17 幼馴染が『女の子』になった日
鏑木姫花は僕の幼馴染だ。
中性的な顔立ち。女子の平均よりも背が高く、力も強い。伸ばしたことのない黒髪は艶を帯びているが、飾られているのは見たことがない。
そんな姫花は幼い頃から気が強く、男勝りな性格をしていた。名前負けしている、とからかわれるたびに、姫花は相手を言い負かしていた。
姉御肌なところもあり、僕が誰かにいじわるされたときも、必ず姫花が助けてくれた。男の僕よりもずっと強くてかっこいい。それが姫花だ。
高校生になっても姫花は変わらない。ショートの黒髪も、化粧で飾らないところも、いつも通り。
僕は毎朝姫花を迎えに行く。部屋のドアをノックし、起きないと遅刻するよ、と何度も呼びかけるのだ。
今日も僕は姫花が起きたことを確認した後、家の外で待っていた。
「お待たせ。おはよー」
いつもよりも眠そうな顔をした姫花は、夜遅くまで友人の失恋話に付き合っていたらしい。
「夜更かし苦手なのに電話に付き合ってあげたんだ。相変わらず優しいね、姫花は」
「いや、普通でしょ……」
照れてしまったのか、姫花は歩きながら俯く。そのときだった。
姫花がふいに「あっ」と小さな声をあげて、道端でしゃがみ込む。何か気になるものでも落ちていたのだろうか、と僕も足を止めるが、姫花はしゃがんだまま動かない。
「姫花?」
「…………な、なんでもない。先に行ってて……」
「一緒に行くよ。何かあったんでしょ。どうしたの」
姫花は昔から、強くてかっこよくて負けず嫌いだ。でもその性格が邪魔をして、人に頼ることが苦手でもある。
たとえば体調が悪くても、姫花は自分から口にしない。誰かが気づけるならいいけれど、誰も気づかず、姫花自身も無理をしてしまい、倒れてしまったことがあるくらいだ。
あのときのことを思い出して、僕は眉をひそめる。後から聞いた話では女子特有の生理痛というやつだったらしい。それは確かに言い出しにくいだろう。でも僕は姫花が倒れたとき、彼女のそばにいた。いつもと様子の違う姫花に気づけなかった。
あれから僕は姫花の表情や仕草の何気ない変化にまで気を配るようになった。強がりな幼馴染の出すSOSが分かりにくくても、今度こそ見落とすことのないように。
「もしかして体調悪い?」
「違うから、大丈夫……」
「姫花は大丈夫じゃなくても大丈夫って言うじゃん」
僕の刺々しい言葉に、俯いていた姫花が顔を上げた。その目にはなんと涙が浮かんでいて、僕は思わず息を飲む。だって初めてだったのだ。長い付き合いだというのに、姫花が泣いているのを僕は見たことがない。
涙に濡れた目でじとりと僕を睨みながら、姫花は「本当に大丈夫」と繰り返す。
僕は姫花の前に同じようにしゃがみ、「泣きそうな顔で言われても説得力ないよ」と笑ってみせた。
頼りない笑顔の僕を見て、姫花は数秒悩んだ後、「忘れちゃったの」と呟いた。
「忘れ物? まだ家を出たばっかりだし取りに帰れば大丈夫だよ」
いつもの姫花なら迷わず引き返し、走って取りに帰るだろう。その間に僕が歩きながら進んでいたとしても、足の速い姫花なら簡単に追いつける。
しかししゃがんだまま動かないということは、何か事情があるのだろう。
「本当にどうしたの、姫花」
「……笑わない?」
「笑うわけないじゃん」
姫花の抱える事情がなんであれ、幼い頃から僕は散々姫花に助けられてきたのだ。笑って馬鹿にするなんて絶対にありえない。
僕の言葉を聞き、姫花は泣き出しそうな弱々しい声で呟いた。
「……ブラ、つけ忘れちゃったの……」
「…………えっ」
「ち、違うよ!? ノーブラではないから! 寝るとき用の楽なやつはつけてて」
「く、詳しい説明はいいから!」
たぶん僕の顔は真っ赤に染まっている。姫花が走って取りに戻らなかったのも、恥ずかしいという理由に加え、きっとブラジャーなしでは胸が揺れたり、不都合があるのだろう。僕は男だから分からないけれど。
「と、とにかく戻ろう。僕のカーディガン貸すから羽織って」
「一緒に戻ってくれるの?」
「……心細いでしょ。あと、なんかあったら嫌じゃん」
「…………もー、そういうとこだよ」
頰を真っ赤に染めた姫花が、僕から目を逸らす。何がそういうことなのかは分からないが、目の前にいる姫花がブラジャーをつけていない、と思うと目のやり場に困ってしまう。別に普段から胸を見ているわけではないけれど、つけていないと分かった瞬間意識してしまうのは男の性というやつだろう。
いつもより歩みの遅い姫花の手を引き、僕らは来た道を戻っていく。家に着き、しばらくして戻ってきた姫花は、真っ赤に頰を染めていた。
「行こっか」
「…………うん」
さっきまで手を繋いでいた名残だろうか。なんとなく、二人の手が重なった。カーディガンはまだ姫花が着たままだが、それでよかった。
いつもより歩みの遅い姫花と、いつもより左隣を意識してしまう僕。当然二人は遅刻して叱られたけれど、なぜか僕は無敵な気分だった。
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