第2話 平和の終わり
コンコン、と玄関のドアを叩く音が鳴る。ドアを開けるとロン爺が立っていた。
「入れてもらえるか?」
俺は何も言わずにうなずいて昨日と同じようにロン爺を招き入れた。
「さて、単刀直入に聞こう。カイ、お前はこれからどうしたい?」
「俺は……」
答えは決まってる。他人からすれば馬鹿げた判断かもしれないけど、この手紙を読んだロン爺なら理解してくれるだろう。
「行くことにしたよ。帝国の好きにはさせたくないしね。」
「……そうか。」
「まぁ、『世界の平和を守る!!』みたいな大層な動機じゃないよ。親父にもバレてたけど、外の世界に興味があったからね。復讐と旅行が一気に出来るならお得じゃん、って感じのしょぼい理由だ。」
「フン、世界の命運の一端を任されたというのに何とも無責任なものよ。だがそれも親父さんが望んだことだ。」
「びっくりしたよ。見透かされてるみたいだった。」
「親というのは得てしてそういうものだ。まぁいい。出発はいつにするつもりだ?」
「実は今日の昼頃に荷造りは済ませちゃったんだよね。行くなら早い方がいいでしょ。」
「子供のころから変わらんな、そう言ったところは。だが、早い方がいいのは事実だ。それなら明日にでも出発しよう。ちゃんと手紙は入れたか?」
「当然。ロン爺はついてきてくれるの?」
「残念だがわしにそんな体力はない。代わりに護衛としてアリスをつけよう。」
アリス……? 今確かにアリスって言ったよな。
確かにあいつは馬鹿だけど武術の腕前はとんでもなく高い。護衛としてはまぁありではある。いやというかそんなことより……
「あいつもこのこと知ってんのか!?」
「親父さんの死がわかったときから既に準備させていた。お前が行かずともあの子は行かせるつもりだったからな。」
「というか、いつの間に祖先の話してたんだよ。」
「訓練を始めたあたりだから……大体八つか九つのときだな。」
「なるほどね。それで俺には口止めしていた、と。」
「すまなかったな。」
まぁ、それも親父に言われてたからなんだろうけどさ。
「いいよ。そんじゃ出発は明日にしよう。二人旅だとちょっと気まずいかもだけど。」
「そんな間柄でもなかろう。」
「最近はそんな話す機会もなかったから。」
「ちょうどいい機会じゃないか。幼馴染同士また仲良く────」
「……ロン爺?」
何だ? ロン爺の様子がおかしい。いきなり険しい顔つきになって、黙り込んじまった。どこか具合でも悪いのか?
「どうしたんだよ、ロン────」
「シッ! 静かにしてくれ。」
「…………?」
ロン爺、顔色が悪いぞ。やっぱりどこか具合が────
「カイ! 今すぐここを出ろ! 早く!」
「え? どうしたんだよ急に。」
「まずいことになった……わしの感知が正しければあの晩と同じかそれ以上の人数の部隊が村に迫っている。」
「は!? それって……」
「……帝国だろう。何か新しい情報を掴んだのかもしれん。」
「新しい情報……まさか!」
「あぁ、帝国にとっての危険因子、すなわちわしらの存在が感づかれた可能性がある。」
マジかよ……こんな短い間にもう一度襲撃してくるなんて考えてもいなかった……!
「ロン爺、俺はどうすれば……」
「ひとまず荷物をまとめて外に出ろ。敵の規模と配置からして村全体を狙った襲撃である可能性が高い。それなら、敵は包囲網を敷くはずだ。部分部分の人数は少ない。わしと
「でもそれって……!」
「……これしかない。元より覚悟は決まっておる。お前よりもずっと前からな。倅も分かってくれるだろう。さぁ早くしろ。わしはアリスたちに事情を話しに行ってくる。」
そう言ってロン爺は出て行ってしまった。
俺はまとめた荷物を持ってすぐに家を飛び出した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
……!!
家を飛び出した直後に異変に気付いた。暗くてわかりづらいが、空に不自然な幾何学模様が刻まれていた。その模様は村を囲む森のところまで伸びていた。
本で昔読んだことがある。これは結界の一種だ。
結界の内側と外側を断絶することで結界の内側の出来事を外側からは認識できなくなる。帝国はこの襲撃を完全になかったことにするつもりだ。
「そんなに条約が怖いかよ。クソが!!」
そうこうしていると、ロン爺がアリスとアリスの父親を連れて戻ってきた。
「ロン爺、この結界……」
「あぁ、わかってる。だが、心配はいらん。必ずお前たちは外へ逃がしてやる。」
「アリス、作戦は分かっているな。」
「うん……」
アリスのあんな顔を見るのは何年ぶりだろう。
当然だ。この作戦は俺たち二人だけを逃がすためのもの。すなわち、ロン爺とアルバさんは……
「泣くな、娘よ。お前はお前の使命のために命を燃やせ。」
「お前が生まれてから十七年間、本当に幸せな時間だったよ。アリス、元気でな。」
三人は強く、強く抱き合った。アリスは顔をぐしゃぐしゃにしながら泣いていた。
やがて森の中からぽつぽつと火の明かりが灯った。
アリスたちは明かりに気づいて森の方へ向き直り、ロン爺は森の一点を指さした。
「抜けるのはあそこだ。あの周辺が最も人数が少ない。一気に抜けるぞ。」
俺たちはうなずいて、走り始めたロン爺の後を追った。
「えっ、あれ……」
火の玉……だよな。森から撃たれてたぞ。
この軌道……あの家に当たっちまうぞ!!
「構うな。もうわしらにはそんな余裕はない。結界を抜けることだけ考えるのだ。カイ、理解するのだ。既にもう、平和は終わった。」
……俺は振り返ることをやめた。
背後から断末魔が聞こえてくる。おそらく家ごと焼かれた人たちのものだろう。次々とその声は増えていって、やがて村そのものが焼かれて苦しんでいるような感覚がした。
全力で走っているはずなのに、足がふわふわと浮いていくようだった。息が上がっているはずなのに、体中の血が冷えていくようだった。
怖い。こんなにも『死』が近くにあるなんて。
ここは、ここは地獄だ。それ以外の何物でもない。
さっきまであんなに、あんなに楽しく話していたのに…………
「そろそろだ。会敵するぞ。カイはわしの後ろに、アリスはアルバの後ろにつけ!」
ロン爺の声ではっと現実に戻された。
そうだ、俺は生きなきゃいけないんだ。こんなところでビビって逃げる機会を失ったら、ロン爺や村の人たちは無駄死にだ。何が何でも生き延びてやる……!
「くるぞ!!」
ロン爺がそう言うと正面に五人の兵士が見えた。兵士たちの並びはまばらで、俺たちが接近するまでよそ見をしているようだった。
「お、おい……あいつらは!!」
「逃亡者だ! 信号弾を上げろ!!」
兵士の一人が俺たちに気づくとすぐさま隣にいた兵士が信号弾を打ち上げた。
「鈍いわ!!」
何が起きたか、俺には全くわからなかった。
ロン爺が声を上げた瞬間、目の前にいた五人の兵士が一人残らず後方に吹っ飛んで木に激突した。兵士は全員気絶したようだった。
「もしかしてこれ、戦闘用魔術か?」
「……あぁ、一生使うことはないと思っていたがな。」
ぜぇぜぇと息を粗くしながらロン爺は薄く笑った。
ロン爺は今の一発で相当体力を消耗したみたいだった。
「この調子なら行けそうだな。」
「あぁ、帝国も人手不足のようだな。あんな素人を戦場に持ってくるとは。まぁ、わしも似たようなものではあるが。だが信号弾を撃たれた以上、急がねばなるまい。結界の縁へ────」
その時突然、大きな鈍い音がした。何かが潰れるような、そんな感触の音だった。音が聞こえた直後、水滴が俺の顔にかかった。最初は雨かと思った。だが、水滴を指でぬぐってみるとそれが赤く濁っていることに気が付いた。
「これ……って。」
「カイ! アリス! 結界の縁まで今すぐ走るのだッ!!」
ロン爺の声が頭にこだまする。
何が起きたかさえ気づいていなかったのか。いや違う。気づこうとしなかったのだ。俺とアリスは真っ先に気が付いたはずなのだ。だが咄嗟に防衛本能が働いたのだろう。俺たちは気づくことをやめた。
顔と衣服が血まみれになったアリスは俺以上に呆然としていた。
当たり前だ。信じられるはずがない。受け入れられるはずがない。
たった今、目の前で、父が腹を貫かれてしまったのだから。
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