第9話 叡智の刃

 サンドワーム。


 神話にも出てくるせいで空想上の生き物だと思っている人も多いが、ちゃんと現実に存在する生物だ。地方によっては神の使いだとか悪魔だとかいろんな呼び名がある。ミミズにアホみたいにデカい口がついたような何とも気色の悪いその姿は、世界中の幼子に拭い難いトラウマを植え付けたことだろう。


 主な特徴は「デカくてよく食べる」、これに尽きる。


 体長は個体にもよるけど最低でも数百メートル、記録上最長なもので確か数キロメートル……だったか。直径は大体数十メートル、これがほとんど口の大きさと同じって言うんだから驚きだ。


 その大きい口でサンドワームはなんでも食べる。木も土も岩も鉄も、そして……生き物も。サンドワームとは言うものの砂漠以外でも活動は出来るようで、山奥の村を丸ごと飲み込んだという事例もあったらしい。


 そんな化け物が今、俺たちの数百メートル後方まで迫って来ていた。


「なんか、だんだん近づいてきてない!?」


 アリスの言葉を聞いて俺は砂埃が吹きすさぶ中、目を凝らしてじっくりとサンドワームの方を見た。


 ……本当だ。ゆっくりではあるけど、確かに距離が縮まってる。


「やっ……ばくないか。コレ……」


「このまま行くと十分足らずで追いつかれるだろうね。」


「そんなっ……」


「落ち着いて。あくまでこのまま行けば、だよ。キャラバンの商人を舐めない方がいい。もちろんサンドワームに遭遇するのは想定外だっただろうけど、無策で逃げ回るようなことはしないだろう。」


 確かにキャラバンの商人たちは腕が立つという噂はある。でも、それは武術的な面での話だ。あんな化け物に対抗する策が本当にあるっていうのか?


 そうこうしてるうちにもサンドワームは迫ってくる。策があるにせよ、早々に対応しないと手遅れになるぞ……!


「……ん?」


 ぽつっと頬に冷たいものが触れた。これは……雨?

 でも、まだここ砂漠だよな。雲も見えない…………っ!?


「なんだ……あれ……」


「えっなに? どうしたの?」


 俺はキャラバンの上空を指さした。その方向を見てアリスは俺と同じような反応をした。


 信じられないことにキャラバンの上空に湖と同じ程の量の水が、球体となって浮かんでいた。


「すごいな。創成魔術か。」


 ローエンさんはその水を見ても特段驚いていない様子だった。


「創成魔術?」


「うん、物質そのものを魔力から作り出す魔術のことだよ。その分、魔力の消費は大きいけど一度作ったものは消えないから結構便利なんだよね。それにしてもここまでのものは初めて見たな。キャラバンにも相当の使い手がいるみたいだ。」


「でもこんな水を作ってどうするつもりなんでしょう?」


「そうだな~いろいろ考えられるけどまず間違いなくサンドワームへの対策であることは間違いない。面白いものが見れるかもよ。」


 ローエンさんは肝が据わっているのか、それともこういう修羅場に慣れ過ぎて神経が麻痺しているのかは分からないが、いつもと同じように落ち着いた様子だった。俺とアリスからしてみればその平常さが何よりも異常に感じる。


「水なんかでサンドワームの対策になるんですか?」


「そうだね。これだけの量があればサンドワームを倒すのも十分に可能だろう。」


「倒す!? 撃退じゃなく、討伐するってことですか?」


「あぁ、その通りだ。カイくんはサンドワームに関する文献を読んだことはあるかな?」


「……文献、と言うほどのものは読んでないです。」


「そうか。エルダリオンに着いたら国立図書館に寄ると良い。あそこには図鑑も多く所蔵されているからね。あぁすまん、話が逸れた。サンドワームの話に戻ろう。砂漠地帯の近くに住んでいない人たちは未だにサンドワームのことを神話にも出てくるとんでもなく恐ろしい生物、って感じに認識してることが多い。遭遇することがまず少ないからね。」


「違うんですか?」


「確かに一生物としての生存力や身体能力には目を見張るものがある。でも最近の研究で致命的な弱点もいくつか発見されてきたんだ。」


「その一つが、水……ってことですか。」


 ローエンさんは静かにうなずいてまた喋り始めた。


「昔の賢い人たちはこう考えたんだよ。『なんでわざわざ砂漠に生息しているんだろう』って。もちろん、砂漠以外でも観測はされていたけどそれはごく稀な話。基本的にサンドワームは砂漠から離れることはない。」


「……なるほど。水分を嫌っていたってことですか。」


「そういうこと。そうでなければあんな大食いなのに食べれるものの少ない砂漠に陣取る理由がないからね。特にサンドワームの外皮は水分を吸収すると途端に脆くなってしまうらしい。」


「そうか! それでキャラバンの人はサンドワームに水をぶっかけようとしてるんだ!」


「……でもそれって結構難しそうじゃない?」


 アリスは怪訝そうな顔で疑念を示した。


「見てる感じあのサンドワーム相当大きい個体みたいだし、これだけ大量の水でも風とかで散る分を考えたら十分に弱らせるのは厳しいと思う。」


「確かに……」


「……君たちは賢いね。」


 ローエンさんは俺たちの顔を見てかすかに微笑んだ。


「そう、おそらくその方法は失敗する。過去に失敗した事例も多く存在するし。多分商人たちがやろうとしてるのはもっと簡単な方法だと思うよ。」


「もっと簡単な方法……?」


「うん、そのためにここまでサンドワームを引き付けたんだ。」


「「え"」」


 俺とアリスは急いで後方を覗いた。もう既にサンドワームの口が百メートルにも満たない距離まで迫っていた。


 ローエンさんの話に気を取られ過ぎた……もう、こんな近くまで来てるなんて!!


「心配はいらないよ。。もうそろそろだろう。」


「もうそろそろって何のこと言ってるんですか!!」


「見てれば分かるよ。ほら。」


 そう言うとローエンさんは客車にかかっていた遮光用の布をめくった。


 そこから見えた光景は異様だった。宙に浮いていた大量の水が渦状になってサンドワームの口へと送り込まれていたのだ。


「みっ、水を……飲ませてる?」


「そうだよ。水を飲ませてる。それだけ。」


「もしかして、毒を入れてたんですか。」


「いやいや。サンドワームの胃袋は頑丈だ。毒なんて通じないさ。あれは君たちも飲める正真正銘純粋な水だよ。」


「それじゃあ、なんで……」


「君たちは水中毒って言葉、聞いたことある?」


「水中毒……?」


「まぁあんまり聞かないよね。水中毒っていうのは単純に言うと、短時間のうちに許容量以上の水を飲んで血の成分が薄まる症状のことを指すんだ。」


「それをサンドワームの体内で起こそうとしてるんですか? でも流石に水の量が足りないんじゃ……」


「さっき、サンドワームが水分を嫌う話はしたよね。あれは外皮だけじゃなく、内部組織も水に弱かったからなんだよ。サンドワームの肉体は水分をほとんど使わずに魔力を動力源としてる。水も摂取しなきゃいずれは死ぬだろうけど、それでも極々微小な量で事足りる。」


「……そうか! ということは!」


「そう。サンドワームはあんなでかい図体なのに、体の百分の一くらいの水を飲んだだけで死に至ることもある。今送り込んでる水は明らかにそれを超えている。」


 サンドワームの速度は水を飲んでいくにつれて段々と下がっていた。


「もうそろそろだろう。直に動かなくなる。」


 ローエンさんの言う通り、サンドワームはそれからすぐに動かなくなって、大きく開いていた口を力なく閉ざした。


 他に何もない砂漠の真ん中で横たわるサンドワームの姿は何とも物悲しかった。俺たちはこいつに食われかけた。殺したのは正当な防衛と言えるだろう。それにも関わらず、俺は少しの罪悪感を感じた。

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