第4話 薄幸美少女が邪気眼系AIを連れてやがる

 右も左も分からない。道行く冒険者や店先の客引きが唖然とした顔をしている気配を感じながら、人の波を縫って無我夢中で走った。

 ただ、掴んだ左手だけは離さないように。それだけを考えて。


「……ここまで来りゃ、大丈夫か?」


 先程の路地から遠く離れるまで走った後、別の路地に身を潜めて外の様子を窺う。

 見えるのは街行く冒険者だけで、あの聖職者たちの独特な白服はどこにも見当たらなかった。


「あいつらは撒いたはず……って、ごめんな! だ、大丈夫?」


 後ろを振り返ったトーマは顔色を変えた。

 ずっと掴みっぱなしだった娘の手首を離し、慌てて声をかける。

 彼女は、トーマが手を離した瞬間崩れるように座り込み、咳き込みながら浅い呼吸を繰り返していた。


“あなたは男性、彼女は女性。平均的な男性のペースに合わせて長距離を全力で走らされた場合、平均的な女性の体力では息切れ、動悸、肺の痛み、下肢等への甚大な疲労感が生じると考えられます。大丈夫ではないと予想されます”

「う……」

“つまり、あなたのせいです”


 すかさず出力されたAIの平坦な回答に、トーマは顔を強張らせた。誰がどう見ても、『やっちまった』と顔に大きく書いてある。

 こんなときだけまともなことを言うのは本当にやめろ、とAIに訴えたくてもできない。これは完全に自分が悪い。

 異性に対する経験値がド底辺だということは言い訳にはならねえな、と彼は思った。


「何て言うか、その……本当にごめん! 落ち着くまでここにいたら良いから。追っ手も来てねえし」


 トーマは言葉を必死に絞り出して、彼女に声をかけた。

 きっと、世のモテる気遣い上手な奴は、ここで飲み物を持って来るのだろうが、トーマはその思考回路を持ち合わせていなかった。というか、そんな思考回路を持ち合わせていたとしても、金が無いので実現不可能だった。


 しゃがみ込んでいる娘の様子をチラリと見る。呼吸は徐々に落ち着いてきたようだ。


(ありきたりな策だったけど、一応切り抜けられたよな)


 追っ手も見当たらない。

 ひとまず、聖職者たちが“魔王”に動揺している隙をついて、彼女を連れ出せて良かった。

 やれやれ、と胸を撫で下ろし、トーマは娘に別れを告げて立ち去ろうとした。


「じゃ」

「あの……!」

「ん?」


 右手を軽く上げ、路地から出ようとした瞬間、娘は顔を上げてトーマを呼び止めた。

 足を止め、軽く振り返ったトーマは、思わず目を見開いた。

 大通りから差す光が当たり、これまでよく見えなかった彼女の顔がはっきりと目に映る。


 彼女は、とても綺麗な顔をしていた。


 大きく優しげな薄青の瞳は儚げに、小さな鼻と桃色の唇はバランス良く。

 抜けるように白い肌には、全力で走ったためか薄く朱が差していた。

 髪は緩くウェーブのかかったプラチナブロンドで、華奢な体つきをしているため、儚げな印象の目と相まって薄幸の美少女という表現がぴったり似合う。


「助けていただき、ありがとうございました」

「……え、えっと、助けたくて助けただけから、気にしないでもらえると嬉しいっつーか……それに、俺だけの力じゃねえし」


 まだ力が入らないのか、座り込んだままペコリとお辞儀をする彼女に、トーマはしどろもどろになりながらも屈み込む。

 そして、左足のブーツの靴紐とタン――靴紐の下にある部位だ――の間から石板を引っ張り出した。

 聖職者の集団にスライディングする時、そこに石板を滑り込ませていたのだ。ポケットの中に入れたままだと、色々と不都合だったので。


『返事はいらねえ。俺がこの次に喋り終えたら、反響した声を出せ――さっきの魔王の声で、あいつらを脅せ!』


 そう指示を与えた直後、聖職者集団に突っ込んで、喋りながら適当な聖職者に掴みかかり、キリが良いタイミングで喋るのを止めた。

 後は、さっき起こった通り。


 AIが良い感じに聖職者たちを怯えさせ、奴らが混乱している隙に、娘の手を引き路地から脱出――そして逃走。

 石板をポケットから出したおかげで、遮る布もなくダイレクトに“魔王”の声が路地に響き渡った。

 まあ、黒い靄出現というオプションまで付くとは、予想外だったが。


(……こいつがいたお蔭ってやつだな)


 トーマが内心殊勝なことを考えながら、取り出した石板を彼女に見せる。

 石板は、嬉しそうに中央を青くピカピカ光らせていた。


“初めまして”

「ええっと……、初めまして……? シルヴィーと申します……?」


 彼女――シルヴィーは、石板とトーマを交互に見て、困惑したように首を傾げた。

 その様子に、トーマはハッとした。


「ごめん、コイツまだ実体化してねえんだ。助けた見返りって言ったら聞こえが悪いけど、傭兵団には黙っていてもらえると助かる」

「え、ええ。それは構いませんが……」

「あ、俺はトーマ。それと、言葉! 気楽に喋ってもらってこっちは大丈夫だから」


 少し不思議そうな顔をしながらも、シルヴィーは口角を柔らかく上げ、こくんと頷いた。

 その姿を見て、トーマはポリポリと頬を掻く。正直言って、異性とどう喋ったら良いのか分からない。

 それに勘づいたらしいAIが茶々を入れてくる。


“平時と言葉遣いが異なります。緊張していますか?”

「黙ってくれ……頼む」

“…………”


 AIの言葉に、トーマは頭を抱える。……お願いだから今は余計なことは言わないで欲しかった。


 誰も喋らず、微妙な空気が流れそうになった瞬間――


“哀れな仔羊がいる”

「はっ!?」


 突然、トーマの耳元で何者かが楽しげに囁いた。その声は、内容に不似合いな幼い少女のものである。

 飛び上がったトーマが右を向くと、宙に浮く紫髪のゴスロリ娘が間近でうっすら笑っていた。

 その胸元には、紫に光るAIの紋。彼女は実体化したAIらしい。


 因みに、左目は黒い眼帯で覆われていた。ゴシックな黒レース付きの。

 何やらトーマに狙いを定めたらしく、彼女の赤い右目がキラリと光る。


“どうしたの? どこか疼いてる?”


 光を浴びてもなお儚げなシルヴィーと、そのお供らしきゴスロリ娘の間で目線を彷徨わせる。

 自分の中で、この状況を咀嚼しようとしたトーマの頭の中に浮かんだ言葉は、ただ一つだった。


 ――薄幸美少女が邪気眼系AIを連れてやがる。

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