第16話

香坂 永斗が目を覚ます数時間前。


模擬戦を終え、観戦していた2年、3年の姿も既になく。

八坂 亮はベンチに座りグラウンドを眺めていた。


模擬戦後、彼も一時手当の為に保健室に連れていかれたが、一撃を受けた脇腹の治療を終えた後は早々にその場を後にする。

そして何となしに戻ってきたグラウンドのベンチに座り、今に至るのだった。


「………」


模擬戦により抉れ、隆起していた地面もとっくに整備され闘いの跡は綺麗さっぱりとなくなっている。




「………何しに来やがった」




視線を向けるまでもなく、気だるげに投げ掛けられた言葉の相手は相変わらずの冷めた表情をしている。

距離を開けつつも、彼の隣に柳生 刹那が立つ。


「あなたを笑いに来たわ」


彼女とて視線を向ける事はない。

亮と同じようにグラウンドを眺めながら淡々と言った。


何時もの彼ならば、きっと噛み付かん勢いで言い返していただろう。

上から目線で、癪に障る話し方、此方を小馬鹿にする態度にも辟易とする。

しかし今は、そんな言葉に対して何ら湧き上がるものがなかった。


「勝ちはした。けど、それだけね」

「………」

「香坂くんにいい様にされていた。その自慢のパワーも利用されながらね」

「………」

「彼の兵装解放の2種同時使用の流れも、鮮やかだったわ。2か月ちょっとで基礎しか鍛えていない者の戦い方とは思えない程に」

「………」

「彼の身体性能があの戦術に追い付いていたら、負けていたのはあなただった」


好き勝手に言いやがる、と亮は内心で吐き捨てるが否定はせずに聞き流す。


全て事実だからだ。

あの瞬間、八坂 亮に対し香坂 永斗はその機転にて、あの戦いを支配した。

そして自分自身はやられるままだった。ただがむしゃらに踏ん張った耐久力が彼を立たせ、支えていただけである。


確かに笑わせる。

これじゃただの木偶の坊じゃないか。




「………あのね。何か言ったらどうなの?」




何時までも沈黙を保った彼に苛立った声を上げ、柳生 刹那は話し掛ける。


「ここまで、この私に好き放題言われているのに。虫唾が走るとか癪に障るとか、あなたならきっと腹の中で煮え繰り返ってるのではないの?」


何時もの彼らしくない。

言い返さない為にこちらが一方的に罵る事が出来ているのに、何の満足感もない。


張り合いがないのだ。

あれだけ憎らしかった態度が少しでも鳴りを潜めるだけで、こうも柳生 刹那の感情は掻き乱される。


「―――だから、何だってんだ?言っている事は間違っちゃいねえじゃねえか」


やっと言葉を発した亮であったが、それは余りにも静かな声色だった。


「……あなたは」


刹那は信じられないものを見る様に、その表情を驚きに染めていた。


「あいつは俺に迫りやがった。それだけじゃねえ、そのまま手痛い一発を貰った」


未だ違和感を覚える脇腹に触れながら亮は言った。


「俺はあいつに結局……まともに一撃を入れちゃいないんだよ」


八坂 亮にある心残りである。

闘い、それで打倒したのではない。

これは香坂 永斗の自滅によって手にした勝利だ。


俺自身が起因するものではない。

それが気に入らないのだ。


「気に入らねえよな。あいつは言い訳が出来る。八坂の名の下にチビの時から仕込まれてきた俺と違って未だ能力者として入口に入ったばかり、はっきり言えば実力不足だ。それなのに善戦した、大健闘ってな。俺の面目は潰れに潰れた」


淡々と、しかしその言葉に反して亮の表情は、どこか清々しい。


「………自惚れっつうのかね、これも」


香坂 永斗が模擬戦前に言い放った言葉が不意に思い起こされる。

あの男は確かに学び、鍛えた。紅崎 茜や高杉 優里ら教師の手を借りながら。


俺はそれに無頓着だった。


座学や訓練、確かに参加していたがこの2か月は対して力を入れていなかった。

訓練に関しても基礎的な体力訓練が主だったという理由もあるが、今更学校で学ぶ事に意義を見出していなかったのだ。


八坂とは、そういうものだ。

生まれながらの能力者の家系、

15の時の適合検査だって、ただの出来レースだ。それ以前からとっくに決まっていたのだから。


「………亮、この程度の事であなたは、その道を曲げるなんて、ことはないわよね?」


何年ぶりか分からない、それだけ久しく思った。

刹那は亮の名を呼んだ。震えた声だった。


「ただ必死に、盲目に私達は進んできたのよ。能力者として、誰よりも優れた存在になる為に、誰よりも強くなる為に私もあなたも…ひたすらに我武者羅だった」


気が付けば彼女は亮の傍まで、正面に立っていた。


「たった一度の敗北で、何を考えているの?今回は不意をつかれただけ…そうよ、あなたは兵装解放も使っていない。何ならアーツだって使用していない。模擬戦のルールに則って、あなたの手札なんてほとんど使えてないじゃない」


「刹那」


両肩を掴み、鬼気迫る表情となっていた刹那を亮はただ一言で制した。


「笑いに来たとか、俺を扱き下ろして香坂の野郎を称賛したと思えば…次は、俺はこの程度じゃないってか?言ってる事が反転してんぞ。少しは落ち着けよ」

「―――ち、ちが、私は…!」

「別に止まるつもりじゃねえよ。俺はまた、あいつとちゃんと闘いてえだけだ」


肩から刹那の手をどかしながら亮はベンチを立った。


気付けば空は少しずつ夕焼けに染まりつつある。

どれだけの時間を此処で潰していたのだろう、と考えつつも偶にはそれもいいかと思い直す。


「あいつを鍛えてやるんだ。そして俺と同じ土俵に立たせてやる」


その後に、互いにイーブンの状態で今度こそ模擬戦で圧倒してやると、亮は言う。


刹那はそんな彼が、別人の様に思えた。

強さのみを追求していた男が、別の存在を気に掛けている。




私ではない、別の存在をだ。




「………そんなの、どうでもいいじゃない」


フラフラと、彼から離れる。

亮にも聞こえない程の小さな呟きだった。


「この道に、柳生と、八坂以外いらないじゃない。私の敵はあなただけ。あなたの敵は私だけで…それで此処まで来たのよ?」


この学校で、使命と生を謳歌する兄とは違う。


能力者という在り方しか知らない、そうなる様に育てられてきた刹那と亮だからこそ、ある意味では2人だけの世界があったのに。


そうではなくなると言うのか。

たかが訓練の一環で。格下でしかない相手との模擬戦1つで、こうも変えられてしまうものなのか。


「…香坂くん。香坂 永斗……ね」


それは刹那にとって、何事においても許し難い事だった。

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