覚悟と本気
「はい。これがアンタの新しい練習メニューよ。」
桜に渡されたノートを開く。スリーの練習が減って、ドリブルとドライブの練習が時間の大半を占めていた。
「チェンジオブペース…。」
桜が頷く。
「今でも十分に上手いわ。でもアンタの背は完璧に止まっていて、まだ背が伸びている子たちは沢山いる。上背の低さをカバーする技術は必要不可欠よ。私たちの勝利には貴方のスリーが絶対に必要なの。それは昨日の練習試合で十分わかってもらえたと思う。」
「あぁ。そうだな。」
昨日の初戦の敗因は圧倒的な得点力不足にあった。スリーがあれば結果は変わっていた。
「必要なのは強靭な足腰と瞬発力。どんな動きにも耐えられる足が必要。それを来月の予選までに完成させてもらう。地獄の訓練になるでしょう。勿論3年までに完成させてもいい。でもチャンスはそれぞれ3回までしかない。捨てられる大会は一つもないと私は思う…。私はサポートしかできないから強制はしないわ。どうする?」
桜は俺の事を思って辞めてもいいと言っている。だが俺に立ち止まっている時間はない。
「やるさ。完成させて、さらに3年間で進化させ続ける。中途半端な覚悟で勝とうなんて、甘い考えは捨てている。」
「そう…。わかったわ。」
桜は泣きそうな顔で頷いた。
「颯汰!当たりが弱いわよ!?もっと手を使って!」
「すまん!」
ドリブルの連取中。俺は集中できずにいた。理由は勿論桜だ。意識する前から体には極力触れないようにしていたが、意識してからはより顕著になってしまっている。
「ダメね。休憩しましょう。」
俺は俯いて頷く。このままではダメだと分かっていても、動きは鈍い。
「ねぇ颯汰。エッチをしましょうか。」
座っていたら桜がそんなことを突然言い出した。
「お、おま!何言って…!」
「こんな事続けててもまともな練習にならないわ。私は颯汰にならどこを触られてもいいと思ってるし、その先だってしてもいい。だから本気でぶつかってきてほしいの。一気に最終段階まで進んでしまえば触るくらいわけないと思わない?」
混乱している頭でも桜が本気で言っていることくらいはわかる。
「だけど…それは…。」
「別に本気でやってくれるならそれでいいわ。環奈との関係も曖昧なまま私だってしたくないし。環奈の事が無ければここで押し倒しても良かったんだけど。でもこれが私がアンタに向ける覚悟と本気だから。」
「覚悟と本気…。」
情けない。これほどまでに俺の事を考えてくれる女の子に対して、俺は恥ずかしがって本気でぶつかっていけていない。その事実が恥ずかしいと思った。
「わかった。次から本気でいく。」
「そう。ならやりましょう。ダメなら本気で押し倒すからね?」
「それは困る。俺はそういうのはちゃんとしたい人間なんだ。」
「ふふ。じゃあ見せてもらうわ。本気の颯汰のドリブルを。」
そこからは無心で体を動かした。もう先ほどまでの考えは頭からは消えていた。
「最後の方は悪くなかったわね。あと必要なのはドリブルテクニックかな…。詰め込むことが多すぎて大変ね。」
帰路につきながら桜はバスケットボールを撫でる。家でも練習できることがあると桜が言ったので一個借りてきたのだ。
一応顧問にも了承を取った。あの人は俺の練習が終わるまで一応職員室に待機してくれている。直接何かを言ってくることは無いが、それはあの人なりの気遣いなのだろう。
「朱莉ちゃんはもう寝てるかなぁ。」
朱莉ちゃんとは生活のリズムがずれてしまっているので朝しか会えていない。
「そうね。20時過ぎちゃったし。ちょっと熱を入れすぎたかなぁ。それもこれもアンタが本気でやらなかったせいだけど。」
「す、すまん。」
桜は俺のことを考えて付き合ってくれているのに、不純な感情は失礼だった。
「ふふ。揶揄っただけよ。少ない時間で鍛えていくしかないのは厳しいわよね…。大会までもう日が無いもの…。予選には流石に間に合わないけど、本線までにはそこそこに仕上げましょう。ウインターカップまでには一先ず完成させて、3年生までにプロの1流レベルまでに引き上げる。高卒からプロは狭き門よ。休んでいる暇はないわ。」
そうだ。時間は限られている。
「俺が金持ちなら、家に体育館を作ってるんだけどな…。」
「ふふ。そんな高校生がいるわけないわ。無いものねだりをしても仕方ないし、やれる事をやりましょう。」
確かにそうだ。無い物ねだりをしても何も増えないし変わらない。
「俺は成し遂げられると思うか?」
ふと不安になる。出来なければ自分の大事なものを失う。高校生にこの重圧は重い。
「今の状態なら無理でしょうね。そもそも貴方一人で勝てるスポーツでもない。でもだからこそ私が横にいるわ。可能性がほぼ0から始める挑戦なんだから不安になるのはわかるわ。だからもし達成できなかったら…。」
「出来なかったら…?」
ふっと桜が笑う。
「逃げましょう。世界の果てまで4人で。いいえ、慎吾もとっ捕まえて5人で。誰にも捕まらない世界の果てまで行きましょう。大丈夫。私達は頭がいいもの。どこに行ってもそれなりの職につけるわ。」
桜はどこか寂しそうに遠くを見る。
そんな事になれば親と会うことは叶わない。
戻ってくることも一生ないだろう。
この子はその覚悟を持って横にいる。
俺は自分の頬を思いっきり叩く。桜がびっくりした顔をして俺を見た。
「どうしたのよ。」
「いや、気合いを入れたんだ。俺は必ず達成して二人を救う。それで全部終わって心配事が無くなったら…。」
「無くなったら?」
「嫁に来てくれよ。絶対幸せにする。」
俺の言葉に桜はふふっと笑う。
「まだ付き合ってもいないのに気が早いわよ。でも、そうね。その時は幸せにしてね?」
「あぁ。勿論だ。」
弱音はもう吐かない。血を吐いてでも達成して、この笑顔を俺は守り続ける。
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