復帰と覚醒への兆し

「ご心配をおかけしました。今日から復帰します。」

復帰初日、チームメイトに頭を下げると暖かく迎えられた。

「颯汰と藤咲のカップルがいないと、全体的に士気が落ちるからな。待ってたぞ。」

「今日から地獄の部活がまた始まる…。短い時間だった…。」

「待ってたぜ!ゾーンの練習付き合え!現状入れんのはお前と俺だけだからな!」

「お前のビッグマウスを聞けねぇと張り合いがなかった。」

レギュラーの面々に声をかけられる。若干一名腑抜けてる奴がいるが皆それぞれ心配してくれてたのはわかる。

「インハイまであと2ヶ月しかありません。全員の課題を潰す為の練習メニューです。」

それぞれが受け取り大吾先輩がふむと呟く。

「休みの間にこんなのを作ってたのか?」

「桜が用意してくれました。今日からは勝つための練習に移行します。俺であれば体力作り。2試合ゾーンを使っても倒れない体力を身につけます。大吾先輩はダンクを身につける。センターがダンク出来ればでかい。純也先輩は俺とゾーンでの対決。インハイでは相手チームにもゾーンに入れるものがいるでしょう。その相手に勝てるように練習しましょう。要先輩は俺との連携とポイントガードのスイッチ。博先輩にはゾーンを習得してもらう。暫くは俺と純也先輩のサンドバッグになってもらいます。ゾーン状態の俺たちをゾーンで倒すことだけを目標にしてください。」

全員が苦い顔をする。どの練習もかなりハードだ。たぶん身体能力で言えば博先輩はゾーンに入れる可能性が高い。無理なら無理で、ゾーンに入った選手への対応を学んでもらえる。

チラリと桜を見れば他のマネージャーの子たちにドサっとノートを渡している。

桜と環奈が必死に作った一人一人への練習メニューだ。

「3年の先輩方には最後の一年で有終の美を飾ってもらいたい。着いてきてくれますか?」

「あぁ。勿論だ。」

「うげぇ。これ辛ぁ。でもいいよ。やる。」

「は!1年にここまで言われたらやるしかねぇだろ!逆にボコボコにしてやるよ!」

それぞれの反応を見て頷く。

純也先輩は楽しそうな顔をしてノートをめくっている。彼には彼の好きそうな派手なプレーの数々を記載させている。乗せれば乗る単細胞だ。だがそれ故に強い。だからこそ、彼はウチのチームのエースなのだ。

「この練習メニューは一月で終わらせます。次のプランも既に考えてる。覚悟してください。生半可な練習じゃないですよ。」

『応!』

予選を一位で通過して士気が高い。これならいけると確信した。


世界が白く染まる。だがゆっくりは動かない。色々な選択肢が頭の中を駆け巡る。そうして睨み合う。

これがゾーン同士の戦い。脳がフルに動く。

(楽しい!これがバスケの真髄!)

ドライブをかける。抜けない。だが取られるようなこともない。純也先輩も楽しそうだ。

フルドライブからの急ブレーキ。フェイダウェイでシュートを決める。

即座に入れ替わる攻守。早すぎる攻防。その中で俺はバスケの楽しさを再認識する。

「はは…ははは!」

「最高だなぁ!後輩!!」

高速ローリングで抜かれる。読み合いに負けてダンクを決められる。

即座にボールをとって駆け出す。高速で切り返すとバランスを崩す。その時点で既にスリーは放たれている。

熱い。目、脳、心臓。その全てが熱くなっている。その中でカチリと歯車が噛み合うような音がして体が軽くなる。

「あ…?」

白く染まる。最適な道が見える。

「はは…!ははは!」

なんだこれ。気持ち良い!もっと上がある!俺はまだゾーンの事を何も知らない!

軽くなった体で俺は更にスピードを上げた。



「おい、藤咲…。」

「何ですか?」

「俺はあいつらを止めなきゃいけねぇのかよ。」

私は黙って二人を見る。その動きは今までの比ではない。こんなのはプロの1on1で見るレベルのものだ。

「そうですね。それが私たちの勝利を確実にする近道です。先輩は言動は粗暴ですが丁寧なディフェンスをします。攻めではなくディフェンスにゾーンを使用してもらいたいと私たちは考えています。ゾーンに入るために必要なのはある程度の身体能力とセンス。適度な目標とリラックス状態。この二つがかみ合った時にゾーンに入れると颯汰は言っていました。」

先輩はダンクもできる程のバスケセンスがある。攻守の要所の要だ。純也先輩と颯汰がスタミナ切れになった時に鉄壁の要塞として相手チームを抑え込んでもらえれば勝利は大きく近づくだろう。

ぐらりと颯汰がバランスを崩す。体力が切れたのだ。ストップウォッチを止めて颯汰に駆け寄ると抱き留めた。


「何分たった…。」

「28分。動ける?」

手を握るくらいは出来るが立ち上がるのは無理そうだ。俺は首を振る。

純也先輩は息は上がってるが立っている。向こうのほうが体力は上だ。

「試合なら負けだな。」

「まだ発展途上よ。二人には年齢差もあるんだから。」

壁を背に座って考える。ゾーンには集中力によって段階がある。集中すればするほど頭の回転も上がる。

「小出しにすれば最後までコートには立ってられるかも。でも小出しにすればベストパフォーマンスは難しい。より深く集中する為にはゾーンに入り続けなければならない。でもこれはフルマラソンを全力で走り続ける事に等しい。つまりは現実的ではない。」

「そうね。火事場の馬鹿力みたいなものでしょ?それを維持するなんて体にも負担がかかって当たり前よ。」

火事場の馬鹿力は無意識によるものだから少し違う気もするけれどそれに近い。今までこんなに体力を失うことなんて無かった。

「3年まで鍛え続ければもう少し動けるかな。でも1日2試合か…。今のままだと1試合に10分ちょい。最後のQに全力を傾けるとして、それまでに抑える人は必要だな。」

博先輩を見る。彼がゾーンに入れれば話は早い。だけど誰でも入れるわけではないからこれは賭けになる。

「問題は去年の優勝校ね…。」

「立華学園(りっかがくえん)。あそこのエースは間違いなくゾーンが使える。あの動きはそうとしか思えない。ってなればゾーン同士の戦いになる。これは荒れるな。」

だからこそ、この練習は急務だ。残りの一月はゾーンを前提とした連携の練習になる。

「やるしかない…か。この後は彩人さんとの練習もあるんだし横になって。マッサージしてあげるから。」

そう言われて俺は横になるのだった。


「彩人さんはゾーンに自分の意思で入れますか?」

居残り練習はフェイダウェイの完成度を上げることに全力を傾けているのでゾーンは使わない。バテたらこの時間が勿体無いからだ。

その練習中の休憩中、彩人さんにゾーンのことを聞いてみる。

「入れるよ。でも俺のトリガーは自分より強い相手と向き合った時だから常には入れない。ゾーンは人によってトリガーが違うからね。」

純也先輩の場合は目立つという気持ちで集中力を高めてるらしい。俺はドリブルで抜くために集中した時だ。一度入れば持続は難しくはない。プレイしている間に集中力はさらに上がっていくからだ。

「じゃあ俺では無理っすね。彩人さんがゾーンに入った時とも手合わせしてみたいなぁ。」

「出来るよ。ゾーン状態の君なら、通常時の俺より強い。試してみる?多分心折っちゃうけど。」

ゾワっと悪寒が走る。でもこれはチャンスだ。負けからしか得られない経験がある。

「最後の10分だけ。お願いします。」

「いいね。そういう君だからウチのチームに欲しいんだ。」

そう言って立ち上がる彩人さんの手を俺は握って立ち上がった。


結果から言えば惨敗だった。

こちらが1本も決められずに10本は離された。

「これがプロか…。」

天井を見上げる。桜は驚愕からか目を見開いている。格好悪いところを見せちゃってるけど、桜にはそういう姿を見せてもいいだろう。

「驚いたね。技術と体格の差があるのにこの程度で済むなんて。やっぱり君は見込みがあると思うよ。」

「負け惜しみすら出ないっす。」

苦笑して上半身を起こす。

「ゾーンには段階がある。君ももっと深くまでいけるだろう。足りないのは体力かな。後は集中力を深める時間がかかりすぎている。一気に深くまでゾーンに入れれば体力の温存にもなる。体が軽くなる感覚に覚えはないかい?」

言われてそう言えばと思う。

「ありますね。」

「そこが第一の壁だ。その壁を越えられないといつまでも体力不足に悩むことになる。明日からは最後の10分はこれに当てよう。僕も見たくなったよ。君という才能の原石がどこまでいけるのか。」

そう言って彩人さんが笑う。どうやら明日からも桜には格好悪いところを見せることになりそうだ。


彩人さん達と別れて家路を歩く。

「もう私のお母さんを呼ばなくても帰ることくらいは出来そうね。練習の賜物じゃない。間違いなく成長してる。」

「一週間休んだのも良かったのかもな。体が軽い。足は結構きてるけど。」

これはゾーン状態の練習で体力が空だからだ。

たぶんそれがなければこの倦怠感は無かった。

「環奈が栄養たっぷりの夕飯を作って待ってるわよ。良かったわね。嫁が2人いて。」

「それは喜ばしいんだが、最低な男に聞こえる発言だな。」

「そういう意味じゃないわよ?ちゃんと幸せにしてくれればいいんだから。」

それは当然だ。責任は取る。

「わかってるさ。」

「なら帰ったらゆっくり休まないとね。休息も大切な事よ。家の事は私達に任せてね。」

「わかった。環奈にも帰ったらお礼を言わないと。」

「昨日の指輪であの子は満足してると思うけどね。」

そう言われて昨日のことを思い出す。

指輪を渡した時の泣き笑いの顔。やっぱり彼女には笑顔でいてほしい。

「尚更…頑張んなきゃなって思った。」

「そうね。今年中に決めましょう。そうすれば少なくとも環奈は私達とずっといられる。来年からはメンツ的に更に厳しくなる。立華のエースは2年。でも引退まで待ってられないわ。」

「その前に先ずは決勝までいかないとな。頼むぞ専属マネージャー。君がいないと無理だ。」

「任せなさい。こっちだって貴方に人生を賭けてるんだから。」

そう言って差し出してくる拳に、俺も拳を合わせた。

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