20 だからどうか、いかないで。

「リズリー……」

「ん、どうかしたのか?」


 草原にて、俺はリズリーをじとっとした目で見つめる。

 淡い紫色の髪を二つに分けて結んだ、利発そうな群青色の瞳をした魔法使いの少女だ。

 ……瞳だけは。


「いや、『どうかしたのか?』じゃなくてだな……何でこのホワイトシチュー、濃い紫色なの!? それって最早ホワイトシチューじゃなくない!? パープルシチューじゃない!?」

「ああ、そのことについてか。実はだな、シチューには多少のとろみが必要だろう? でも、町で小麦粉を買い忘れたんだ」

「この前は砂糖、さらにその前は胡椒……リズリーもしかして、一回の買い物につき何か一つ買い忘れる縛りプレイしてる?」

「はは、何を言っているのやら。……まあ、そういう訳で、"とろみを付ける魔法"を使おうと思ったんだ」


 リズリーの説明に、俺は頷いた。

 彼女は顎に手を添えて、ニヒルな微笑みを浮かべる。


「ミスって……"色を毒々しくする魔法"を使ってしまった」

「何でだよおっ! 全然効能違うじゃんっ!」

「いや、詠唱部分が似ていてだな……前者は『ティラムロリーノ』、後者は『マシメレモノ』と唱えるんだ」

「いや最後のノしか共通点ないよ!? ……って、え、なになになに!? 俺の手が蛍光色グリーンになった挙句なんか柔らかくなってきたんだけど!?」

「あ……詠唱を口にしたから、お前に魔法を使ってしまったみたいだな。はっはっは、すまない」

「笑い事じゃねえーっ! 解除して解除っ!」


 俺の叫び声が、足元の草を震わせるレベルで響く。

 リズリーは「ああ、すまんすまん」と笑ってから、急に真顔になる。


「…………大変だ、キリ。解除魔法を、ド忘れした」

「全ての魔法に通ずる基礎的な魔法をド忘れしないでくれえーっ!」


 また、草が震えた――――


 ◻︎


(…………あ、やばい。一瞬、走馬灯っぽいの、見えた)


 飛びかけた意識を、俺は何とか引き戻す。


(こんな状況なのに、随分ゆるい走馬灯だな……)


 思わず、少しだけ笑ってしまった。


 目の前には魔王がいる。

 竜のような、百足むかでのような、数多の人間のような――そんな恐ろしい見た目をした、黒色の異形。

 勇者である俺と魔法使いであるリズリーが、殺すことを使命とされた敵だった。


 魔王の身体から流れ落ちるのは、黄金の血液。

 勿論俺の身体にも、大小異なる真っ赤な傷口が沢山あって。

 ……もうお互いに、満身創痍だった。


 俺はちらりと、背後を見る。


 地面に倒れ伏したリズリーが、そこにいる。

 俺と同じで、傷だらけでぼろぼろだったけど。


「……リズリー」

「……何だ」

「自分の致命傷を治すくらいの魔力は、残ってるよな?」

「……そう、だな」

「それはよかった。……お前は、幸せに生きてくれ」


 俺はそう言って、聖剣を握りしめて魔王の元へと駆けた。


 一気に魔王との距離が近付いてくる。

 直感でわかった。

 俺が魔王を殺すために聖剣を振るうのと、魔王が俺を殺すために魔法を使うのは、きっと殆ど同じタイミング。

 ――――相討ちになる。

 でも、別によかった。俺が魔王を殺せば世界は平和になるし、……リズリーもようやく、苦しい使命から解放される。


 俺はただ、リズリーに幸せに生きてほしかった。

 あいつに悲しみは似合わない。

 魔法の天才なのに抜けたところが沢山ある彼女は、多くの人から愛される素質がある。

 周りの人を笑顔にする在り方の方が、よっぽど似合う。


 跳躍して、聖剣を掲げる。

 魔王の目が、ぎょろりと動いて俺の姿を映す。


 覚悟と共に、唇を噛んだ――――


 ……異変に気付いたのは、魔王の首を斬り落とした直後だった。

 おかしい。

 魔王は絶対に、反撃の魔法を使うはずなのに。

 まるで一瞬、かのような……



 まさか。



 俺はばっと、リズリーの方を見た。

 彼女は口から血を零しながら、微笑んでいた。


「リズリーっ!」


 俺はリズリーの元へと駆け出した。

 リズリーの浮かべている微笑みは、本当に優しかった。


「そんな……お前、まさか、時間操作魔法……使ったのか!?」

「……そう、だよ。よくわかったな……」

「何バカなことしてるんだよっ! お前、だって、この状態でそんな魔法使ったら、魔力枯渇で……!」

「ああ、そうだな……迂闊だった」

「そんな……リズリー……」


 歪んだ視界で、リズリーは俺の頬に手を伸ばした。

 涙を拭って、温かく笑う。



「許してくれよ。わたしの……お前をただ守りたかっただけのわたしの、最後の、失敗ドジだ」



 リズリーも、泣いていた。

 群青色の瞳から、透明な涙が滑り落ちていく。


 俺は彼女を抱きしめた。

 少しずつ温度が失われていく華奢な身体を抱えながら、「……許すよ、許すから……」と震えた声で口にした。

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