第4話 婦人の発見



 約束していた個室喫茶に先についた二人は、理子を待つ間、質問の打ち合わせをした。

 「新婚生活どうですかー?でいいですか?」

 黒澤がふざけるので全く作業が進まない。

 「邪魔をしないで。まとめてきた内容をより簡潔にしたいのよ。」

 「俺には早く読んどけっていうくせに、自分は質問まとめきれてないんじゃないですか。困った先輩だな。」

 「ちょっと、これはあなたの指導も含まれているの。ふざけていないで真剣に考えなさい。」

 黒澤はペンをくるくる回しながら、望のタブレットを覗き込んだ。黒澤にはまだタブレットが支給されていないため望のものを二人で使っていた。

 しばらくしてタブレットの時計が十時五十五分を示していることに気が付いた。望は店のドアのあく音がするたびに無意識にそちらに目を向けたいたが、理子は中々現れなかった。 そしてそのまま約束の十一時を大幅に過ぎても状況は変わらなかった。それまで集中した様子で打ち合わせに取り組んでいた黒澤も、時間を意識しだしていた。

 「なにかあったんですかね。」

 「おかしいわね。理子さんは、真面目で約束をすっぽかしたり遅刻したりはしないと思うんだけど…。もう少し待って来なければ病院の寮に行ってみようか。」結局理子はそのまま二十分待っても姿を見せなかった。望が理子の携帯に着信を入れるが応答がない。テーブルに広げていた資料を片付け、二人は席を立った。タクシーを拾い少しの緊張感を感じた二人は、理子の住む市民病院の職員寮へ向かった。理子は間島との結婚後転職し、小さな市民病院へと再就職していた。寮に着くまでに理子の携帯を何度か鳴らすが応答は無かった。

 二人は理子の寮の部屋202号室のドアをノックした。インターホンも何度か鳴らすが返事がなかった。望は再度理子の携帯を鳴らした。 望は玄関のドアに耳を近づけると、中からバイブレーションの音が聞こえた。どうやら近くに携帯があるようだ。しばらく鳴らすと望の携帯の画面に応答なし、の字が映った。曇りの今日は少し肌寒い気温で、理子の部屋の前も太陽の影になっており寒さをより強く感じさせた。望は冷えたドアのノブに手を伸ばした。

 「川本さん僕駐車場に車あるか見てきます。白の国産SUVですよね。」 「そう、見てきてくれる?」黒澤が走っていった。望は嫌な予感がして携帯の画面に110番を映した。ドアに伸ばした手をそのまま進め、触れた。金属特有の冷たさが望の手のひらを素早く伝い、なぜだかそのまま回せずにいた。ほどなくして帰ってきた黒澤から、理子の車はちゃんと駐車場に在ったことを伝えられた望は、意を決して部屋のノブを引いた。 鍵が開いていた。薄く開いたドアからはまず、床に落ちた家の鍵が見えた。二人がそのまま視線をゆっくり上方に動かすと人影が見えた。慌ててドアを全開にすると理子が玄関で正座していた。

 「理子さん…?」声をかけるが返事がない。よく見るとうつむいている理子の口から血が滴っているのが見えた。唾液と混じったその地は長い雫型を形成し、床に着いた。後ろにいる黒澤が「うわっ。」と大声をあげた。黒澤が動き、玄関から日光が室内に入るとより鮮明に室内が見えた。玄関には血液らしき汚れが多数広がり、鉄くさい香りが望達の鼻を刺激した。望は皮膚が泡立つような感覚がした。理子は正座した状態で死んでいた。

 望は何が起こったのかわからずその場に座り込んだ。正座する理子と同じ高さになったことで理子の口から滴る粘度の高い血液や、異常にボコついた喉元がはっきり見えた。 たまらず望は目を逸らし、こみ上げる酸っぱいものを何度か嚥下を繰り返すことでどうにか飲み込んだ。 望はこみ上げる不快感を抑え、状況に適応することにした。目線を理子に戻し、視線でできるだけの情報をえようと努力した。こらえた望はゆっくり視線を戻し理子の姿を捉えた。後ろではどうやら黒澤も動けずにいる。もう立ち上がる精神力は消えていた。ハイハイの状態で理子に近づいた。

 理子は淡いブルーのワンピースを着ていた。しかしそのワンピースは血液がかなり付着しており、普段さらさらに手入れされている真っ黒な髪も血がこびりつき固まっていた。理子は俯いていたため表情が確認できなかった。手は膝の上で揃えられており、血液とのひどいギャップがあった。

 こういう現場に出会ったのは初めてだが、望もキャリアの長い記者だ。このような現場で写真を撮ったり、対象に触れたりすることであとで面倒くさいことになることが分かっていた。望は自分の左手に110番を映していたことに今気が付いた。指が動かない。こんなに自分の体が言うことを聞かなくなるとは思わなかった。黒澤が慌てた声色で警察に通報した。黒澤の話す内容から、警察官がすぐにでも現場に来るであろうことが分かった。警察が来るまでにどのくらいかかったのだろう。黒澤に抱えられ玄関の前から移動した望の目には言いようのないショックがあった。 


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