酢で人を助けたい。
HATI
第1話 飢餓という地獄
この世で最も恐ろしいのは、飢えだと思う。
一度知ったら、二度と忘れることはできそうもないほどの恐怖と苦しみ。
不作が三年続いた今年、長年蓄えていた村の食料がついに尽きた。
とっくに生きていく分には足りなくなっていたのだが、それでもなけなしの量を分配して一日に一口は何かを食べられた。それも昨日までの話だ。
よく食料の奪い合いにならなかったと思う。
噂に聞いた話では、生き残るために争いが起きて半分以上の死人が出た村もあるとか。
だが彼らはもしかしたら生き残るかもしれない。
うちの村では争いが起こらなかった代わりに全員が飢えた。
どちらが正しいのかは正直分からない。
飢えは道徳すら虚ろにしてしまう。
「村長、領主様はなんと」
「今年の税は全て免除してくださるそうだ。だが、食料の支援は不可能だと」
「そうか……」
村長の家に集まった皆が崩れ落ちる。
領主様に何とか助けてもらえないかと出した使いが戻ってきたのだ。
しかしその返答で僅かな希望も断たれた。
税の免除が領主様からすれば破格の内容なのは理解している。
だが、今欲しいのは僅かな食べ物なのだ。
それが全てだ。
誰もがやせ細っており、栄養が足りてないのは明らかだった。
子供たちに食料を優先したので大人のやつれっぷりはひどい。
それでも子供たちに満足な分は足りていないのだ。
「草でも食うしか……」
「やめておけ、周囲で採れるタンポポやスベリヒユは食べ尽くしちまった。残っているのは家畜に食わすような牧草だけ。それを食うと腹を壊すし苦しむだけだ。薬師の婆さんが言ってただろう」
「食わす家畜もいない。ひもじいよりはマシだろう」
「落ち着け。あと少しすれば芋の時期だ。その収穫まで耐えられればなんとかなる」
「それはそうだが村長、もう皆限界だぞ。とてもじゃないがそれまで待っていたら……」
男はそこから先を言うのを止めた。
分かってはいても口に出して言うのは憚られたのだ。
雰囲気を感じ取ったのか母親に抱かれた赤ん坊が泣きだす。
だがその泣き声すら力がない。
母親も抱いた子供をあやすだけの気力を失っていた。
「まだ体が動くうちになんとかして魔物を狩れば肉が食べれるだろう」
「バカを言うな。俺たちが食料になるだけだ。不作は魔物が住む森や山だって影響しているんだぞ。痩せて腹が減ってさぞ気が立っているだろうよ。借りに狩れてもまともな肉はとれない。だから近くの森だって奥には入れないんだ。忘れたか」
「そうだった。そうだったな……悪い、頭が働かないんだ。ずっと腹が減って気が散る」
肉食の魔物が獲物を求めて縄張りの外を徘徊している。
そのせいで遠くへ川に魚を取りに行ったり、野草で糊口をしのぐのも難しい。
退治するために冒険者を雇う金もない。
ただの小さな村でできることには限界があった。
だからこそ領主に助けを求めたのだが……。
食べるのを我慢して種芋を保存してはいるが、これを植えて収穫するまでは文字通り何も食べるものがない。
「皆、家に戻ってなるべく体力を温存するんだ。すまんが、今はそれしか言えん」
村長の家から自宅へと戻る。
妹が出迎えてくれた。
奇麗な顔だったのに痩せこけてしまっている。
「兄さん、どうでした?」
「ダメだった。支援はできないとさ」
「そうですか……」
落胆するのは分かっていたので真実を伝えるのは苦しかったが、嘘を言ってぬか喜びさせる方が傷つくだろう。
空腹がひどくなり、胃腸がキリキリと痛む。
水を流し込んで誤魔化そうとするが、効果はほとんどなかった。
一瞬気を失いそうになり、妹が支えてくれるが危うく一緒に転びそうになった。
力がろくに入らないのだ。
このままでは村から餓死者が出るのも時間の問題だろう。
周囲を確認し、箱を開ける。
箱の中には限界になったら食べようと保存していたパンが入っていた。
親指分ほどしかなく、乾燥でカチカチに固まっているがこれが最後の食料だ。
「リナ、これを食べるんだ。今日一日くらいは空腹がマシになるだろう」
「兄さん、それは最後のパンじゃないの……兄さんが食べて。芋を植える時は男手が必要でしょう」
「それまで持たない。ならせめてお前が一日でも長く生きてくれた方が」
「やめて。それ以上言わないで」
どんよりとした空気が部屋に満ちる。
行き場のない閉塞感が心身を襲うが、解決する術が何一つなかった。
パンは相談の末半分に分けて食べたが、腹の足しにすらならない。
それから数日。村長の言う通り、ただジッと耐えた。
家の近くにある草を見るだけで唾液が出るほど腹が減っていた。
いっそ食べてしまおうかと思い齧ったがあまりの苦みに吐き出してしまう。
はは、と乾いた笑いが出た。
笑うしかなかった。
こうなったら無理にでも森に入って食べ物を採ってくるしかない。
小麦を刈る際に使用する鎌を取り出し、よろけながら外に出ようとする。
「兄さん、何をやっているの!」
「止めるな、森に入らないとこのままじゃ」
妹と押し問答……すらできる体力はなかった。
二人して座り込む。
立ち上がる気力も尽きてしまった。
そんな時、村の中央にある鐘が鳴った。
回数は三回。緊急時に招集する時用の合図だ。
何だろう。時間をかけて立ち上がる。
「行ってくる。お前はベッドで少しでも体力を温存するんだ」
一歩も動きたくはなかったが、こんな時に招集するなんてただ事ではない。
どの道希望にすがる以外にできることはなかった。
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