第6話 親子再会
ラニエーリは王宮内にある控室へと通された。
ヴェネツィアの評議会から派遣されてきた使者ともなると、当然ながら最恵国待遇の特別扱いのはずだが、通された部屋は実に質素なものであった。
部屋を彩る調度品の類もなく、ただ椅子や机が置いてあるだけの、本当に客をただ待機させておくためだけの部屋といった感じだ。
(まあ、問答無用で牢屋に放り込まれるよりかはマシか)
そう思って、ラニエーリは我慢する事にした。
何はさておき、自身への待遇云々よりも、仕事の方が優先される。
待遇が悪いと文句を言って、相手の機嫌を損ねるつもりはなかった。
(もっとも、損ねる機嫌があればの話だがな)
なにしろ、帝都コンスタンティノープルに在住していたヴェネツィア人数千名を、いきなり一斉検挙するような事態にまで発展しているのだ。
おまけに、帝都に来る途中、補給で立ち寄ったアテネの港でも、露骨とも思えるほどに塩対応されたことも体験済みだ。
今までであれば港の良い位置に停泊を許可され、色々と融通してもらえる最恵国待遇であったが、今や邪険に扱われるほどだ。
隅の方においやられ、補給が済んだらさっさと出て行けと言わんばかりの港湾労働者の態度に、怒るよりも状況が劇的に変化した事への驚きが勝ったほどだ。
もう帝国全体がヴェネツィアへの締め付けを始めている。そう判断できるだけの材料が見えていた。
さて、どうやって説得し、状況改善を図ろうかと考えているラニエーリであったが、思わぬ人物が控室へと入ってきた。
兵士に挟まれ、おまけに鎖の枷まで付けられていたのだが、現れたのは、父であるエンリコであった。
状況や姿から牢屋に放り込まれていたのは容易に想像がつくが、他国の使者を問答無用で牢屋に入れるなど常軌を逸していると改めて感じた。
やつれているし、過酷な生活を強いられていた事を見せ付けてきた。
「おお、父上! ご無事でしたか!」
とにかく、目的の一つは果たされたかと、ラニエーリは安堵した。
少々痩せてはいるが、父が生きて歩いているのであるから、何はさておき良かったと思うのは息子として当然である。
座っていた椅子から飛び上がるように立ち、小走りでエンリコに近付いたが、すぐに違和感に気付いた。
目の前に息子が現れたというのに、父は息子を見ていなかった。
正確には、目線の焦点が合っていないのだ。
「……父上?」
「その声……、ラニエーリ、か?」
「さ、左様でございます。この通り!」
息子が目の前にいるというのに、父親の反応がおかしい。
ラニエーリは怪訝に思うも、父の異変に気付く。
“眼”から、爛々と輝く光が消えている事に。
そして、“悪い想像”が間違いでない事を、目の前の父親が示してきた。
目線を合わせることなく、伸ばしていたその手で体を、あるいは顔を撫でてきたのだ。
そう、目で見て確認が出来ず、触った感触で確かめるがごとき振る舞いに、もはや誤解でもなんでもない事が示された。
「父上……、まさか眼を……!?」
「どうにも
「なんという……」
耳と手に意識を集中させ、迎えにやって来た息子を感じ取るその姿は、良く知る闊達な父の姿ではなく、老いさらばえた老人そのものであった。
自然とラニエーリの目から涙がこぼれ、エンリコの手を握っていた。
「申し訳ありません、父上! 今少し私が早く到着していれば!」
「バカを申すな。お前も、議会も、最善を尽くした事は理解している。帝都で事件が発生し、それがヴェネツィアまで伝わり、議会の承認を得て、お前がここまでやって来たのだ。その時間を逆算すれば、ほぼ最短でやって来た事は分かる」
「ですが……」
「お前が気に病む事ではない。むしろ、お前が考えてちゃんと行動できたことを、父として嬉しく思うぞ」
そして、再び息子の顔をエンリコは撫で回した。
立派に役目を果たさんとする息子の姿を、もはやその目で確認する事はできない。
しかし、息子への愛情を伝えるのに、目など必要ないと言わんばかりに口元は緩み、何度も何度も撫でてくる。
父の愛が痛いほどに伝わるだけに、ラニエーリもまたそれに応えねばと、今一度気を引き締めた。
「ならば、父上! 此度の合戦、我ら親子で乗り切りましょうぞ! 囚われたままの同胞数千を解放せねばなりません」
「うむ。よくぞ申した。それでこそ、ダンドロの名を受けし者だ。過ぎた事を悔やむより、今宵の晩餐の献立を考えた方が有意義と言うものだ」
「できれば、美味い酒と料理に在り付きたいものです」
「だな。しかし、料理を出してくるのは、皇帝だ。皿に毒でも仕込んでいるやもしれんぞ。いや、十中八九そうであろうよ」
「なに、ヴェネツィア商人同士の商談に比べれば、随分と薄味な事でしょう」
息子と交わす言葉が、なんとも愉快に感じるエンリコであった。
この図太さは、間違いなく自分の血を引いていると、改めて感じ取る事が出来た。
状況は厳しいままであるし、自身も病にて眼を失ってしまった。
もう愛する故郷の未来を、この眼で見る事は叶わない。
しかし、頭は以前よりも冴えわたり、舌の回りも良くなったのかもしれない。
そして何より、未来を見えずとも近付くための足と、掴むための手はまだある。
見据える眼も、息子が代わりに見てくれるだろうと思えばこそ、光を失った事にも失念を覚える事はない。
やってやろう。皇帝と一合戦を。
このよく曲がった舌先にかけてと意気込んだ。
「息子よ、厳しい戦いになるが、お前には私の代わりに全てを見届ける責がある。そう思って付いてくるのだぞ」
「言われずとも、父の眼の代わりとなり、その全てをお伝えいたしますとも」
「よし! それでよい! それでこそ、ダンドロの男だ!」
「微力なれど、鋭意努めさせていただきます!」
「うむ。さあ、相手は帝国の皇帝、相手にとって不足なし。我ら親子、存分に暴れてみせようぞ!」
そして、親子二人は固く握手を交わす。
なにしろ、これから相手取るのはビザンツ帝国の皇帝。
しかも、武器となるのは“頭脳”と“三枚舌”だけ。
否、今一つある。
世間で陰口を叩かれるほどの図太い“ヴェネツィアの商魂”。
儲けの為であれば、何でも商う強欲の権化、それこそ“ヴェネツィアの商人”だ。
その最も濃い部分こそ、ヴェネツィアの名門ダンドロ家の者だとの自負がある。
囚われの身とは思えぬほどに、この親子はやる気と気迫に満ちていた。
受けた損害をきっちり取り返してやろう、と。
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