デートとバッシュ

「…きて。颯汰!」

誰かが俺の名前を呼ぶ。その声に意識が浮上する。目を開けると桜の顔が至近距離にあった。

「うお!お、おはよう…桜。」

「うん。おはよう。お寝坊さんなんだから。なかなか起きないから起こしに来たわ。」

日曜は昼まで寝ていることもあるのでついついタイマーもつけ忘れた。

「今何時だ?」

「11時よ。起こすのも可哀想と思ったから寝かしていたけど、全然起きないんだもん。流石に起こさせてもらったわ。」

「なるほど。それは悪いことをした。俺日曜は昼まで寝てるから。」

目を擦りながら体を起こす。

「別にいいわ。疲れてるのは知ってるしね。私は今からお昼を作ってくるから。準備したらリビングに来てね。」

「あぁ。マジ助かる。」

パタパタと出ていく桜を見送って部屋を見渡す。

心なしか昨日より綺麗になっている気がする。どうやら掃除をしてくれたらしい。

本当に万能な素晴らしい嫁になるなあいつ。

そう思いながら立ち上がって、顔を洗うために洗面台に向かった。


顔を洗って、いつもまとめて日曜に洗う洗濯物を確認したら既に空であることに気づく。

(おいおい。これもやってくれたのかよ。)

流石に申し訳なさに頭が上がらない。リビングへ行くといい匂いと共に庭に干された洗濯物に気づいた。

桜がオムライスを作ってるのが見えたので運ぶよと言うと礼を言われた。礼を言いたいのはこっちの方だ。

「すまん。これからは細かく洗濯物をする。」

「ダメよ。アンタはバスケに集中する。私はアンタをサポートする。それにアンタの服なんて合宿で何度も洗ってきたわ。下着もね。他の人のは拒否してきたけどアンタのは慣れてるから気にしないでいいわ。」

他の人のは拒否していたという新事実にどこから突っ込めばいいかわからないが、まず言うことがある。

「ありがとう。助かる。」

「ふふっ。うん。お礼を言う。それだけでいいのよ。謝られるよりお礼を言われた方が私は嬉しいわ。それに私がやりたいからやってるだけだからね?そこは勘違いしないで。」

「わかった。」

本当にコイツには頭が上がらない。

オムライスを食べた俺たちは二人で洗い物をする。

「このあと少し付き合いなさい?」

「バッシュだよな。わかってる。俺も一人で買いに行くよりは楽しいからよろしく頼むよ。自転車使うか?」

「あら。私のもあるの?」

「あぁ。母さんのがある。定期的に俺がメンテしてるから使う分には問題ないぞ。」

「じゃあお借りしようかしら。」

これからの予定を決めて俺たちは一度別々の部屋に戻る。桜にも準備はあるだろう。

部屋に戻って1時間ほど猫達と戯れていると、桜が顔を出した。その姿に見惚れてしまう。

普段彼女はメイクをしない。それが今日はばっちりとメイクをしている。さらに髪はハーフアップ。少し香水の匂いもする。そして白いワンピースからは健康的な肌が見えていた。

「綺麗だ…。」

「そ、そう?変じゃない?私あんまりメイクをしないから見様見真似なのよ。さっきアンタの部屋でファション誌を見つけたから参考にしてみたんだけど…。」

「いや凄えよ。元々美人だったけど、さらに魅力が増した。そこまでされたら俺も本気で髪セットしてくるわ。横にいて見劣りしちまう。」

誰が横にいても見劣りしそうな美人ではあるがそれでも最低限俺も整えたほうがいいだろう。

「えっ!?うん。あ、ありがとう。わかったわ。」

俺は桜を残して洗面台に向かう。いつもは邪魔にならない程度に軽くセットする程度だが、今日は気合を入れてセットをする。

軽くヒゲも生えてきていたので丁寧に剃ると鏡の中には清潔感のある好青年と言える男子がいた。まぁここまでやればとりあえずは大丈夫だろう。きっと学校のやつが俺を見ても誰だかわからない程度には激変している。

軽く香水を振りかけて部屋に戻る。

「待たせたな。」

俺が声をかけると桜がぼぅっと俺の顔を見る。

その頬は少しあからんでいる。

「変か?」

「ううん。凄く…いい。」

「そうか。」

ならいいかと頷く。

机の引き出しを開けて大事にしまっていた時計を出す。入学祝いに父さんが買ってくれた高級腕時計を取り出すとつける。

高すぎて外につけていくには緊張する代物だ。

結局本来の使い方はされない子になっていたので初お披露目になる。

この時計に負けないようにと父さんが買ってくれたジャケットを羽織り、伊達メガネで印象を変えると更に普段の俺からは遠ざかった。そしてそこそこのコーディネートも完成した。

「自転車で行こうと思ったけど、せっかくオシャレしたしタクシーで行こうぜ。無料券があるんだ。」

そう言って振り返ると桜が目を見開いている。やりすぎたかな?

「えっ…?アンタ…本当に颯汰?」

「あぁ。中々のもんだろ?これなら堂々と外を歩ける。まぁ環奈には流石にバレちまうけどな。」

俺は誰にもバレたくないときはこうやって見た目をガラッと変える。だがアイツは何故かどんなに見た目を変えても俺に気づくのだ。

今日はいつもよりも周到に雰囲気を変えたつもりだから大丈夫だと思うが。

「もはや別人じゃない…。これで気づくほうがおかしいわ。いつも格好いいけどベクトルの違う格好良さね。なんだか仕事ができる社会人みたい。」

あぁ…確かにそうかも。この格好も父さんの影響が色濃く出てる。

「父さんが俺を着せ替え人形の様にするからブランド物の服はそこそこあるんだ。知り合いと外で遭遇すると面倒だから、本気で誰にも会いたくない時はこうしてるってわけ。この格好で誰かと出かけるのは初だな。どうだ?俺も君のためにオシャレをしてみたんだぜ?」

「わかりやすく言うなら最高よ。優越感に浸れるわよ。」

「そうか。ではお嬢様。お手をどうぞ?本日は私がエスコートさせていただきます。」

恭しくしゃがんでわざとっぽく演技をする。そして手を差し出すとくすっと笑って桜は俺の手を取った。


タクシーで向かった先は俺の行きつけの専門店だ。ここは数多くのバッシュが取り揃えられていているだけで楽しい。

俺たちは堂々と腕を組んで入店した。

周りの目がチラチラとにこちらに向く。こんな美人を連れているのだから当然だ。

顔見知りの店員を見つけたので声をかけた。

「本日はご来店いただきありがとうございます。どう言ったものをお探しで?」

なんだかいつもより丁寧だ。これは俺だと気づかれてないな。やりずらいから名乗っておく。

「お久しぶりです。颯汰っす。俺はいつものバッシュで限定色があればみたいんですがいいっすか?あとこの子に合いそうなバッシュをいくつか見繕ってください。」

「はっ!?え!?颯汰くん!?本物!?」

本物?ってなんだ。

「俺の偽物が出没してんすか?」

店員が俺を指差す。

「今、目の前に。つかこんな別嬪さん連れてきたことも今までないじゃないか!いつも一人なのに!彼女さんすか?」

「いや親友っすよ?でも特別な人だというのは確かかな。彼女もバスケをするからそれでここに来たってわけ。俺のバッシュもへたってるから交換。売ってるのはここしかないから。」

「と、特別…。」

桜がぼそっと呟くがとりあえずスルーする。

「なるほどねぇ。あいわかった。ちょっと待ってな。あっ彼女さんは足何センチ?ポジションは?」

「か、彼女じゃない…です。足は23cmです。彼の練習相手になりたいのでPGで。」

「OK。じゃあいくつか用意してくるから…そうだな。あそこに座っててよ。」

指をさされた先にあるソファーに俺達は歩いていき座る。

「ここにはよく来るの?」

「いや頻繁に来てるわけじゃないな。ここはバッシュの専門店なんだ。海外の物とか限定色も数多く取り扱ってる。男ってやつは限定色って言葉に弱くてさ、ここでしか買えないものもあるからたまに来るんだよ。」

「そうなんだ。じゃあ私も今後はお世話になるかもね。」

「そうかもな。男だけじゃなく女性のプレイヤーも多いから大丈夫だと思うけど、なるべく一緒に来ようぜ?」

俺がそう言うと桜はうんと嬉しそうに笑ってくれた。


「いくつか持ってきてみたけどお勧めはこれかな。颯汰くんが今履いてるものの最新モデル。さらに軽量化しつつ全体的に強化されてるね。限定色は緑とピンク。君たちにピッタリじゃないかな。」

差し出されたものは見慣れたシューズ。だが持ってみると明らかに軽くなっている。履いてみるとフィット感も素晴らしく履き心地もいい。

地面を蹴ってみるとグリップ力も問題なさそうだ。桜も履いてこちらを見ると頷いた。

試しに他のもの履いてみたがやはりこれが一番ピッタリくる。

「これでお願いします。」

「了解。支払いはいつも通りカード?」

「そっすね。バスケで使う金は親も確認してるのでそれで。」

「了解。ではこっちで。」

レジに案内されて支払いを済ませる。そこそこな値段がするので桜には見せないようにする。

「いくらだった?払うわよ?」

「大丈夫。バスケの金は親が確認したがるから。これは俺が上手くなるための必要経費。」

「腑に落ちないけどわかったわ。でもちゃんと親御さんとお話しさせて欲しい。」

桜が気にするなら必要なことだ。俺はわかったと頷いて桜に微笑む。

「な、なに?」

「いや?桜ならウチの親とも上手くやれそうだなって思っただけだ。この後はどうする?」

「そ、そうね。仲良くできるように努力するわ。時間的には余裕があるけれど、今日は家事をやりたいのよね。基本は掃除もできてるみたいだけど手の回ってないところも多かったし。」

そう言われると痛い。俺は掃除があまり得意じゃない。というか生活能力が高い方ではない。

だがせっかくオシャレもしているしと少し考えて、あそこに連れて行くかと思い立った。

「行きつけのカフェがあるんだ。そこだけ寄っていこうぜ。」

「うん。いいわよ。」

目的の場所はここから歩いて15分くらいだ。

それにしても本当に今日は視線がすごい。すれ違う男どもが皆桜を見ている気がする。

優越感にも浸れるが問題もある。

少し離れればきっとナンパされるだろう。

そんな事を考えているとあっという間に目的地へとついた。

母さんの親戚が家族経営をしているカフェだ。

チーズケーキとコーヒーが絶品で、俺たまに一人でくる。

「いらっしゃいませー。」

扉を開くとカランコロンと音が鳴り、同い年の娘さんが出てくる。その子が俺の顔をジロジロとみる。勝率は5割がいいとこだが気づくか?

「颯汰…?」

「正解。」

小鳥遊瑠美(たかなしるみ)。ここの看板娘である彼女は俺の従姉妹にあたる。長い茶髪をまとめていて、スタイルのいい女性だ。

瑠美はチラリと隣の桜を見て首を傾げる。

「浮気?」

コイツは当然環奈を知っている。家で会ったこともある。だがここには連れてきたことがない。ここに一人でくるのは好きだが、人を連れてきたいとは思わないからだ。

「違う。コイツは親友の藤崎桜。」

腕に力が籠る。あっなんか勘違いしてそう。

「藤崎桜です。よろしくお願いします。」

「颯汰の親友…。成程ね。大体わかった。私は小鳥遊瑠美。颯汰とは従姉妹なの。貴女とは長い付き合いになりそうだし、よろしくね?桜さん。とりあえずこちらにどうぞ?」

案内されたのは一番奥の個室の席だ。俺がいつも使っている席だ。この個室があるから俺はここを贔屓にしていた。常連席とも呼ばれているらしい。

「注文が決まったら鈴を鳴らしてね。颯汰はいつもの?」

「あぁ。」

チーズケーキセット。ここに来たらこれに限る。コーヒーも2回までおかわり可能で650円。あまりにも安い。

はいはいっと瑠美は下がっていった。

「お勧めはある?」

「チーズケーキセットだな。でもシェアも出来るから別のものでもいいと思うぞ。」

「魅力的な提案ね。決めたわ。」

桜が鈴をならすと直ぐに瑠美が顔を出した。

「すみません。このチョコケーキとコーヒーのセットで。」

「チョコケーキとコーヒーのセットですね?畏まりました。少々お待ちください。」

瑠美が丁寧だ。ものすごい違和感。だが普通に接客をすればこうなるだろう。

「彼女は従姉妹なの?」

「あぁ。母方のな。付き合いは長いよ。別の高校だから昔よりは顔を合わせてないけど、ここにはよく来るからたまに会うかな。」

「綺麗な子ね。」

「お前のほうが綺麗だろ。」

確かに瑠美は美人ではある。だが俺は髪を染めてる子は得意じゃない。

スタイルだって桜は158cmと小柄な割には出るとこが出ていて素晴らしい体型だ。

瑠美と環奈は170を超えているが、桜はその二人より胸がある気がする。だが太っているわけではなくしっかり引っ込んでるとこは引っ込んでる。つまり俺好みの理想の体型だ。この体型を維持するのは苦労するだろう。

「そ、そう。そう言って貰えて嬉しい…。ありがとう。」

「お、おう。」

さらっと言ってしまったがこれは恥ずい。

お互い赤くなってると瑠美がお待たせしましたと入ってきて首を傾げる。

「初々しいわね。颯汰は環奈ちゃん一筋じゃなかったんだ?」

「振られたんだ。その話は傷心の俺に刺さるからまた今度な。」

「振られた?ふーん。あの子颯汰を裏切ったんだ。結構有望株なのに。まぁ私も仲がいいわけじゃないし、中学以降は会ってもいないからどうでもいいか。それではごゆっくり。」

そう言って心底どうでも良さそうに瑠美は下がっていった。目の前には注文していたケーキとコーヒーがある。一口食べる。うん。美味い。

「美味しいわ。そっち一口貰っていい?」

「あぁ。」

皿を差し出すと桜は首を振って目を閉じて口を開けた。つまりあーんだ。

「フォークは?」

俺の言葉は無視される。仕方ないのでケーキを切り分けて桜の口の中に入れた。

「ふふ。甘いわ。」

ぺろっと舌が唇を舐める。それすらも艶めかしく見えた。そして今度は桜がこちらにケーキを乗せたフォークを差し出す。

「流石に恥ずかしいぞ。」

「誰も見てないわ。いいでしょう?」

そう言われては断ることもできない。俺はパクりとそのケーキを口に入れて咀嚼した。

何度か食べた味のはずなのに、なぜかいつもより甘く感じた。

ゆっくりとした時間を二人で過ごして店を出る。帰り際、瑠美と桜が二言三言話していたがあえて内容は聞かなかった。

親戚だし、仲良くしてくれるなら助かる。俺の見立てではこの二人は相性は悪くないはずだ。

時計を見ると15時を少し回っていて、そろそろいい時間である。

俺はタクシーを呼び止めて桜と共に帰宅した。

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