第2話
僕と佐藤は応接室を出て、田中先生に言われた美術室の隣の教室に向かった。
僕はホームルームが終わるとすぐに帰ることが多かった。そのため、外部活の掛け声と吹奏楽部の音色が響いている放課後の学校は新鮮だった。知らない学校の姿に感心しながら、隣を歩いている佐藤に聞いた。
「佐藤はさ、なんで、写真部を作ろうと思ったの?」
彼女はゆっくりと顔をこっちに向けて、少し考えてから話し始めた。
「……先輩はホワイトフラワーって知ってますか?」
「いや知らない」
「ホワイトフラワーって不幸が起こった人にしか見えない花で、その花は願い事をなんでも一つ叶えるって言われてるんです。でもその花に願い事をしたら誰かに不幸が及ぶって話もあって……。整理すると、自分に起こった不幸を幸福に変えてくれますが、他の人に不幸が移ってしまう。そんな花なんです」
佐藤は興奮しながら、僕に熱心に説明してくれた。
「ホワイトフラワーは名前の通りとにかく白くて、美しいらしいんです。」
もしもそんな花があったら、僕は何を願うだろうか。受験に合格しますようにとか、頭が良くなりますようにとか、だろうか。でも不幸がないと見えないなら、見えない方がいいか。
「私、そのホワイトフラワーを写真に収めたいんです。どんなに美しい花なのか、どのくらいの大きさなのか、本当に白いのか、記録に残したいんです」
「でも、不幸がないと見えないんでしょ?」
「そうなんですけど……まあ、そこはなんとかして、不幸なしで見るんです!」
佐藤さんは自分の胸を叩きながら、力強く言う。しかし、彼女の顔が一瞬曇った気がした。だから僕はこれ以上、何も聞かなかった。
「狭いな」
美術室の隣の教室、きっとこれからの写真部の部室になる教室のドアを開けると、いろいろなものが置いてあった。一番奥の窓の下に机が置いてあり、その上には新しめなプリンターがある。教室の真ん中には大きめな机と椅子が向かい合う形で四つ並んでいる。入って右側には本棚が有り、写真に関する本が少し入っている。左側にはコルクボードが掛かっている。しかし、あまり写真にも部活にも興味がない僕は、部室が狭いことの方に興味が向いていた。
「ちょっと狭くたっていいんですよ! そんなことより写真のための備品がこんなに……」
佐藤は幼い子供のように目を輝かせながら部室の中を見回していた。僕には何がそんなにすごいのかわからない。僕は本棚にあった本を適当に選んで椅子に腰を掛けた。本の表紙には大きな字で『世界の絶景』と書かれている。あまり興味はないが、佐藤が部室の備品の確認を終えるまでの辛抱だ。
「先輩は写真、好きですか?」
佐藤は僕に背を向け、部室の備品を確認しながら聞いてくる。僕は本から視線を離し、佐藤の背中に向かって答える。
「スマホでしか、写真を見ることも撮ることもないよ。好きかどうかは……考えたことなかったな」
僕の返事を聞いて佐藤は後ろ姿でもわかるくらい肩を落としてしまった。
「……でも、この本を見てて思ったんだけど綺麗な景色とか見るのは嫌いじゃない」
そう言うと、佐藤は振り返って、僕の読んでいた『世界の絶景』の表紙をじっと見た。僕もつられて表紙を見る。表紙には富士山の写真が使われている。さすがは世界遺産。富士山の白と青。それに加えて空の白と青。その景色には白と青の二色しかないのに僕にはその本のなかで一番美しいものに見えた。
「富士山って、撮る人によって姿を変えるんです。富士山は動かなくて、大きく分けると色も二色しかありません。でも、ちゃんと変わるんです」
佐藤はそう言って、僕に微笑んだ。その笑顔は知っていることを自慢する幼い子供のようで、写真への気持ちが伝わってきた。
「佐藤も富士山撮ったことあるの?」
「はい。一度だけ。でもこんな綺麗には写りませんでした」
「そっか。じゃあ僕が慣れてきたら、もう一回富士山を撮りに行こうか」
僕は本物がどんなに美しいのか、確かめに行きたくなった。
「はい! もちろんです」
彼女は笑顔で快く承諾してくれた。
僕は富士山に行ったことも、生で見たこともないが写真でもこんなに美しいのだから、実物はもっと美しいのだろう。その美しさを記録したいと思うのは人間として普通の事なのかもしれない。きっと彼女がホワイトフラワーを写真に収めたいと思うのも同じことなのだろう。そう考えたら、急に彼女に親近感が沸いた。
「そういえば、先輩ってカメラ持ってます?」
佐藤さんはそう聞きながら、僕の前の椅子に座った。
「いや、持ってない」
「そうですか。では明日、私の昔使ってたカメラを持ってきます。慣れるまではそれを使って下さい。」
「その……借りてもいいの? ちゃんとしたカメラって結構高いイメージあるし」
「新しいのが有るので大丈夫です。人の使うのが嫌なら、明日一緒に買いに行きますけど」
それは二人で、デート、と言う意味だろうか。
「いやいや、全然そんなんじゃないんだけど……」
僕は言い聞かすように言った。カメラについては全くと言っていいほど詳しくないし、設定が済んでいる物の方が使いやすいだろう。買いに行くとなると親にも相談しなければいけない。それは面倒だ、という気持ちが半分。デートなんて気恥ずかしい、という気持ちが半分。僕はありがたく貸してもらうことにした。
「佐藤が良ければ貸してほしい。大切に扱って、必ず綺麗な状態で返すから」
「わかりました。じゃあ明日持ってきますね」
「ありがとう」
本当にありがたい。そのカメラにはどんな美しいものが映ってくれるだろうか。でも、スマホでしか写真を撮ったことがない僕にカメラを扱えるのだろうか。僕は興味と不安が入り混じったような感情を抱えた。
「それから活動日と活動時間ってどうします? とりあえずは平日の放課後に何日かと土日のどっちかに集まって、写真を撮りに行くような感じを考えているんですけど」
佐藤は悩んだように僕に聞いてきた。僕が一年生の時は放課後も休日も特に予定のない日々を送っていたのでどこでも問題はないが、写真のことを考えると休日に遠出した方がいろいろな物が撮れるだろう。そうなると平日に集まるのは少なくてもいいのかもしれない。
「僕はあんまり予定ある日ないからいつでも大丈夫だけど、多分、休日の方がいろいろなものを撮りに行けるよね。それなら平日に集まる日は少なくてもいいんじゃないかな?」
佐藤は「ちちち」と言いながら右手の人差し指を左右に振った。
「写真は一瞬の切り取りです。確かにきれいな景色を撮りに行った方が、所謂映える写真が撮れるでしょう。ただ、私は学校の、日常の一部のきれいな空間や空気感も切り取りたいです。毎日大変だったけど、こんなこともあったよね、ってなるような青春の1ページを切り取って――」
僕はこの学校の中で『青春の1ページ』というものが想像出来なかった。一年生の時は木島としか喋らなかったし、部活もやっていなかった。できることなら、人と関わりたくなかった。一人で居たかった。僕の学校生活の中に切り取るようなものはきっと無かった。僕の中でこの学校での青春は存在しなかったのだ。
僕が人との関りを拒むようになったのはあの事故が原因だ。
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