過去と後悔と契約

「よく来たね。」

高いビルの一角。大きな部屋の中央に一人の壮年の男性が座っている。その横には女性が立っていた。

東堂仁(とうどうじん)、東堂綾香(とうどうあやか)。俺の幼馴染である東堂環奈の実の両親だ。

「今日はお時間を頂きありがとうございます。」

「構わないさ。君の両親には娘の事で世話になっている。勿論君にもね。それで本日の用件は何かな。」

真っすぐに俺を射抜く目。その目に気おされる。

「環奈の事です。中学に入ってから二か月。この二か月で環奈は相当消耗しています。」

「ふむ。それで?」

「勉学、育児、家事の両立を中学生にやらせるには無理があると俺は思います。家政婦を雇う、若しくは俺の家で生活させてあげたい。俺の家ならばサポートも効く。幸い俺の母親は専業主婦だ。親からの許可は貰っている。」

「それは出来ない。」

ぎりっと奥歯を噛み締める。

「何故ですか?そちらにとっても悪くない話だと思いますが。」

「環奈が何か君に頼んだのかね?」

俺はその言葉に唾を飲み込む。

「環奈は俺を頼ろうとはしません。俺からも彼女に直接提案はしていない。意図的に距離を開けられている気がします…。」

「そうか。ならばこの話は承諾しかねる。」

拳を握りしめる。口を開こうとして向こうが口を開く。

「そもそも今の状況は意図的に作ったものだ。我が社は代々家族経営をしている。環奈は将来的に優秀な人材の嫁となり、そのものが我が社を継ぐだろう。だからこれは花嫁修業の一環なのだよ。」

「何を…言って…。」

「つまり君にできる事など何もないということだ。私は何かを成し遂げたものの言葉しか聞かない。高校に入れば彼女には婚約者を用意する予定だ。少し歳はいっているが優秀な男だ。」

「待ってください!環奈に自由は無いんですか!?」

俺の言葉に仁さんが鋭い目線を向ける。

「自由だと?私達には全社員の生活を守る義務がある。自由が欲しいなら何かを成し遂げてから主張しなさい。君が何かを成し遂げたときに一つだけ頼みを聞いてやろう。」

「くそ…。結果を残せばいいんですね…?」

「そうだ。そう言えば君はバスケが好きだったな。では最優秀選手でも目指してみなさい。中学最後の大会まで、私は君を見ていよう。それが叶えば、環奈の高校卒業までの自由を許容しよう。あぁそうだ。環奈には不要な接触をしないように。私に約束を守らせたいのならね。まぁ今の君に何かができるとも思えないがね。」

怒りで頭が真っ白になりそうになった。だが苦し紛れに一言言わないと気が済まない。

「いいぜ。やってやるよ。」

俺の言葉ににやりと仁さんが笑った。


「これが俺と仁さんの初めての会話だ。」

「なにそれ…。信じらんない…。じゃあアンタはそのために県No.1の最優秀選手に選ばれるくらいの努力をしたの?」

俺は約束を破らずに努力を重ねた。

そして最後の大会時に最優秀選手に選ばれた。

そして環奈は高校生活の束の間の自由を手に入れている。その事はあの場にいた俺、仁さん、綾香さんしか知らない。

「そうだ。俺の後悔は中学の三年間、環奈に手を差し伸べなかったことだ。勿論約束もあった。だが手を差し伸べていれば環奈の負担を軽くできたはずだ。勿論環奈から助けを求められていれば、俺は約束など反古してでも、あの二人を助ける気だった。でも俺が疲弊していく環奈から目を背けて、逃げていた事実は変わらない。たとえそれが最終的に彼女のためであってもな。だけどあの日、慎吾とキスをしているのを見た俺は、自由に恋愛をできている環奈を見て、多分ほっとしたんだ。それが高校三年間のみの夢だとしても…な。」

そう言って俺は天井を見上げる。

これは俺だけしか知らない、俺だけの戦いだった。そしてあの日のやりとりを思い出す。


「まさかその上背でやり遂げるとはな。的確な判断力、パスカットの精度、ドリブルの突破力、スリーポイントの決定力。何よりもチームを勝たせる能力。私は君を過小評価していたらしい。」

「約束は守っていただけますね。」

「勿論だとも。高校生活の間は環奈に婚約者を用意する事はしない。それに自由な恋愛も認めよう。だがそれは高校卒業までだ。君が慰めてあげたらいい。」

「アンタって人は…!」

ギリッと奥歯がなる。痛いほどに噛み締める。

「ふっ…それ以上を欲するならまた何かを成し遂げなさい。」

そう言って名刺を渡してくる。俺はそれを奪うように受け取った。

「次の目標が決まったら連絡してくるといい。君が本気なら環奈は自由にさせる。私は本気で何かを成し遂げる人間ならば言うことを聞く。これは君と私の契約だ。」

そう言って去っていく仁さんを唖然と見つめるしかなかった。


「ずっと考えていた。環奈をあの親から解放する方法はないかと。だけど環奈を解放したとして、次に標的になるのは幼い朱莉ちゃんだ。仁さんが俺で遊んでいるのは朱莉ちゃんという環奈の代わりがいるからに過ぎない…。俺は彼かすれば羽虫のようなものだ。足掻いている俺を鑑賞してるんだ。性格悪いだろ?中学の時はあの男を見返したかった。でも今の俺はその事実に気づいて心が折れちまったんだ。情けないよな。」

そうだ。だから俺は環奈に恋人が出来て、失恋できて、ほっとしちまったんだ。俺の役目は終わったんだとそう思ったんだ。

言葉にしてやっとこの感情を理解できた。

「だけど今は君がいる。君がいれば俺は上を目指せる。ならあの二人を救うことだって可能かもしれない。あの性格の悪い大人を見返す事だって可能かもしれない。俺の事を何もできないガキだと思っているあの男の喉笛に噛みつけるかもしれない。その為には君が必要だ。俺と一緒に戦ってくれる唯一の相棒が。」

「恋敵の為に手を貸せって?」

「あぁ。そうだ。」

「それが成功すれば間違いなく環奈は貴方無しでは生きられなくなるわ。だってそうでしょ?身を削って陰で自分を支え続けてくれた男を好きにならないわけがない。それでも私に手を貸せって?」

「あぁ。ダメか?」

桜がふふっと笑う。

「上等よ。やってやるわ。私のやることは何も変わらないし、貴方の隣に居られる。じゃあやりましょうか。過去の颯汰は一人だった。でも今は二人。二人で見返してあげましょう。そして後悔させなくちゃ。私の友達を苦しめたことを。」

そう言って桜はにやりと笑う。

「いいのか?」

「もちろんよ。私はそういう優しさで努力できる貴方を支えたいと思ったんだから。」

そうかと頷いて立ち上がる。そして俺は名刺を手に取り電話を掛けた。


「その日のうちに時間を作っていただけて感謝します。」

「構わないさ。君と私の仲だ。」

目の前には少しだけ老けた仁さんが座っている。だがあの日の眼力は衰えず、むしろ増しているように見えた。

「それで?横のお嬢さんは?」

「俺の相棒ですよ。」

「成程。一人ではないと。」

彼の言葉に首を振る。

「俺は思い上がっていたんですよ。元々俺は一人ではなかった。最優秀選手を取れたのは俺だけの力ではない。チームメイト、支えてくれるマネージャー、監督。そして応援してくれた人達。その全てが俺の背を押してくれた。だから俺は今彼女を連れてここにいる。」

「ほう…。」

仁さんが目を細めて俺を見る。

「契約したい事は二つ。一つは高校3年間でインハイ、ウインターカップの両方で優勝した場合は環奈を解放してほしい。二つ目は高校卒業後にプロになれたら朱莉ちゃん解放して欲しい。もし俺がそれをできなかった場合は、貴方の犬としてこの会社で働かせていただく。勿論、バスケはやめます。」

俺の言葉を聞いて仁さんがふっと笑った。

「良いだろう。功績を残せば全ては君の望むままだ。私は約束は守る。では契約だ。せいぜい頑張りたまえよ?少年。」

頷いて立ち上がる。俺は桜の手を引いた。


「後半は聞いてなかったんだけど?」

「何かを得るなら何かを失う覚悟がいる。この契約はそういうものだ。地獄の底までついてきてくれるんだろう?」

俺の言葉に桜は一つため息を吐く。

「そうね。着いていくわ。」

握る手に力を込める。賽は投げられた。高校三年間。俺に浮ついてる暇などないようだ。

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