第2話 『まっちんぐあぷり』
警察に連れて行かないでくれと彼女が何度も叫ぶので、流石に諦めることにした。
そして俺の狭い学生アパートで一晩預かることにした。
どこかに放置するよりは、まだここの方が安全だろう。
「お前、名前は?」
「……
「あんな暗いところで何してたんだ?」
「わらわにも理解しかねますわ。気づけば、あそこにおったのでございます」
彼女もまた状況が掴めていない様子だった。
「花魁と言えば、吉原とかか?」
「そうでございますね。ただし、わらわはそこではありんせん。少々、複雑な事情がございますの」
「なんかお前も大変なんだな」
「そうでございますよ! それなのに主さんは、ケイサツとやらいう怖い所に連れて行こうとされていたではありませんか!」
花魁の話し方のイメージとは少し違うが、見た目の独特な雰囲気だけで言えば、江戸時代を漂わせている。
タイムリープしてきたのか?
そんな非現実的なことが本当にあるのだろうか?
クシュン!
その時、彼女は突然小さく、くしゃみをした。
「風邪、引いたか?」
こんな寒い中で、ただの着物一枚では体が冷えてしまうのも無理はない。
百合は小さく震えていたが、目を細め、申し訳なさそうに首を横に振った。
「……ちょっと寒いだけでございます」
「なに強がってんだよ、早くシャワー浴びてこい」
「シャワー? それは一体?」
「あー、水浴びのこと」
すると突然、満更でもない顔でこう言ってきた。
「主さんの背中を流して欲しいのでございますか? ならば、わらわ、喜んで……」
「いつ、二人仲良く入ろうって言ったんだよ。早く一人で浴びてこいよ。風邪引くぞ」
「っ! あまり、わらわに指図なさるでございません!」
「だって寒いんだろ」
しばらくして、髪を束ねずに自然に下ろした姿で百合が浴室から出てきた。
濡れた髪が肩に軽やかにかかり、ほのかに湿った香りが漂ってくる。
俺の貸してあげた服を着たまま、少し不安そうに自分の姿を見つめていた。
大きすぎるTシャツは彼女の華奢な体にはだぶだぶで、袖が長すぎて手が隠れてしまいそうだった。
「男の服しかないから悪いな」
「いや、苦しゅうはないのでございます。それで……いかがでございましょう?」
「いかがって、何が?」
「似合っているかどうか、ということでございます〜! 主さん、なかなか鈍いでございますよ!」
……パジャマに感想が欲しいのか?
しかも俺のパジャマだぞ?
現代の女の子も訳が分からないが、こいつの方がよっぽどかもしれない。
だが、言われてみれば、案外似合ってる……かも。
「はい、似合ってます」
「わらわは何を着ても似合ってしまう運命にあるのかもしれませぬわ!」
ずっとテンションが高くて、楽しそうだ。
「じゃあ、俺もちょっとシャワー浴びるから」
「承りましたわ」
「……あ、言っとくが、何も変なことすんなよ」
「言われなくとも、ここで退屈に待っておりますわ!」
シャワーを浴びる間、リビングからは彼女の明るい声が微かに聞こえてきた。
「アハハ、よろしい、よろしい!」
何、言ってんだ?
気になって覗いてみると、その理由が分かった。
テレビで深夜アニメを見てたのだ。
にしてもテレビの付け方、分かったんだ……。
「いけー!!」
「いけー、じゃないのよ。何してんの……」
「設定は謎でございますが、この動く巻物、なかなかに面白いものでございますわ!」
「動く巻物? これ、テレビって言うの」
「このお方、テレビと名乗るのでございますか」
◇◇◇
心スポで花魁を拾った次の日のこと――。
「はぁー、疲れた〜」
時刻も既に昼の十二時を回っていた。
俺は大学の二限を終えて、帰り道を歩いていたところだ。
河川敷を沿った長い通りを二十分ほど歩けば、俺のアパートだ。
普段なら、学食で昼飯を済ませてからのんびりと帰るところだが、今日は百合のことがなんだか心配だったので即帰宅ルートを辿った。
まるでペットを飼って初めて留守番をさせた時みたいな気分だ。
「大学に行ってる間、外に出るなよ」
そう、今朝、家を出る前に何度も念押ししたはずだが……。
「――お待ち申し上げます~~!!」
河川敷の方から、子どものような声が響いてきた。
元気がいいな。
と待て待て。
――この独特な喋り方、まさか百合じゃないか?
何してんだ……?
「おーい、百合!!」
「……主さん!!」
叫んでみると、ようやく彼女が俺を見つけた。
驚いたような表情を浮かべながら、河川敷の階段を駆け上がってくる。
「俺が大学に行ってる間、外に出るなって言ったよな?」
「だって……お腹が空いたんでございますもの……」
「だからって、どうして河川敷に?」
「出店を回ってみたのですが、あいにく小判を持っておりませんでしたゆえ、何も買えんかったんでございます……」
「だから河川敷に? コオロギでも捕まえて食べる気だったのか?」
少し茶化すように言うと、百合は顔を真っ赤にして反論してきた。
「あまり笑わぬでくだされませ! 空腹になると、わらわは理性を保てなくなるのでございます!」
本当にコオロギ、捕まえようとしてたんか……。
全く思いやられる。
しかも、昨日のパジャマのままだし。
まあ、似合ってるからいいんだけどさ。
「にしても、これからどうしようかな」
「なんですか? 悩み事でございますか?」
「お前のせいだよ……警察には行きたくないんだろ?」
「もちろんです! ケイサツという言葉の響きだけで身の毛がよだつのでございますわ!」
「そうだよな……。じゃあ、子どもっぽいし、児童相談所にでも行くか?」
「……?」
「いやでも、河川敷でコオロギ追っかけてたから動物の保護団体にでも預けるべきか?」
「……?」
ましてや花魁の保護団体なんてあるわけないしな。
いや、俺の知識の中には無いだけかもしれない。
とりあえず、スマホで調べてみるか……。
そう思いながらポケットからスマホを取り出した瞬間だった。
「何でございますの! この光るものは!」
「いちいち、好奇心旺盛だな……」
百合の目がスマホに釘付けになり、驚愕の表情を浮かべた。
「貸してください!!」
「ちょっ、やめろって」
抵抗は見せたものの、思った以上に力強く、俺の手からスマホをあっさりと奪い取られた。
「昨夜、閲覧していたテレビというものが、ひとしお小さくなったようでございますね」
百合は不器用に指で画面をカチカチと強く押している。
その姿がなんとも危なっかしい。
すると、不意に一つのアイコンが押され、画面が切り替わった。
――マッチングアプリだ。
大学入学時に、友人とノリで入れたアプリだ。
だが、特に思い入れもない。
消し忘れていただけだ。
「はーい、マッチングアプリはダメねー」
「なんですか! 何ぞ、イヤらしいものなのでございますか?」
「いや、イヤらしくはないけど……これは恋愛とか結婚相手を探すための道具で、お見合いみたいなことがこの光る画面でできちゃうってわけ」
「半分ほど言っていることがわからぬのでございますが……す、すごいでございますな! わらわは感心いたしました!」
「はい、はい」
スマホを取り返そうと手を伸ばす。
だが、その瞬間、百合はなぜか気まずそうに俺を見つめてきた。
まるで、何か言いたそうな顔だ。
「どうした?」
しばらく沈黙が続いた後、彼女がぽつりとつぶやいた。
「……わらわも、したいのう……まっちんぐあぷり」
「え……?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます