなってしまった今ではもうわからないのがもどかしいですね。」

 「とにかく警察はまず理子さんの周辺をあたり、理子さんについての情報を少しでも集めようと思っています。もしそちらが知っていることがあればお伝えいただきたい。」望もちょうどそう思っていたところだった。理子について知るには、その時代の理子の関係者に片っ端から当たるほか方法がない。しかし一日に取材するには膨大な対象量だった。そんな中この鳥羽の提案は望にとってはありがたいことだ。「もちろんです。ただ、こちら側も一つお願いがあります。理子さんの周辺をあたるということでしたが、間島の主治医である西田先生と連絡が取れなくて。以前から間島のことで西田先生とは関りが会ったのですが、全く行方がわかりません。西田先生は病院にも出勤していないようですし、私がこれ以上先生を探すには力不足なので…鳥羽さんに西田先生を探していただきたいのです。これは記事にすることではなくて私個人としてとても心配していて。西田先生は間島のニュースが出てから、ひどく疲れているようですし。」そういうと鳥羽刑事が少し表情を曇らせた。鳥羽のその妙な様子に望は鳥羽が西田医師について何か知っているのかと思った。そのままの勢いで質問をしようとするが、鳥羽のあまりの緊張感に望は一旦口をつぐんだ。数秒の間をおいて鳥羽刑事が口を開いた。一切逸らされることのないその目に望も負けないよう視線を返した。

 「西田先生のことなら心配いりません。

そういうには大きな理由があります。ここだけにしてください。実は先生は現在警察が保護しているんです。」


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