幼馴染との時間
すぅすぅと寝息を立てながら、環奈は俺の腕の中で眠りについていた。
なぜこんな状況になっているのか、それは数時間前に遡る。
「私は一旦自分の家に帰るわ。用意したいものもあるし、夜には戻るから。」
あっという間に平日が過ぎ去り土曜日。午前の合同練習が終わった後に桜が突然そんなことを言い出した。
「そうか。じゃあ家で待ってる。」
「うん。偶には環奈の事を甘やかしてあげなさいよ?」
そうか。確かに最近ゆっくり環奈と過ごす時間が無かった。朱莉ちゃんとも遊んであげないと可哀そうだ。
「あぁ。だが甘やかすっていうのも難しいな。」
「いつも私にやってるように甘やかせばいいのよ。」
いつも桜にやってるようにしたら問題になるだろ…。
「私は環奈ならいいわ。多分最初で最後の親友だもの。一夫多妻制、大いに結構よ。」
「お前なぁ…。それは普通にダメだろ…。」
倫理的にもアウトだと俺は思う。
「法律が許さなくても私が許すわ。だって頑張ってる人間にはご褒美が必要じゃない。でも正妻は私だからね?」
そう言ってウインクをした桜は家に帰っていった。
「とは言ってもなぁ…。」
環奈と朱莉ちゃんと3人で過ごすのは久しぶりだ。大会前ということもあって帰りも遅い。当初の役割分担も俺は真面に参加できていない。
「申し訳なさ過ぎて、現状は気まずいんだよなぁ…。」
結局今の状況は負担を大きくしているだけなのではないかと思い始めている。予選が終わっても本選が控えてる。それが終わってもウインターカップが待っている。
「ちゃんと謝らないとダメか。」
そうだ。ちゃんと謝ってそこから始めよう。そしてちゃんと環奈の気持ちを聞こう。
そう考えて歩いていると家に着いて、俺は扉を開けた。
玄関を開けると掃除機の音が聞こえる。どうやら掃除をしているらしい。
口だけの男という汚名を返上するチャンスだと俺はリビングの扉を開けた。
「あっ!にーに!お帰り!」
「おう。ただいま。」
朱莉ちゃんは洗濯物を頑張って畳んでいる。手伝おうかと思ったがチラリと見えた下着から目を反らして環奈を探す。その姿は直ぐに見つかった。キッチンで掃除機をかけている。向こうも俺に気づいたのか俺の事を見て微笑んだ。
洗濯ものよりそっちの方が俺向きかと考えて近づいていく。
「お帰りなさい、颯汰。桜は?一緒じゃなかったの?」
「ただいま。桜は一度家に帰ったよ。取ってきたいものがあるとかなんとか。夜には戻るらしい。」
「そうなんだ。桜ったら変な気を回したわね…。」
後半が小さい声で全く聞き取れない。
「どうした?」
「ううん。何でもないわ。お昼は桜のお弁当を食べたんだっけ?」
今日は練習後に1時間のミーティングがあった。その為、桜がお弁当を用意してくれていた。
「あぁ。食べたよ。あのさ、掃除手伝うよ。何をすればいい?」
「ダメよ。これは私がやりたくてやってるの。颯汰は部活を頑張ってるんだから休んでて。家事は私と桜と朱莉でやるから。」
「だ、だがそうは言っても役割分担をして生活しようと…。」
「いいの。私がやりたいの。ソファーに座ってて。あっ朱莉が畳んでる服の中に下着があるからやっぱり部屋で休んでて。」
俺の言葉は遮られて環奈は俺の後ろに回って背中を押す。
「お、おう。」
勢いに負けた俺は結局自分の部屋に戻ってきてしまった。
(汚名を返上する機会すら得られなかった…。仕方ない今の俺にできる事をするか…。)
テレビをつけてDVDを入れる。桜が編集してくれた練習風景だ。一番大きな目標である、あの二人の解放。それが達成できれば俺にだって多少の時間が出来る。
ならやっぱり今できる事は勝つための努力だ。
何時間経っただろうか。ノックの音で俺は顔を上げる。だいぶ集中していたようだ。気づけば1時間半程経っていた。
俺の部屋のドアは猫の為に常にオープンなので視線を向ければ環奈が湯気の立ったマグカップを二つ持って立っていた。その頬が赤く染まっている気がする。もしかしたら桜に何か言われたのかもしれない。
「は、入っていいかしら。」
「あ、ああ。どうぞ。」
ぎこちなくなってしまうのは仕方ない。本当の意味で二人っきりというのは何年振りかわからない。
コーヒーをテーブルに置いた環奈は俺のすぐ横に座る。
「朱莉ちゃんは?」
「お昼寝の時間よ。まだ4歳だもの。保育園でもこの時間にはお昼寝してる。寝つきのいい子だから、一度寝たら外部の干渉が無い限り3時間は起きないわ。」
「な、成程。」
生唾を飲む。話すなら今だ。だがどう切り出していいかわからない。小学の時にはこの距離感が普通だった。だが異性として意識してから離れていた時間が長すぎる。
「この生活…きつくないか?」
「…どうしてそんなこと聞くの?」
瞳が揺れる。環奈が今にも泣きそうな顔になる。完全に言葉のチョイスをミスっている。
「元々は役割分担をして環奈の負担を軽くするはずだった。でも今は俺と桜が部活で遅い。環奈は俺たちの分の晩飯も作ってくれて、寧ろ負担が増えている。これは俺の計画性のなさが招いたことだ。だから本当にすまない。」
頭を下げると俺は環奈に抱きしめられる。一体どういう状況なのか理解できない。
「私、颯汰が好き。二番目でもいいから隣に居たい。だから今幸せよ。惰性で生活してた今までとは違って、好きな人と親友の為に行動できてる。これ以上ない幸せなの。だから謝らないで欲しい。私の事も頼ってほしい。好きな人にすら頼って貰えず、ただ守られてるなんて本当に生まれてきた意味もないわ。」
守られているという言葉に引っかかる。
「守ってなんていないさ。俺は俺のやりたいようにしてるだけだ。そして今回は考えが甘かったし、見通しも甘かった。だけど環奈の気持ちは嬉しい。俺が君の事を大切に思ってるのは嘘じゃない。」
沈黙が落ちる。俺も何も言えず環奈は暫し俯いてから顔を上げた。
「私の事を大切に思ってるならわがままを聞いてほしい…。」
環奈からの我儘なんて言われたこともない。
「当然だ。聞くよ。」
「桜に向ける愛の10分の1でも20分の1でもいいから、私にも颯汰からの愛がほしい。」
「ぐ、具体的には?」
俺の言葉に少し迷うように俯いて、覚悟を決めたように顔を上げる。その瞳に俺は生唾を飲み込んだ。
「抱きしめて、一緒に添い寝してほしい…です。」
顔を真っ赤にしてそんなことを言われたら断れない。
「お、おう。わかった。」
立ち上がってベッドに横になる。少し逡巡したが俺は手を広げた。
「よ、よし。来い。」
俺が自分でもよくわからない気合を入れると環奈は頷いて俺の腕の中に入ってきたので、その体を抱きしめる。
「大きくなったね。昔はもっと小さかったのに。」
「今では若干お前の方がでかい。悲しいことにな。」
男としては本当に悔しい。
「背を伸ばすように色々したんだ。何の意味も無かった。」
「でも、颯汰は誰よりも大きいよ。きっと覚悟の大きさが貴方を大きくしたんだね。」
「お前…全部知ってるだろ。」
「知らないわ。でも貴方が初恋の相手で良かったって思ってる。幼馴染は負けヒロインで、初恋は叶わない。ダブルパンチを食らっちゃったけど、私は一切後悔してない。貴方を好きになったことも、桜と出会えたことも。その全てが私の人生の幸福だった。だから良いの…これが短い夢だったとしても私は貴方達を忘れない。だからもし、私が自由を失ったら、朱莉のことを…。」
「環奈。嫌なら避けろ。」
その唇を無理やりふさぐ。環奈が目を閉じて涙を流す。だが拒否はされない。俺はそっと唇を離して抱きしめる。
「させねぇよ。なんとかしてやる。もうお前に何も諦めさせねぇ。」
「桜はどうするのよ…。」
「謝る。土下座でも何でもして頭を下げる。俺は二人の気持ちを利用する最低野郎だ。正当化はしない。助けると決めて桜を巻き込んだ時点で俺はとっくに最低野郎だ。だけどそれで二人が…いや朱莉ちゃんも入れて3人が幸せになれる未来を掴む。それが俺にできる全てだ。」
「じゃあ私も一緒に土下座するわ。」
「女に土下座させるのは流石にない。」
現状、最低なのは俺だけだ。だから俺だけでいい。
「私は桜の親友だからちゃんと謝らなきゃいけないの。あっ!それも大事だけどちゃんと桜にファーストキスあげたんでしょうね!?そこが一番大事なんだけど!?」
「してるよ。順番は関係なくないか?」
「はぁ。ならよかった。ダメよ颯汰。そこは大事なの。第1婦人と愛人の格付けはつけないと。」
愛人ってまじで最低だわ…。
「やめてくれ。その言葉は今俺に刺さる…。」
「ふふ。ちゃんと責任取ってよね?ふぁ…。安心したら眠くなってきちゃった。少し寝てもいい?」
「あぁ。ゆっくり休んでくれ。」
俺が頭を優しく撫でると俺の胸に顔を埋めてくる。俺はそのまま撫で続けた。
環奈は今までの疲れを癒すように眠り続けている。どうしたものかと思っていたら、桜がドアから顔を覗かした。すすすっと近づいてきてベッドに座り、そして小声で話し出す。
「よくやったわ。颯汰。」
「何が?」
「ちゃんと二股を許容したんでしょ?やっぱり器がでかい男は良いわよね。これで環奈を本当の意味で救える。後は走り続けるだけよ。」
桜はずっとそれを望んでいる言い方だった。それが俺にはわからない。
「これが環奈の幸せなのかはわからない。俺が結婚するのは桜だぞ?」
「バカなの?海外には重婚を認められてる国があるわ。ちゃんと娶りなさい。」
その言葉に開いた口が塞がらない。
「後顧の憂いを絶ったのよ。わかるでしょ?環奈はアンタが好きで、アンタは環奈を大事に思ってる。その間に挟まった間女が私よ。やり辛いったらないわ。いいじゃない。こんな美人二人を両方物に出来るんだから役得でしょ。画策したのは私だけど、責任を取るのはアンタ。私達は環奈と朱莉ちゃんを幸せにする運命共同体…そうでしょ?」
策士だなぁ。
「そんなところも好きだぞ。」
「ふふ。そうでしょ?私ほどいい女、なかなかいないんだから。」
桜が立ち上がる。
「朱莉ちゃんの様子を見て、晩御飯を作ってくるわ。アンタはもう少しだけ環奈を甘やかしなさい。それが今日のアンタの仕事よ。」
そう言って振り返ることなく部屋から出ていく。彼女はブレない。身内に甘く、そして諦めない。自分にとっての最善を歩み続ける。
ほんと…
「いい女よね。」
「起きてたのか。」
目線を落とすと環奈が目を開けて俺を見ていた。
「流石に頭上で会話されてればね。ねぇ…もう一回キスして。」
俺はそっと唇に自分の唇を重ねて離れる。
「もう一回…。」
俺は環奈のおねだりを受け入れ続けた。
彼女の不安を取り除くために。
第三者から見れば最低な決断かもしれない。
あんないい女を手元に起きながら付き合わず、他の女にキスしている。
だけどこの行動を正当化はしない。俺は最低な男でい続ける。いつか全員で笑ってハッピーエンドを迎える為に。
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