幼馴染とその妹

緊張しているのか、予定より早く起きてしまった日曜日。この一週間は特別変わったこともなく過ぎ去ってしまった。

時計を見ると朝の7時。いつもの日曜なら寝ている時間だが、この健康的な生活は桜のおかげだ。

リビングに降りると、コーヒーを飲みながら小説を読む桜が目に入った。

「おはよ。」

「あら、おはよう。今日は早いわね。そんなに環奈と会いたかったのかしら?」

揶揄うように桜が笑って立ち上がる。

「そんなんじゃねぇよ。健康的な食事とマッサージのおかげかな。日曜なのに体が軽くて仕方ない。それに出かける予定があるから、お前との時間も作りたかったしな。寝てるなんて勿体無い。」

そう。こんなに変わるのかと思ってしまうほど、今のコンディションは完璧に近い。

練習の最中も動きが良くなってる実感がある。

今なら1on1でもそうそう負けはしないという自信がある。

「そ、そう。朝から私を口説く程度には余裕があるみたいで安心したわ。コーヒー入れてあげるから座ってなさい。」

桜の言葉で今の自分の言葉を省みる。

うん。今の言葉は普通に口説いてるわ。

座ってから頭を抱える。ここ最近一緒にいる時間が長すぎて距離感がわからなくなってる。

起きてる時間の8割は顔を合わせてるんだから、おかしくなるのも当然だ。

「何してるのよ。」

ことんとテーブルに何かが置かれる。

頭を抱えた姿勢から顔を上げると目の前には湯気の立ったコーヒーがあった。

そして苦笑しながら座る桜の姿がある。

「いや…思わず頭を抱えてしまった。そんなつもりは無かったんだけどさ。」

「あら、嬉しかったからいいのよ?」

そう言って桜は小悪魔の微笑みを浮かべる。

コイツには勝てそうにない。

「ほんっとうに!私のこと大好きよね?」

「親友としてな!?お前の事は多分今誰よりも信用してる。じゃなきゃ家の鍵なんて渡さねえよ…。」

俺は頬杖をつきながら目を逸らす。顔が熱い。今桜の顔を直視できそうにない。

「ふふ。今はそれでいいわ。今日朝起きて既に憂鬱だったけど、アンタのその言葉だけで元気出たわ。ありがとね。」

「ばか。俺だって憂鬱だったんだ。俺は環奈のことをずっと好きだった。なのにあんな場面見ちまってさ。勿論一歩前に進まなかった俺に原因があるってわかってるんだけどさ。でもアレを一人で見てたらお前には隠してたと思うし、一人でメンタルブレイクしてたと思う。だから今隣に居てくれるお前の事は大事にしたいって思うよ。だからありがとう。」

目を合わせては言えない。恥ずすぎる。だけどきっと桜は俺に向かって微笑んでることは分かる。それなりに長い付き合いだから。


「じゃあ行ってくる。」

「うん。行ってらっしゃい。晩御飯はアンタの大好きなハンバーグを作ってあげる。特別にチーズ入りよ。」

そんなことを言われたら18時までには帰らなければ…。

「わかった。楽しみにしている。」

時刻は9時半。約束は10時からだ。

歩いて10分の道だがゆっくりと歩く。だがあっという間に着いてしまった。

とりあえずチャイムを鳴らすとパタパタと音がして扉が開いたと思ったら小さな影が飛び出してきて抱き止める。

「にーに!いらっしゃい!」

うん。朱莉ちゃんだった。分かってたけど。

「こら朱莉!お兄ちゃんに突撃したらダメでしょ!?」

「ごめんちゃい。」

まだ舌足らずなところも可愛い。

「大丈夫だ。子供だしな。でも朱莉ちゃん。扉から飛び出したら危ないぞ?相手が俺だから良いけれど、危険な大人だっているんだ。わかったかい?」

そう言ってしゅんとなっている朱莉ちゃんの頭を撫でるとうん!と頷いた。わかったならよしと俺は朱莉ちゃんを肩車してやる。

すると朱莉ちゃんはキャッキャっと楽しそうに笑う。子供は感情がコロコロ変わるから扱いは楽だ。

「いらっしゃい。颯汰。」

「おう。」

声をかけられて、落とさないように朱莉ちゃん向けてた注意を環奈に向ける。そして言葉を失った。

ロングスカートを基調にした大人っぽい服装。

バッチリと決めたメイク。端的に言えばぐうかわだ。しかし彼女は既に他の男のものである。

一瞬でメンタルブレイクをされかけたが、俺はなんとか持ち直す。

「き、今日も可愛いな。」

とりあえずは言っとくべきだ。前の俺なら言ってた。うまく笑えてるかはわからん。だがいつも通りを貫かなければならない。

「そ、そう?ありがとう。」

おまっ、頬を染めるな!脳が壊れる!

「あ、あぁ。」

環奈から朱莉ちゃんに意識を移す。

脳を破壊される前に情緒を元に戻さなければいけない。

ゆっくりと朱莉ちゃんをおろすと抱きついてきたので、抱っこしたまま俺は彼女の家に入った。


「おままごとをしましゅ!」

朱莉ちゃんの言葉に俺は拍手をする。

こういう時は素直に子供を立てておけば上手くいくことを俺は知っている。

「にーにがぱぱさんで私がままさんです!」

「私は!?」

配役に環奈がツッコミを入れる。

「ねーねはねぇ…。わんちゃん?」

「えぇ…。」

やりとりに苦笑する。子供の配役はたまに謎だ。

「ぱぱしゃんは私のことがしゅきですか!?」

「あ、あぁ。勿論。」

いきなり突っ込んだことを言う朱莉ちゃんに苦笑しながら答える。

「どこがしゅきですか!?」

「そうだなぁ。明るいところかな?」

「朱莉もにーにしゅき!」

そう言って抱きついてくる朱莉ちゃんを俺は抱きしめた。

「犬が出るタイミングがないじゃない…。」

ぼそりと呟く環奈にどう反応していいか分からないが、子供のおままごとはこんなもんだ。

その後も朱莉ちゃんに振り回されつつ時間を過ごして16時頃にスイッチが切れたように寝てしまった。


「今日はありがとう。」

「いいよ。呼んでくれれば、余裕のある時はいつでもくるさ。きっと朱莉ちゃんも寂しいんだと思うし。ご両親は相変わらずか?」

「えぇ。最後に会ったのは一月前よ。帰ってこないもの。本当に勝手よね。」

成程。状況は変わってないらしい。そんな状況を支えてくれる男を見つけられたのは幸福だったろう。

「そうか。何かあれば言ってくれ。俺だってあれから少しは成長したんだ。微力でも手伝えることはするよ。」

「ううん。大丈夫よ。この生活にも慣れてきたもの。朱莉だって成長してきて、悪いことは理解してくれるようになった。賢い子だから一度注意したらやらないし。」

そうか。やはり俺に手伝えることはないらしい。なんでも良かったんだけどな…。俺はどんなことだってコイツの為なら出来た。

だけど今のコイツには俺じゃない支えがある。

勇気を出すには遅すぎた。もっと早く無理矢理でもいいから手を差し伸べていれば、結果は変わったのかもしれない。最近はこんな事をずっと考えてしまう。

「颯汰はバスケはどうなの?」

「最近は調子いいよ。たぶんインハイもいいとこいけると思う。次の練習試合でとりあえず色々試してみようとは思っている。」

相手は強豪校だ。そこに通用するなら大体のところには通用するだろう。

「そっか。桜とはどうなの?」

「桜?まぁ仲良くはしてもらってるよ。マネージャーとして支えてもらってるし。ウチのチームメイトも全員桜には感謝してる。アイツには上の景色を見せてやりたいってみんなが思ってる。モチベーションの維持にもなってるな。」

「そっか…。」

なんだか環奈のテンションがどんどん下がってる気がする。なんだろう。特に変なことは言ってないんだが…。

チラリと時計を見ると17時をすぎていた。

目的である朱莉ちゃんは寝てしまっているので俺はお役御免だろう。あまり彼女の時間を奪うのも悪い。

「さて。そろそろ俺は帰るかな。」

「そっか…。うん。わかった。」

環奈が立ち上がって俺を玄関まで送ってくれる。その間も会話は特になかった。

「じゃあまたな。朱莉ちゃんが俺と遊びたくなったら呼んでくれ。」

「うん。またお願いするかも。ごめんね?」

「いいさ。大事な幼馴染の妹だからな。」

これは本心だ。たとえ俺への気持ちが彼女に無くても、大事な幼馴染に変わりない。そして朱莉ちゃんはその妹だ。だから朱莉ちゃんの為なら俺はこの家に来るだろう。

「うん。そういうところが…き。」

声が小さくて聞き取れない。

「どうした?」

「ううん。何でもない。またね。」

手を振られて扉が閉まる。俺は歩きながらため息を吐いた。うん。やっぱ辛えわ。

何が辛いって過去の自分の選択ミスだ。

でも今は目の前にいるやつを大切にしなければならない。手の届く人を守ることしか俺には出来ない。

「過去に戻れたら…。」

記憶を持ったまま過去に戻っても何も変わらない。それはわかってる。中学生の自分にできることなんて何もない。

それでもしつこく手を差し伸べればずっと隣にいてくれたのか?

空を見上げて呟く。その答えを返してくれるものは当然ながら誰もいなかった。

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