第8話 骨の行方



 「これは理子さんが書いたのですか?」

 「そうです。理子がこの部屋に籠るようになったのは小学校高学年の時です。」

 理子はなぜこんなものを残したのだろう。英語の筆記体で書き込んでいる壁は真っ白な部分が見えないほどに埋め尽くされ、英語に不慣れな望でも良くない内容が書かれていることが分かった。それだけではなく、日本語でも汚い言葉の数々が記されていた。

 望の知る理子との強いギャップを感じ内心戸惑ったが、これを書いている理子をイメージすることで違う気持ちも生まれた。今まで望は理子のことを「間島の妻」としかみていなかったのだが、ここへきて理子にはそれだけに収まらない何か大きな側面があるのかもしれないと思った。黒澤の言っていた「似た者同士」というフレーズを思い出した。望は夫妻に許可を取り、その光景を何枚も写真に収めた。

 その後二人はその部屋にあるものや、月島家にある理子の私物をすべて見せてもらった。理子の両親が望達をなぜそこまで信用してくれたのかわからない。ただ、理子がいなくなったことで自分の知る理子を誰かに共有し、悲しみを分け合いたいと思ったのだろうか。両親に聞くと、理子が亡くなってから理子の友人などが訪ねてくることは全くなく、理子の生前の人付き合いに思うところがあったようだ。月島家を出た二人は、そのまま近くの喫茶店に入った。記者部へ戻る前に取材材料の整理をするためだ。

 「黒澤君はさっきの壁の英語を全部和訳してくれる?わたしは理子さんが過去に付き合っていた男性や親しい友人がいないか、他にも学生時代の担任など取材対象者をピックアップする。あと、理子さんの体のことについても調べてみることにする。」「僕英語苦手なんですけど…。」間島がボソボソと反論していたが望はピシャッと言い返した。

 「今は便利なツールがたくさんあるでしょう?そういうのを使いこなしてちゃちゃっとやって。」

 大きなため息をつかれてしまった。

 「人使いの荒い先輩だ。僕だって得手不得手があって、どちらかというと英語は不得手なんです。」

 望は自分の内心がそうであったように、自分より年齢の幼い黒澤はもっと取り乱すと思っていた 。作業を始めようとした瞬間、黒澤が望を超えてある一点に視線を注いでいた。そのまま目を離さず、慌てた様子で望に「ちょっと、川本さん、あれみてください。」と言った。望は何事かと言われるまま黒澤の視線を辿った。黒澤はテレビを見ていた。テレビには警察署の映像が映し出されており、そこには、


 【新情報、十六年ぶりに不明男子児童の骨の一部が間島理子さん殺害現場から発見】


 大きなテロップと焦るアナウンサーの声が響いていた。警視庁の情報によると、行方不明男子の見つかっていなかった骨の一部というのが、鷹島海人が右手の指の骨全部、森本龍太郎が下顎骨だったそうだ。その骨がすべて理子の体内から発見されたのだった。やはり望達の読み通りだった。むしろ読み以上の情報量だ。アナウンサーは、警察は詳しいことは捜査中であるとコメントした上で、過去の間島の事件にも触れ、当たり障りのないフレーズを話していた。ニュースがひと段落すると、望と黒澤は急いで資料をまとめ店を出た。速足で駅へ向かいながら二人は口が止まらなかった。

 「やっぱり他殺だった。理子さんは殺された。私たちが寮に行く何時間か前に。」望は爪を噛んだ。「事件が動き始めましたね。でも川本さん、僕らが理子さんに会う前日理子さんに約束の確認のために電話、してましたよね。その時までは生きてたってことだ。もしかして最後に理子さんと話したのは川本さんですか?」望は首を振ってこう続けた。

「たしかに私は前日の午前九時に理子さんと話したよ。でもその時理子さんが言っていた。いつか間島にも会わせたい。この後いつもの電話が来るから私のことを間島に伝えてみるって。もしそれが本当なら理子さんが殺される前最後に話したのは間島ということになる。理子さんがこう言っていたことは一応刑事さんにも話したけど。とにかく明日西田先生にもう一度間島と会えないか交渉する。こうなれば警察もまた間島に接触しようとするはず。もしかするともう接触しているかもしれない。でも警察が接触することで、間島が不安定になってしまえば今度こそ舌を噛み切られてしまう。そうなる前にどうにかして西田先生と間島に会いに行こう。」

 記者部に戻り黒澤に字起こしとチーフへの説明をさせている間、望は西田医師に電話をかけた。爪噛みが止まらなかった。しかしコール音が鳴るばかりで西田医師が電話にでることはなかった。三回目の留守電を聞いた望はたまらずチーフに言った。

 「チーフ、西田先生電話でません。もう病院に行っちゃってもいいですか?」「そうだな、出ないなら仕方がない。病院自体に連絡してもどうせ問い合わせが殺到して飽和状態だろうしな。まだ十五時だ。今からなら先生は病院にいるだろう。黒澤といけるか。」「行ってきます。行くよ、黒澤君。」「はーい、行きます。」出ていこうとする二人にチーフがエナジードリンクと軽食を持たせた。チーフは厳しいが望が尊敬する上司だ。二人を無理に働かせていることに罪悪感を抱いているのだろう。  

初めは望達も申し訳ない、と断っていたが回数を重ねるうちにチーフの優しさに甘えるほうが楽だと気が付き、今回も一度で受け取った。

 同じ部署の人たちも、誰よりも疲労を貯めている二人に程よい気遣いを見せ、記者部での作業は心地いいものだった。病院に着くとすでにマスコミがちらほらうろついているのが見えた。その横を何食わぬ顔で通り過ぎ、総合受付まで進んだ二人は受付の女性に西田医師と約束があると伝えた。しかし女性が言いづらそうにこちらに向かって「西田医師は一週間前から休暇を取っていますが…。」と言った。「川本さん、休暇ってどういうことなんでしょう。しかも一週間前なんて俺たちが理子さんを見つける前日からですよ。」黒澤の言葉に望も様々な思考を巡らせていた。

 どういうことだ、数日前に先生に電話したときは疲れてはいたが普通だったではないか。一週間前から休んでいるならなぜ間島との面会を忙しいという理由で断ってきたのか。望は再度受付の女性のもとへ向かった。

「間島元人さんの関係者なのですが、彼と面会したいんですけど。」

「間島さんについては特別な許可が必要なのですが、何かお持ちですか?」「いえ、それは持っていないですが、例えばどんなものが必要ですか?」「ご家族の同意書か主治医の許可証があれば面会いただけます。」こういわれることはわかってはいたが打つ手が無くなった望は引き下がることにした。「わかりました。今日は持っていないのでまた来ます。」望はそう言い、受付を離れた。望は黒澤に声をかけ、速足で病院を出た。望は歩きながら、西田医師が自分に何も言わずに姿を隠しているという事実に、事は一週間前からすでに動いていたのかもしれないなと思った。西田医師と連絡が取れないということは、間島への接触の手段を失ったということを表していた。 今回の事件には西田医師の存在が欠かせない。さらに理子についても調べることが増えたのに理子のことを知る人物も浮かんでこなかった。


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