16 恋が彩る夏の終わりは、秋か春か。
どうやら先輩の好みはドジな女の子らしい。
ちきしょーめ。
ドジってどこからどこまでがドジだ。
放課後の図書室で先輩の対面に座りながら、私は分厚い辞書を引く。
なるほど、どうやら失敗することをドジというらしい。
失敗。なるほど。
「あちゃあ、大問3の答え違ってたあ。私ってばドジね」
「や。それをドジとは言わねぇだろ。ドジってのはさ、一生懸命に頑張ってるけど空回りしてるのを言うんだよ」
大学受験も本格化してくる夏の終わり。
ほぼ満席の図書室で勉強しながら、先輩が私を怪訝そうな顔で見てくる。
つまるところ解答も対応も失敗してるっぽいが、どうやら先輩の好きなドジとは違うらしい。
その事実を、誰にも見られないように手帳サイズの「先輩、頼むから落ちてくれノート」に書き加える。
「若菜って、メモがマメだよな。それ、何を書いてんだ?」
まさか『先輩が好みだと言った女の子や遊び、食べ物です』とは言えず、私はノートを辞書の下にさっと隠して取り繕う。
「メモがマメって、なんかダジャレみたいですね」
「どこが……?」
「さぁさ。小声とはいえ図書室。また勉強に戻りますよ、先輩」
私は高校2年生で、先輩は3年生。
私は看護師になりたいし、先輩は獣医になりたいらしい。
つまり高校を卒業すれば大学どころか、県まで違う。
できることなら在学中に告白して恋人になりたいけど、獣医への道はきっと、険しいものだ。
だから私は、この想いを2年も胸にしまっている。
先輩の枷になりたくない。夢を叶えてほしい。
だから告白するなら、先輩が受かったあと。
そんな考えで膨れ上がった私の恋心が、vol2にまでなった、このノートだ。
だけど先輩の好みはコロコロ変わる。
1年前は「髪の毛が短い女の子」だったし、その次は「勉強を頑張る女の子」、「一緒にいてくれる子」「鈍感な子」と、もう本当にコロコロ変わる。
困ったものだ。
私はショートヘアーを手櫛でといて、勉強を再開する。
先輩への恋心のために私が勉強を疎かにするなんて、そんなことはきっと、先輩も望んでいないだろうから。
「んっく――ぁあ」
伸びをして、夕方になりまばらに席が空いた図書室で、そんな声を漏らす。
私の伸びにも気づかない先輩はまだ、真剣な顔で問題集と向き合っていた。
「ふふ」
先輩は、世に言うイケメンではない。
高身長でもない。
私の友達からの評価は「指が綺麗」と顔への言及を避けるもの。
けれど誠実な内面も相まって、目標のために頑張れるひたむきな先輩が、私は大好きだ。
「手が止まってるぞ、って、もうこんな時間か」
「うん。私の家、門限が厳しいからそろそろ帰るね。また明日!」
「おう、いつも一緒に勉強してくれて、ありがとうな。辞書とかは俺が本棚に戻しておくよ。さっきの手帳も忘れずに持って帰れよ。見られたくないんだろ?」
「にひひ。手帳はさっき仕舞いました! ありがとうございます、先輩!」
とびきりの笑顔で答えて、机上に散らかったプリントや参考書をカバンに詰め込む。
そうして空調の効いた図書室を出て、私は帰宅するべく駐輪場へと向かった。
自転車を30分漕いで私が帰宅したのは、門限の10分前だった。
残暑が続くせいで汗だくだが、空の気分はどうやらすっかり秋なようで、まだ6時前だというのに夜の雰囲気を醸し始めている。
「おっ、先輩からLINE来てるじゃん。うへへ、まだバイバイしてから30分しか経ってないのになぁ」
ニヤける私の表情が、しかし凍り付く。
『ごめん。手帳が置き忘れていて、少し、読んじゃった』
頭が、真っ白になった。
慌ててカバンの中を見るが、手帳がない。
最悪だ。
あのノートは、先輩の趣味嗜好を“逐一”メモったノートだ。
キモイなんて生優しいもんじゃない。
ど変態ノートだ。
何より、何よりも、だ。
まだ絶対にバレたくなかったのに、先輩への恋心を知られてしまった。
『申し訳ないから、これ以上、読む気はない……。んだけどさ。「先輩、頼むから落ちてくれノート」って、どういうことだよ。俺の夢を応援してくれるんじゃ、なかったのか……?』
その言葉を読んで、確信する。
先輩は、1ページ目までしか読んでいない。
小説の単行本の「見返し」のように、最初の白紙のページにタイトルを書いたのだ。
2ページ目まで読めば「落ちてくれ」が受験ではなく恋心を示していると、誰だって分かるはず。
私の恋は、まだ終わっちゃいない。
『今から戻るので、待っててください!』
そう打ち込んで、もう1度、自転車に跨る。
確実に門限は破ることになるだろうけど、そんなの眼中になかった。
立ち漕ぎで全力疾走して、風を切りながら、考える。
どうすれば先輩への恋心を悟られずに、この誤解を解けるのか。
「無理だよ! うぇぇぇええええんっ!!」
脳みそがフル回転しているが、涙目で視界もグルグルだった。
そもそも、ノートを忘れるなんて失敗をしなければ――。
ああ、なるほど、ちくしょうめ。
これがドジってやつか!
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