心霊スポットで花魁を拾った。
ハチニク
第1話 『花魁を警察に連れて行こう!』
江戸時代の忘れられた谷間、
そこは、身体が衰え、心身を病んだ者たち。
あるいは才能を咲かせることなく散った者たちがかつて送り込まれた場所。
かつて栄華を誇った花魁たちが、その運命を受け入れ、ただただ死を待った。
その跡地に現在、一筋の薄暗いトンネルが口を開く。
それは、決して立ち入ってはならない禁忌の場所。
古びた花魁の霊が今もそこに潜み、迷い込んだ者を誘い込む。
「た……すけ……て……」
誰もいないはずの静寂を破る、幽かな声。
◇◇◇
「うわぁぁっ!」
「アハハ! お前、ビビりすぎだって! もうトンネル抜けたじゃんかよ!」
その怪談話に悲鳴を上げた声の主は、大学の同期である
そして笑い声を上げたのは、
俺たちの大学サークルの先輩で、こういう肝試しには目がない人だ。
俺、
曰く、そこにはかつての花魁たちの霊が彷徨っているらしい。
「……で、どうだった? 怖かったか?」
「ビビり散らかしてんのは田臥だけですよ。俺は別に、こういうの信じてないんで、あれですけど」
「ったく、嶺紀はほんと、ビビらねえよなぁ! つまんねぇの」
「つまんない人間で、すんません」
皮肉を交えた返答は、至極当然だった。
そもそも、俺は望んでこの心霊スポットに来たわけじゃないのだから。
半ば強引に湯川先輩に連れてこられただけ。
先輩が俺と田臥を怖がらせて、楽しんでいるだけの遊びであって俺自身、楽しめるわけなどないのだ。
それに俺はそもそも心霊現象なんて信じてない点、怖がりようもない。
だからこそ、田臥は湯川先輩のターゲットにされた。
なんせ根からのビビリなのだから。
「よーし、そろそろ帰るか!」
田臥を驚かすだけ驚かした先輩が満足げな表情で宣言した。
俺たちは最寄りの駅に向かっていた。
一刻も早く帰りたい気分だったので正直、ありがたい。
幽霊が出るだの、花魁の呪いだの、どれもくだらない話ばかりで眠気さえ覚えた。
そんなことを考えながら歩いていると、俺は思わず立ち止まった。
「……あれ、財布がない」
ズボンポケットに入ってたはずの財布が無いのだ。
ポケットを探る両手には焦りが出ていた。
「あれれ〜? なんでだろうな〜」
湯川先輩がおどけた調子で言う。
その反応で俺はなんとなく安心した。
何か知ってるんだろうな、と直感したからだ。
多分だが、単に盗んだとかではない。
この人のことだ、もっと幼稚なイタズラに決まってる。
「実はな〜、お前の財布、トンネルのどこかに置いてきちまったんだよね〜!」
湯川先輩はいたずらっぽく笑う。
だが、まったく笑えない冗談だ。
俺は深くため息をついた。
「……勘弁してくださいよ」
「だってお前、全然ビビんねぇじゃん? もうちょっと、田臥みたいに可愛げがあってもいいんじゃねえか? ってなわけで、いってらっしゃーい!」
これはもはやイジメだ。
俺も田臥みたいにビビりキャラを演じていれば、こうなることもなかったのかもしれない。
だが、それでも構わない。
別に心霊が怖いわけでは無いのだから、ただトンネルに戻って財布を取ってくるってだけの話だ。
「気を付けてね、嶺紀くん……」
「別に、平気だから」
田臥の心配そうな眼差しが痛々しい。
まったく余計な心配だ。
むしろ、俺はお前の方が心配になる。
どんな教育を受けたら、この歳になっても幽霊だの怪異だのを純粋に信じられるんだ?
同じ大学に通ってることが恥ずかしいくらいだ。
◇◇◇
再びトンネルに戻ってきた。
なんだか重苦しい空気が全身にまとわりついた。
普通のトンネルであるのは間違いないはずだが、その背景にある心霊話をされれば、多少は妙な不安を感じざるを得ない。
息を吸い込むたび、喉に痛みが走るほどの冷たさが肺に染みわたり、寒気がする。
ただ、これは霊の仕業とかではない。
冬だからだ。
冷たい風が吹き抜けているだけだ。
そんなことよりも問題は財布。
先輩がどこかに隠したはずだが、あまり目立つ場所には置いていないだろう。
誰かに盗られでもしたら洒落にならないからな。
「……あった」
トンネルの反対側。
出口の近くの角にひっそりと置かれた財布が目に入った。
思ったよりも簡単な場所に隠してあったようだ。
もし誰かに盗まれでもしたら、一体、湯川先輩はどう落とし前をつけるつもりだったんだろう。
「……た……すけて……」
「え……?」
財布を手に取った瞬間、耳元でかすかに声が響いた。
助けを求める声――そう聞こえた。
また、湯川先輩がからかいに戻ってきたのか。
「どこですか〜先輩? いるのバレてるんすよ〜」
トンネルの反対側は薄暗く、街灯もほとんどないせいで、ぼんやりとした影しか見えない。
トンネルの出口から携帯のフラッシュライトを点けて辺りを照らした。
光が届いた先、膝を抱えた人影がぽつんと佇んでいた。
人間に見えた。
「……先輩?」
でも無さそうだ。
湯川先輩ではない。
もっと言えば、田臥でもない。
雪のように白い肌。
まるで鏡のように、自分が写ってしまいそうなほどに光沢のある黒髪が肩口から長く流れ落ちている。
そして、艶やかな深い茜色の着物を着用してる。
すると突然、冷たい風が再びトンネルを吹き抜け、彼女の着物の裾を揺らした。
湯川先輩も田臥も、どちらも髪は茶色に染めているし、第一にこんな和装はしてなかった。
それに、ここにいるのは、確かに――女だ。
「あの……大丈夫ですか?」
その声に反応するように、彼女が静かに顔をこちらに向けた。
フラッシュライトの光を浴びた彼女の瞳。
涙の跡を残して潤んでいた。
微かに震える肩。
乱れた黒髪が彼女の白い頬にかかっている。
彼女は泣いていたのだ。
何かに怯え、ひどく傷ついているように見える。
もしや、幽霊か?
だが、幽霊なんて非科学的な存在、いるはずがない――。
そう思ったが、その真相を確かめざるを得なかった。
俺はそっと指を伸ばして、彼女の頬をツンと突いてみた。
この温もりと柔らかさ――明らかに生身の人間だ。
「っ! ……何をなさるのですか!」
驚いた彼女は少しあたふたしながら俺の手を払いのけた。
「触れるってことは、生きてんのか……」
幽霊に出会ったかもしれないという興奮は一瞬にして冷め、そのがっかりした気持ちも、思わず口から漏れてしまった。
「……まだ死んでおりんせんよ」
冷たい呆れを帯びた言葉だった。
その表情は先ほどの涙を流していた姿とは一変し、不服そうな眼差しで俺をじっと見つめている。
それにしても、生きていると分かると、状況が一層厄介になった。
「迷子か? お前、家がどこにあるかわかるか?」
「お、お前!? わらわは花魁でございまするよ! もう少し敬意をお示しなさい!」
「花魁? 江戸時代の?」
「はい、主さんの言う通りでございます」
「何、バカなこと言ってんだ」
何をとぼけているのかは分からないが、自称、花魁のこの女は、警察に届けた方が良さそうだ。
「めんどくせえ。警察に連れてくから、立て」
「警察……? とはいったい何でございましょう?」
気難しい性格だけじゃなく、バカでもあるのか。
飛んだお嬢様気質だ。
まあ、何だっていい。
話が通じない相手に対話なんて無意味だ。
こういう場合は無理に連れていくだけだ。
「よいしょっと」
「な、何をする、この無礼者! その煩わしい手をわらわから離しなさい!」
彼女を肩に担いで、近くの交番に預けることにした。
「その、ケイサツとやらには連れて行かないでおくれ〜! わらわ、怖いのでございます〜!!」
「うるさい」
「な! うるさいとは何事でございますか!!」
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