第8話 シハ砂漠

 俺は国を出た経験があまりない。小さい頃、アストリアに一度連れてってもらったことはあるけど、それ以外には全く機会がなかった。まぁ親父には王冠を守る任務があったからあれでも相当譲歩してくれた方なんだろう。


 というかそもそも旅が初めてなんだよな。正直、本の中でしか見たことがなかったキャラバンに乗ってるだけで結構気持ちが昂ってる。まだ昼前だけどもう夕食が待ちきれない。落ち着け……基本的に飯は逃げない。待ってればちゃんと出てくるはずだ。今はとりあえずこれだな。


 俺はかばんの中から一冊の本を取り出した。


「何それ?」


「国ごとの文化とか、特色とかをまとめた本……らしい。親父が役に立つかもって書いててさ。正直、ざっくりとしか外国の知識がないから今のうちにある程度勉強しておいた方がいいかなって。」


「『万国彩景』か。少し古めの本だが、悪くない。必要最低限の知識は得られると思うよ。」


「ローエンさんは読んだことあるんですか?」


「文化的な側面が裁判では重要になることもあるからね。一応、その手の本は一通り抑えているよ。何なら要約して……いや、やめておこう。私も少なからず先入観を持っているだろうしな。」


「あはは。まぁ大丈夫ですよ。アストリアにつくまでに結構時間ありますし、気長に読んでみます。」


「どちらかというとレオフェルドの部分を先に読んでおくことをおすすめする。」


「レオフェルド……」


 今回キャラバンの経由地になっている国だ。正直、治安の面で悪い噂が多い国ではある。それもあって当初はオルドリスから直行でアストリアに向かう予定だった。最近はあんまり大きい事件の話は流れてこなくなったけど……


 えーっと……あった。


 レオフェルド、国土はオルドリスの約二倍くらい。夜になると山脈の影に覆われて一気に気温が下がり、国のほとんどの地帯で濃霧が発生することから『白幻の国』とも呼ばれている。その気候に対応するために開発されたレオフェルド製の煉瓦は断熱性や頑丈さに優れていて、各国で建材として用いられている……か。


 当然だけど、犯罪率とかそういうのは載ってないな。まぁ載ってたらそれはそれで嫌だが。


 せっかくだし、この辺は専門家に聞いてみるか。


「あのー、ローエンさん。一つ質問なんですけど、レオフェルドって結構事件のニュースが多かったじゃないですか。あそこってやっぱり治安が悪いんでしょうか?」


「治安が悪い、か。事実、確かにあの国は犯罪の温床となっている部分はある。でもレオフェルド人は温厚で善良な人が多いよ。犯罪の原因はどちらかというと気候の方にある。」


「気候って……濃霧のことですか?」


「そう、あの濃霧は身を隠すにはうってつけだからな。よく国際手配された大罪人が逃亡先に選ぶという話を聞く。それに薬物の売買や受け渡しの現場に選ばれることも多い。レオフェルドの人たちは甚だ不憫と言うほかない。」


 可哀想すぎるだろ、レオフェルドの人。


 でも気候を変えるのは魔術を使っても流石にきつい。受け入れるしかないのかな……


「君たちは特に気を付けたほうがいいかもな。」


「えっ?」


「当然だろう。帝国に追われてる身なんだから。オルドリスから撤退した今、付近の国に部隊を配置してる可能性も十分に考えられる。それにレオフェルドの霧の中じゃたった二人攫われたところでほとんど騒ぎにはならない。闇討ちにはこれ以上ない好条件さ。」


「そ、それじゃローエンさん。もう一度私たちの未来を見ていただけませんか。それなら……」


「残念だが、あの能力は私には手が余るものでね。少し使うだけでも膨大な魔力を消費してしまう。それに見た対象に自動的に能力が発動してしまうからこうして眼帯をつけておかないといけない始末だ。さっき広場で君たちも含め、何人かに能力を発動させてしまった。今日はもう使えないと思ってほしい。」


「そうですか……すみません。」


「回復したら見てあげるよ。ただ、より先を見ようとするとそれだけ多量の魔力が必要になる。見るのはレオフェルドに到着する直前が望ましいだろう。」


「レオフェルドまではどのくらいかかりますかね?」


「この速度なら順調に行けば二日後、天候に恵まれずとも四日後にはつくと思う。心配いらないよ。そのぐらいあれば十分回復できる。」


「そうですか。それならよかったです。」


 そのとき、ふと車輪の出す音が変わったことに気づいた。


 さらさらとした感じの音だ。砂漠に入ったのか。確かに少し熱くなってきた感じがする。


 言い伝えによれば数百年前の戦争で使われた神器の影響で大陸の至る所に砂漠が出来てしまったんだとか。元々国土のほとんどが森林だったオルドリスにもその名残がある。俺たちが今通ってるシハ砂漠もその一つだと言われている。まぁ明らかに周囲の気候と合ってないし、多分そうなんだろう。


 それにしても数百年にわたって気候そのものを変化させるとか、規格外すぎるだろ。こんなの人間がどうこう出来る代物じゃない。神器は未来永劫封印しておく必要がある。


 そのための王冠だったのに……もういっそ出来ることなら全部壊した方がいいんじゃないか、神器。


 ……いや、本当にその通りじゃないか。封印なんてまどろっこしいことするよりも破壊した方がはるかに手っ取り早い。結果的に未来永劫使えなくなるわけだし。おとぎ話の王様はなんで神啓エクリプスにわざわざ封印する術を聞いたんだ?


「…………」


「カイ? どうしたの、そんな難しい顔して。」


「いや、何つーか根本的な疑問なんだけど……っ!?」


 そのとき、車体がいきなり止まった。あっぶねぇな、舌嚙むとこだったぞ。それなりのスピードで走ってたから座ってても結構よろめいてしまった。アリスとローエンさんは驚いていたけどほとんど体勢を崩していない。自分の体幹の弱さが憎い。


「なんだよ……いきなり。」


「何かあったのかも。私見てこようか?」


「いいよ、また走り出したら今度は戻るのが面倒だし。」


「だが深刻なものだったらマズい。地竜が怪我をしてしまったなら、旅程は大きく遅れることになる。」


 確かにそれはまずい。キャラバンを引っ張ってる地竜は確かレガディア産の品種だったよな。あの品種は頑丈だし体力も多いしで長距離の移動で重宝されている。でもレガディアの地竜って全速力で岩に突っ込んでもけろっとしてるほど外皮が硬いことで有名だろ。砂漠地帯で怪我なんてするか?


「まぁ杞憂だとは思うが一応ね。」


 ローエンさんも同じ意見っぽいな。まぁ多分何か連絡が来るだろ。


「すみませ~ん。聞こえていますか?」


「あっはい! 大丈夫です! 聞こえます!」


 前の客車から声がする。連絡が来たみたいだ。


「片方の地竜が流砂に足を取られてしまったらしいです。少し停止しますが準備出来次第またすぐ動き出すみたいなので待っててほしいとのことです。」


「わかりました! ありがとうございます!」


 なるほど、それならまぁあり得るよな。それじゃ、俺も後ろに伝えないと……


 俺が席を立とうとすると、ローエンさんが静かに制止した。


「私たちの後ろは客車じゃない。最後尾の客車にはキャラバンの団員が乗っている。おそらく事態もハンドサインか何かで確認しているだろう。連絡の必要はない。」


「あっなるほど。」


「気長に待とうじゃないか。それより、さっき何を言いかけたんだい?」


「へ?」


「キャラバンが止まる前だよ。何か言いかけてただろう。」


「あぁ、えっと……」


 俺は再び話し始めようとした。でも次の瞬間、


「うわっ!?」


 今度は逆方向に倒れてしまった。マジで舌噛むって、これ。


「なんなんだよ! もうちょいゆっくり……」


「いや、ただ発進したわけじゃないようだ。明らかに速度がさっきよりも上がっている。」


「あ、確かに……」


 しかも大きく旋回するような動きをしている。流砂を迂回してるのか……いや、それにしてはさすがに角度が急すぎるような気がする。体感でもがっつり直角以上に曲がっている。


 そう考えていると唐突に「カーン! カーン! カーン!」と鋭い鐘の音が聞こえてきた。


「これって……」


「非常事態の合図だ。何かあったみたいだな。」


「少し先頭のあたりを覗いてみますか。」


「あぁ、それもいいかもしれない。何もわからないとむしろパニックになりやすいからな。あまり体は乗り出さないように気を付けてね。」


「わかってます。」


 俺は客車の乗車口の部分の布を少しめくって先頭の方の車両の様子を確認した。布の隙間からさらさらと砂が流れ込んできて、少し見づらかったけどキャラバン自体には特に変わった部分はなかった。


「あんまり車両に異変は見えませんね……」


「それじゃ……魔獣とかだったり?」


「シハ砂漠にか? さすがにいないって信じたいけどな。」


「カイくん。残念だけど……」


 ローエンさんは外を覗きながらそう言った。ローエンさんが覗いているのは俺とちょうど逆方向、つまりキャラバンが向かっているのと逆の方向だ。


 ローエンさんに促され、同じように俺とアリスはそこを覗いた。


 すると数百メートルほど先から砂塵を巻き上げて迫ってくる灰色の細長い物体が見えた。その物体は砂の中に潜っては勢いよく飛び出す、という動きを度々繰り返していた。


「あれ、まさか……」


「あぁ……」


 よく見るとその物体は巨大なミミズのような造形をしており、時折ばっくりと口を広げて真っ赤な口腔と不均一に配置された黄ばんだ歯牙を見せつけていた。


 あのおぞましい造形は何度も本で見たことがある。間違いない。


「「「サンドワームだ……」」」


 俺たちは目の前の現実を受け入れきれず、虚ろな様子でその生物の名を発することしかできなかった。






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