第3話 一か八か、やるっきゃねえ
「なんだ!?」
弾かれたように壁から背中を離し、叫び声が聞こえた方を見る。
この狭い路地の奥――丁度もう一つの大通りに繋がる出口付近で、白い服を着た集団がわらわらと蠢いているのが見えた。声はあの中から聞こえている。
“チャンス到来ですね。助けが必要かどうかは不明ですが、行って損はないはずです”
「そんな呑気に喋ってる場合じゃねえだろ。どう見てもヤバいやつだ」
饒舌に喋る石板をそのままポケットにねじ込み、トーマは白い服の集団を目がけて走り出した。
策はない。碌に人助けをしたこともない。
だが、抵抗している様子の声がまだ聞こえているし、こんな近くにいるのに何もしないのは寝覚めが悪い。
(あんなに叫んでるのに、なんで誰も助けに来ねえんだよ)
トーマが舌打ちを打つと、ポケットの中からくぐもった声が聞こえてきた。
“無策で挑むことは推奨しません”
「ピンチな状況になった瞬間、急にまともなこと言い始めるんだな。お前」
“策はありますか?”
「走りながら考えてるんだよ! 余計なことに酸素使わせんな」
全力で走りながら喋らされ、こっちは息切れしそうだ。案外この路地は長い。
それに、舗装も甘く、道がデコボコしているため走りづらかった。
(『策』つっても……)
勢いだけで集団を蹴散らせるほど、トーマは強くない。
できることと言えば、舌先三寸でその場を逃れることくらいだ。
徐々に白服の集団の姿がはっきり見えてきた。若い娘を取り囲み、どこかへ連れて行こうとしているらしい。
「私は
抵抗している娘以外は、聖職者らしき格好をしている。
教会絡みの騒動のようだ。道理で、他の連中は助けようとしない訳である。
どの地域でも、教会に歯向かうと後で痛い目に遭うのは一緒らしい。
「触らぬ神に祟りなしってか」
“勝率は二割です。やめますか?”
「それだけあれば上等じゃねえか」
トーマは鼻を鳴らした。勝率二割で諦めるようなタマなら、ここまでの道のりで既に挫折している。
それに、トーマには、あの娘を助けたい理由ができてしまった。
トーマは地面を蹴る力を強める。息も絶え絶えで、あの連中とどこまでやり合えるかは分からない。
だが、とにかく間に合うように全力を出すのみだ。あの娘が連れ去られてしまう前に駆けつけなければ、意味がない。
(……いっそ、走っていることを利用するか)
幸運なことに、あの白服たちは、一般市民を救済することが(一応)使命である聖職者。
つまり、聖なる助けを求める民の声には弱い。
トーマはにやりと口元を歪めた。一か八か、やるっきゃねえ。
左手でポケットの中から石板を出し、口元に近づける。
「返事はいらねえ。俺がこの次に喋り終えたら、反響した声を出せ――」
§
「助けてください! あなた方、聖職者の方ですよね!?」
聖職者の集団にぶつかる勢いで最後のスライディングを決める。
暗い路地の中から突然現れたトーマの姿に、聖職者たちはどよめいて陣形を崩した。
「なんだね君は!」
「この方がどなただと思っているんだ!」
偉そうな聖職者たちは、眉を顰めてトーマの前に立ちはだかろうとする。
それに構わず、トーマは「お願いします! どうか御慈悲を!」などと思いつく台詞を適当に重ねて、聖職者たちに助けを求め続けた。
その間に、目では必死に聖職者の波の中にいるはずの娘を探す。
(あの子はどこだ? ……いた)
壁際に、豪華な首飾りをかけた聖職者に腕を掴まれ、懸命に抵抗しているプラチナブロンドの娘がいた。
きっとあれが、さっきの声の娘だ。
あの壁際まであと数歩。仕込みは上々。
後は、息を切らせ、苦しさのあまり喉から血が出ているような声を作ったら完璧だ。
「君、早くどこかへ行きたまえ!」
聖職者の一人に肩を掴まれた瞬間、トーマは聖職者の両腕を掴み返した。
まさか掴み返されるとは思わなかったのか、聖職者の肩がビクリと跳ね上がる。
「助けてください! 魔王が……魔王が出たんです!」
そう叫び、聖職者を決死の形相で見つめる。
ついでに、肩で息をし、必死に逃げてきた善良な市民を装う。ただ猛ダッシュしてきただけだが。一息つきたかったので丁度良い。
聖職者は一瞬真顔になった後、トーマの肩から手を離してぎこちない笑みを浮かべた。
「魔王だって、君。ま、まさかそんな訳」
“愚かな聖職者ども。この魔王の気配も気取れぬとは、随分と耄碌したらしい。まあ良い、精々足掻いて、絶望に顔を染めるが良い!”
聖職者の言葉を遮るように、地を這うような重低音が路地の暗闇の中から反響して聞こえてきた。
高笑いとともに、黒い靄がゆっくり立ち込める。
「ヒッ!」
「言ったでしょう!? 助けてください!」
「我々は関係ない!」
「そんな! あなたたちは聖職者でしょう!?」
魔王の声を聞き、顔を引き攣らせた聖職者たちに詰め寄る。
壁際まで、あと二歩、一歩――。
「今にも路地の向こうから魔王がやって来そうなんです! 俺は命からがら逃げてきた!」
「それがどうした」
「助けてって言ってんだ! もうすぐあいつがやって来る」
ようやく彼女を捕まえている聖職者に近づくことができた。
「お願いだ! 助けてくれ!」と叫んだ勢いのまま、彼女の腕を掴んでいる聖職者の手を振りほどく。
“ハーッハッハッハ! お前らの聖術具は、この魔王には効かぬ。無駄な抵抗をする贄を眺めるのは実に愉快なことよ!”
高笑いが更に大きくなった。黒い霧は、聖職者たちの足元を覆っている。
一部の聖職者たちは青ざめた顔で聖術具の腕輪をかざし、聖言を唱え始めていた。
暗く狭い路地は、右往左往する聖職者たちが放った光や白煙が入り乱れ、騒然としていた。
「いかがされます、ドミニク様」
表情を硬くした一人の聖職者が、首飾りをかけた聖職者――ドミニクと呼ばれた――の助言を密やかに仰いだ。
その言葉に、聖職者ドミニクは眉一つ動かさず冷酷に言い放つ。
「構わん、捨て置け」
「しかし」
「些末な輩の保護より、我々には果たすべき天命がある」
「……畏まりました」
声をかけた方の聖職者は、押し殺した表情で胸に手を当て、慇懃に頭を下げた。
「この娘を連れて行――」
「ドミニク様? どうされました……ッ!?」
聖職者ドミニクの言葉が不自然に途絶える。
異変を感じ、顔を上げた聖職者は息を呑んだ。
「あの娘が……いない!?」
先程まで、聖職者ドミニクがその手でしっかりと捕えていたはずの娘。
教会の命に従い、丁重に『保護』する手筈だったあの娘が、忽然と姿を消していた。
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