滅亡する秋田 (This is Date a Lament!!)

ヨーン デタンシェ

プロローグ 真実を語る陰謀論者 

平成102年 夏。

秋田県庁・第一行政庁舎 総合事象机上対策課にて



「……ここ数ヶ月で、県内でのクマの観測件数が急激に増えています。」


低く抑えられた秘書官の声が響いた。

いつもと変わらぬ無機質な口調。しかしその響きには、何か決定的な事実を告げようとする硬さがあった。


「従来は年間で2700件前後。ほぼ統計的に安定していました。

ところが今年四月から八月のわずか5ヶ月間で、クマの観測件数は1000倍――300万件を突破しています。」


秘書官は手にしていた端末を操作し、スクリーンにデータを呼び出した。浮かび上がった秋田県のホロマップに赤い点がぽつぽつと現れる。

それは最初、山間部の谷や沢に寄り添うように散在していたが、数秒後には急速に数を増し、都市部、沿岸部へと降り注ぐように広がっていく。


「この赤い点がクマの観測地点です。正確には、市民から寄せられた通報時のGPS情報や、監視カメラおよび監視ドローンの映像をAI解析して得たクマの識別記録、それからワイヤレス鳴り子の探知記録をホロマップに反映させたものです。」


その説明のあいだにも、赤い点は数を増していき、

秋田県全土が――血の雨を浴びたように、真っ赤に染め上げられていく。


重苦しい沈黙。

その光景を前に、秋田県知事・剣知 仁けんち じんは椅子の背に深くもたれ、言葉を失った。



「ご覧いただいてわかるように、山間部でまばらに観測されていたものが都市部へも広がっただけでなく、宮城県との県境付近から北上するような動きも確認されています。先週には秋田北端の能代市、一昨日には西端の男鹿市の海上でもクマが観測されました。いまや秋田県全域は、”クマに覆い尽くされようと”しています。」


知事は無意識に固唾を飲み込んだ。

そして、内心の困惑を隠すように声を荒げる。


「さっきから何を馬鹿なことを言っている! クマの観測が三百万件だと? 県の人口より多いではないか! 監視カメラ? ドローン?ワイヤレス鳴り子? いつから秋田は監視社会になっていたのだ!」


『知事、冷静に。これは観測データにもとづいた事実です。」


「……クマの目撃なんて、ちっともニュースになっていないじゃないか!」


知事の声は会議室の壁に跳ね返り、虚しく消えた。

ホロスクリーン上で赤く染まる秋田を、彼は信じることができなかった。

信じてしまえば、秋田そのものがすでに死に瀕していることを認めることになるからだ。


目の前に広がる赤が虚構に思えてならない。

クマのことはニュースで報じられていない。町で騒ぎは起きていない。

それなのに、なぜスクリーン上の秋田はここまで赤く塗り潰されているのか。知事は思った。ぜったいに誤検知だろこれと。


秘書官は静かに、しかし確固たる響きで告げた。


「知事。これは情報戦です。」


その声には迷いがなかった。

指先はホロスクリーンを示し、淡々とした調子で説明を続ける。


「クマの情報は、県民から隠されています。報道は徹底的に統制され、クマなど存在しないかのように装われている。

一方で行政機関に対しては、逆に“秋田全域を覆うほどクマが存在している”という情報が流され続けているのです。

つまり、県民には油断を、行政には混乱を。これが敵の狙いです。」


「……敵?」


「はい。惑わされてはなりません。それでは敵の思うツボです、知事。」


淡々とした声色。しかし知事には、その静けさがかえって恐ろしかった。

まるで、すでに勝敗は決しているかのような響き。


「……それで?」知事はかすれた声で問いかけた。「いったい……何がどうしてこうなっているというんだね……? 」


秘書官は一瞬だけ口を閉ざし、端末の画面を操作した。

スクリーンには新しい解析ウィンドウが浮かび上がる。


そこには「クマデネヴェガ」「ナシテ」と名付けられたAIのロゴが並び、膨大なログが無機質に流れ続けていた。


クマ目撃情報データベースクマデネヴェガと、原因反復推論AIシステムナシテを連携させました。その結果、導き出された結論は――」


彼は言葉を切り、深く息を吸い込んだ。

その一瞬、部屋の空気がさらに重く沈んだように感じられた。


「――知事。これは宮城県からの情報攻撃です。」


知事は思わず椅子の背にのけぞった。


「な、なんだと?」


「目撃されているクマは、クマではありません。クマ型未確認生物UMA、いえ……K-UMA――そう呼ぶべきでしょう。そしてK-UMAは宮城県が送り込んだ工作員であり、その活動を隠蔽するために、彼らは報道規制と情報撹乱を仕掛けています。」


「クマが……K-UMA?未確認生物で……宮城県の工作員……?」

知事の口の中で言葉が空回りする。

信じがたい。だが秘書官の瞳には一片の迷いもなかった。

その冷徹な眼差しが、かえって説得力を帯びてしまう。


知事の心に、一つの疑念と恐怖が同時に芽生えた。

――もしこれが真実なら、秋田はすでに戦場のただ中にあるのではないか?あるいはこいつの頭がガチでヤバいかのどちらかだ。


「……知事。」

秘書官は端末を閉じ、真っ直ぐにその目を見据えた。


「秋田全域でK-UMAの目撃が拡大している今、一刻の猶予もありません。“情報戦”を仕掛けられている以上、すでに“戦争”は始まっています。迎撃体制を急ぎ整えるべきです。」


「……戦争?……迎撃体制?」

知事は声を震わせた。

秋田において戦争など、歴史の教科書にしか存在しない言葉だった。それが、いま自分の目の前で現実味を帯びて語られている。


秘書官は手元の資料をスクリーンに送信した。

新しいウィンドウが開き、そこには“非常時対策案”と題された膨大な項目が並んでいた。


「まずは猟友会に協力を要請し、彼らを即応の猟兵として再編成します。

次に竿燈――例年は祭礼に用いる提灯を取り付けた竿ですが、改良により対空プラズマ干渉装置として機能させることが可能です。24時間稼働の防空網として利用しましょう。ないよりはマシです。

さらに、主力戦力として汎用人型哨戒機 スケアクロウⅡ型かかしに無誘導水噴射式ペットボトルロケット H2O-Rを標準装備としましょう。低コストながら高い制圧力を発揮するはずです。」


スクリーンには、無骨な人型兵器に即席のロケット発射装置を取り付けた設計図が浮かび上がる。

小学生でももっとまともな設計図を書きそうなレベルのものだが秘書官の声音は確信に満ちていた。


「……そして通信妨害を想定し、回覧板ネットワークを非常通信回線として再稼働させます。

紙媒体であれば電波妨害は不可能。各町内会に伝令を配置すれば、最低限の指揮系統を維持できます。」


活き活きとした口調で矢継ぎ早に繰り出される対策案。

どれもこれも荒唐無稽だ。だが、秘書官はキラキラと瞳を輝かせている。


「高齢者は至急、県外へと避難させましょう。県人口の9割を避難させることになりますがやむを得ません。代わりに秋田犬やイノシシで人口不足を補うとしましょう。犬畜生とはいえ彼らはきっと戦力となります。」


知事は椅子の肘掛けを握りしめた。指先に汗がにじむ。


(これ以上付き合っていられるか……。だが――?)


疑念と現実感の間で揺れ動く。

知事は一度口を開きかけ、しかし言葉が出なかった。

そんな彼を待たず、秘書官はさらに言葉を畳み掛ける。


「知事。猶予はありません。敵はすでに我々を取り囲み、静かに浸食しています。今こそ決断のときです。」


部屋の空気が張りつめ、時計の針の音さえも遠ざかる。

知事が返答をためらったその瞬間――。


バァァッーンッッ!


扉が勢いよく開かれ、会議室に乾いた音が響いた。

振り返ると、旗を背負った若い職員が、汗だくの顔で駆け込んでくる。

彼は片膝を床につき、片手で床を支え、声を張り上げた。


「伝令! 宮城県からと思われる宣戦布告文書が――電子メールで届きました! 拡張子は…….msgです!!」


会議室に響いた若い職員の声は、戦場の号砲にも似ていた。

だが、その状況はあまりに時代錯誤で、知事には一瞬理解できなかった。


「……伝令?……電子メール……? 宣戦布告が……メールで?」


呆然と呟く知事に、秘書官は静かに頷いた。

秘書官はゆっくりと知事へ歩み寄る。

その足取りは堂々としていて、まるで歴史の舞台に立つ指導者のようですらあった。


「知事。緊急事態宣言を発令してください。いますぐに。戦争はもう始まっているのです。」


秘書官の言葉に、知事は頭を抱え、うぅぅーーん…と低く唸った。

そのとき、伝令に来た若い職員が、こっそりと手をクィックィッと動かし、知事へ合図を送る。


――あ。


知事は( ゚д゚)ハッ! となり、すべてを思い出した。

これは茶番だ。芝居だ。自分も舞台の一員なのだ。

胸に奇妙な熱が込み上げ、失いかけた気迫が再び宿る。


「……わかった。」


震える声に、しかし妙な張りが加わる。

あたかも英雄が生まれる瞬間を祝福するように、知事は芝居がかった調子で言葉を続けた。


「……緊急の事態だ。発令や指揮はすべて君に任せる。

私は戦争に関しては無知だ。君のほうが適任だろう。

最善を尽くしたまえ。責任は――私が取る。」


その言葉を聞くや否や、秘書官は深々と一礼し、即座に行動に移った。

ポケットからスマートフォンを取り出し、慣れた指先で操作を進める。

その所作は迷いなく、儀式的ですらあった。


「緊急事態宣言……フォローよろしくっと……ハッシュタグは……こんな感じでいいか。」


秘書官が送信ボタンを押すと、緊急非常事態宣言がSNS上に投稿された。

電子音が鳴り響き、拡散が始まる。


【緊急事態宣言コード:Bujoho-Sitanshi】

秋田県は現時刻をもって、いわゆる戦争状態に突入します。

県民の皆さまには、ご理解とご協力、いいね、フォロー、拡散をどうぞよろしくお願い申し上げます。

#戦だ #秋田vs宮城 #ガチでやばい #ごめんしてけれ #みんなでがんばろう


庁舎内に鳴り響く通知音。

壁を伝って増幅するように、会議室は電子のざわめきに包まれた。

それはまるで秋田県全土が同時に警報を鳴らしているかのようだった。


しばらくして、17時のチャイムが庁内に鳴り響く。勤務時間の終わりと、秋田の終焉を告げるかのような悲しい音色が響きわたる。


秘書官は「では」とだけ言い残し、満足そうな顔で去っていった。

その背中は、英雄を夢見る者の確信と、虚構を真実に塗り替える狂信の両方があった。


残された知事は、机の上の書類を整えながら、疲れた笑みを浮かべた。

(大丈夫だ。通知が届いているのは庁舎内の業務端末だけ……。そもそも秋田県民にSNSなど使う者はいない。秋田県民が使う通信手段といえば、狼煙くらいのものだ。そしてこれはすべて茶番。迫真すぎて忘れかけてたけど、これはすべてアイツのご機嫌とりのための茶番……。)

そう自分に言い聞かせると、少しだけ心が落ち着いた。だが――。



――いつまでこの茶番を続けなければならないのだろうか。


納税能力のない後期高齢者と獣しか残されていないこの秋田県には、あの超大金持ちの職員の妄想に付き合い活動資金をくすねるしか未来がない。

それが不条理だと知りながらも、知事には抗う力はなかった。

伝令役を務めた若い職員に「いい演出だったよ」と声をかけ、まるで学芸会の幕引きのように部屋の片付けを始める。

彼にとってはこれで一件落着のはずだった。しかし――。



――翌日――


ニュースをお伝えします。

昨日、秋田県が「誤って緊急非常事態宣言を発令した」ことが明らかになりました。

秋田県はすでに宣言を撤回しています。


知事の説明によりますと、発令の理由は「AIの誤作動により人間をクマと誤認したこと」、

そして「秘書官が独断で行動したこと」だとしています。


なお、実際にクマの大規模出没や被害は確認されておらず、

県民からは「お騒がせだ」「ボケがいまいちわかりづらい」といった声が上がっています。


そしてキャスターは、次のニュースを読み上げた。


次のニュースです。山のなかで撮影された、“クマのきぐるみスーツ”を着用した集団がSNSで話題を集めています。

「かわいい」と話題になる一方で、機密とされる公安特命任務課K-U.Mのエージェントと関係があるのではないかとの見方も――。


プツリと映像が途切れ、番組はそのまま天気予報に切り替わった。


「続いて秋田県の週間天気予報です――」

映像には、秋田県の各地に雷雨マークが並んでいる。


「秋田県全域で激しい雷雨が続くでしょう。命の危険が伴いますので、外出は控え、非常食の備蓄や避難経路を改めて確認するなど、県民の皆様には有事へ備えることをオススメします。」


――以上、宮城県広域情報調整センターからお伝えしました。


プロローグ 真実を語る陰謀論者 ~完~

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