第9話
第4都市『フクオカ』
それは、キュウシュウエリアと呼ばれる場所に唯一残された人類の生存圏たる要塞都市の名だ。
総人口550万人を収容する居住区画を中心に、生産区画・商業区画・政庁区画の計4区画で形成されたブロック都市構想の集大成。
その周囲を守る様に長大な防壁が築かれており、能力者達の奮闘も合わさりこの防壁は未だキメラによって超えられた事はない。
人類を守る絶対の防波堤。
これの守りは絶対であると、皆誰も疑う事はないだろう。
それは楽観であると、この都市のリーダーが断ずるまでは。
「最近は多いねぇ。キメラの出現報告」
要塞都市の中枢たる政庁区画。
その区画内にある屋敷の執務室にて、デスクチェアに深々と身体を預ける1人の女性が渡された報告書を上へ掲げるようにしながら眺めていた。
「お陰でうちの能力者達は常にフルタイム。ブラック企業も真っ青の超過労働状態さ。あっはははは―――」
その手の報告書をおもむろに投げ捨てる。
笑っている筈の彼女の目は全くと言っていい程に、喜悦の色を浮かべていなかった。
「―――回らない、回らないよぅ人がぁ。能力者もっと生えてこないかなぁ、大根みたいに」
「発言が不謹慎です。」
投げ捨てられ宙を舞う報告書をキャッチしつつ、デスクに突っ伏した女性を宥めたのは黒髪をツインテールに纏めた少女。
如月高校、1年担当教官を務める紅崎 茜である。
「1人だからって軽々しい言葉を使うのはお止めになってください。この地の長であるのですから、あなたは」
「長って言うなら猶更よん。一人の時に力を抜かず何時抜けと言うのか。このポジションは結構な重さなのよ茜ちゅあーん」
「私が今此処にいますが」
「あなたは別枠に決まってるじゃない。ねえ?」
突っ伏したまま、顔だけを目の前に立つ茜へと向ける。
きめ細やかな黒の長髪、切れ長の目の中で赤い瞳を輝かせる見た目麗しい女性。
顔立ちを言うならそう、紅崎 茜を一回り成長させた様な妙齢の美女。
「なぁんでカワユイカワユイ愛娘の前でもカッチリしないといけないのさー!えーん!」
いよいよ泣き真似をも始めてしまう彼女を前に茜は思う。
第4都市フクオカのリーダーにして、能力者キュウシュウ方面軍司令を務めるカリスマ。
そんな肩書とは程遠い姿を見せるこの馬鹿母は、何で私を呼び出したんだろう?と。
「……で、落ち着きましたよね?私を呼んだ理由をいい加減伺いたいのですが…」
「わーお茜ちゃん。何から何まで反応がドライだわぁ」
「あなたのテンションに付き合いきれないだけです」
由良の錯乱が鎮まるまで待った後、茜は何故呼び出したのか理由を聞いた。
つまらなそうに膨れっ面を見せる母の年不相応ながら様になっている仕草に頭を抱えたくなる。
「まあ、私が呼んだのは大した理由?じゃないよ。茜ちゃんの教官生活。どんな感じか聞きたくてさ」
「都市のトップが確認する事ですか?如月高校の上層部に定期報告書を提出しています。なので、わざわざその必要は……」
「これは親心って奴だよ茜ちゃん」
膨れっ面を作っていた幼い印象は鳴りを潜め、突っ伏していた身体を上げた。
「今期の1年。大変だって聞いたよ。たった3名のみだけど、その内2名が八坂と柳生の家の子達だって話も聞いてる」
「……そうですか」
「能力者としての資質は十分。だけどお互いにすっごい険悪だとか。おかしい話だね?八坂と柳生と言えば家同士でも結構仲いい筈なのに」
由良の話を黙って聞く茜。
全てそのまま、何の間違いもない内容だ。
「で、茜ちゃん。原因は……流石に分からないよね?」
「入学してやっと1週間を終えた所です。この短期間で私がどうこう出来る訳がないでしょ」
「だよねー」
分かり切った質問をし、頷く由良。
今年から担当教官を務める事になって早々にこれだ。
茜に問題があるのではない。
むしろその指導能力は高いだろう。少々脳筋のきらいはあるが。
これは生徒が抱える何かが原因だろう。
そういうデリケートな問題とは相応に慎重にいかねばならない。
人としての経験がものを言う場合だってある。
優秀であろうと未だ19の彼女には解決は難しいのでは?と思うのは仕方のない事だった。
「……ふふっ」
だが、そんな由良の考えに反して茜は小さく笑った。
「え、どうしたの?」
「……すみません。つい思い出し笑いを」
「唐突だよね?大丈夫?」
「ああ、いえ。私1人でどうにかしようとは思っていませんよ。香坂だって手伝ってくれますし」
「…香坂?」
苦笑いを浮かべながら茜は言った。
由良は首を捻る。
聞き覚えのない苗字……いや、これも書類で確認していた。
今期1年、3人目となる少年、香坂 永斗。
一般家庭から見出された適合者であるが、正直な所、余り印象に残る情報がなかった為に、そこまで注視していなかったのだが…。
(茜ちゃんがちょっと優しい声色になってる…!?)
そんな彼の名を娘はどこか嬉しそうに言うのだ。
これは何もない訳ないじゃないか!と思うのも当然であった。
「茜ちゃん。香坂…君?がどうしたの?」
「八坂と柳生のことを、同級生として気に掛けて欲しいとお願いしたんです」
先日、彼にその話をしたばかりだったのですが、と付け加えながら茜は説明した。
なるほど、同級生か。他の先生や教官でも、2年か3年の先輩達でもなくか。
由良はなるほど、と頷く。
目上の存在に色々言われるよりも同級生なら本当の意味で対等だ。
「…けどそれ、香坂君凄く大変そうじゃない?」
「ですね。だから彼、頑張るからご褒美下さいって言うんですよ」
「ほうほう、ご褒美か。がめついねぇ」
無償で頑張りますと言うよりも健全かな、と感心する。
「で、ご褒美は何を要求してきたの?」と何となく尋ねた由良であったが、その瞬間。
「…あー、えと、それがですね」
茜は赤くなった頬を人差し指で掻き、その視線も微妙に逸らしていた。
「…ん?」
え、何、これは……と由良は察した。
「照れている…茜ちゃんが何でか照れてる―――!?」
「急に叫ばないで下さい。五月蠅いです」
「あ、ごめんね……じゃなくて茜ちゃん!ご褒美って何なの?うちの茜ちゃんが照れちゃうご褒美って何なの!?まさか!!」
まさかあれか?エッチな事でもお願いされたの!?
とあらぬ方向に考えを向かわせる由良はその手に愛刀を握ろうとしていた。
これではまるで弱みに付け込む悪い男ではないか。成敗せねば―――!?
「落ち着いてください指令。何を想像したか知りませんけど、多分考えているソレとは違います」
「そ、そうなの?後日『イエーイ、お母さん見てるー?』とか変なビデオ送ってきたりしない?」
「何ですかそれ」
何言ってんだこいつと言わんばかりに向けられる愛娘からの冷めた視線を前に何とか冷静さを取り戻す。
そうだ、所詮は早とちりだ。そんな破廉恥な生徒がいる訳がない。
平静を取り戻した所で由良は改めてどういうご褒美なのか聞いてみた。
やはり言い難そうにする茜だが…思えば家の娘があからさまに変なお願いを許容する訳ないではないか。
やれやれ、と由良は首を傾げた。
そんな当たり前な事も思いつかんとは、私もまだまだ落ち着きが必要―――。
「デートして欲しいと言われました。拒否する暇もなく、その話は結構引っ張ってしまっているのですが……まあ、香坂はよく頑張っているし別にいいかなと最近は思って……」
由良の動きが止まった。
デート、だと?
それはあれか?待ち合わせ場所で「ごめーん、まったー?」「ううん、今きたところー」みたいなやり取りから始まり「君の瞳に乾杯」「きゃっ、素敵!」と口説かれて終わるあのデートの事を言ってらっしゃる?
「―――うちの茜ちゅわんとデートですってぇ!?」
「え、指令?」
由良は吠えた。
今度こそその右手には愛刀が握られていた。
「破廉恥!破廉恥だよやっぱり!茜ちゃんを守らなきゃ!ちょっと香坂 永斗とかいう子とお話を!OHANASHIをしなきゃ!?」
「さっきからどうしたんですか!落ち着いて指令!しれ……って」
「ぬわー!とめるなあー!!」
「………いい加減にしてよこのアホぉー!」
たらしはゆるさーん、茜ちゃんにはまだ早いんじゃーと叫ぶ母親を羽交い絞めにして止める茜。
この取っ組み合いにまでなった騒動は茜の出勤時刻ギリギリまで行われる事となり彼女は今日1日、不機嫌を隠し切れずにいたのだという。
「後、10周―――!!」
そして、早朝からの自主練でグラウンド50周持久走に挑む香坂 永斗。
まさか自身がこの都市のトップからターゲットされているなど知る由もなく。
知らぬが仏とは、まさにこの事である。
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