第2話 赤羽ゴロウ
「……緊張した」
自称光の悪魔は深いため息をつきながら、部屋のドアを後ろ手で閉める。
彼は、赤羽ゴロウは悪魔などではない。人間だ。それも社会的に身分が低いとされている人間、いわゆるニートというやつだ。大学卒業後に新卒で入社したIT会社を半年足らずでやめた
そんなほとんど引きこもりニート同然の彼が、青葉タカシ少年に異質な接触を試みたのには理由があった。きっかけは三か月前まで遡る。
* * *
赤羽ゴロウはいつものように、窓を閉め切っているせいでこもった空気の自室にてインターネットゲームに興じていた。
「わざわざハッチ前で煽んなよゴミが死ねッ」
手の骨が痛くなるほどの強さで机を叩く。ゴロウの目の前のモニターには、敗北の二文字がでかでかと書かれたリザルト画面が映し出される。机を思い切り叩く音が殺風景な部屋に響き、そのどうしようもない空虚さがゴロウを一気に冷静にさせる。いつものことだった。
いやに耳に纏わりつく部屋の静寂を破るようにして、道路に面した窓から賑わしい声がしてくるのにゴロウは気が付いた。その通りは通学路にもなっており、朝方と夕方には近くにある県立中学の生徒たちが登下校するので、大方そいつらが騒いでいるんだろうとゴロウは舌打ちを漏らす。
「なに? いまさら文句―」
「帰宅部―荷物持ちの―なんでしょ?」
「さっさと―」
ゴロウは途切れ途切れ聞こえてくる会話とそれに混じる馬鹿笑いが決して微笑ましい類のものではないということにすぐに気づくと、カーテンの隙間から外の様子を窺う。ゴロウの予想通り、生垣越しに
「調子乗んなよチー牛が」
ツイッターなんかでよく目にする、垢抜けない男性の容姿を揶揄する意図で使われるネットミーム。イマドキの中学生はチー牛とかいう蔑称めいた言葉も平気で使うのか。晩秋の肌寒い空気と共に流れ込んできた罵声に、ゴロウは身体をぶるりと震わせた。
「で、でも最初は負けた人が鞄持つって…」
「だ~か~ら! 最初から男気ジャンケンって言ってたろっ」
どすっという鈍い音の後に、グループの一人が生垣から見切れるように倒れながら姿を消す。その際に持たされているであろう荷物を取り落としたのか、ドサドサドサッという音が続く。
「あ~なんか白けたわ。お前罰金として明日三万くらいもってこいよ」
いいねソレ、とネバついた薄笑いが続いた。
「嫌だったら悪魔でも召喚して助けてもらえよ、タカシ」
「悪魔? 何それ」
「こいつ大真面目に悪魔の召喚方法とか調べてやがんの」
「厨二病ってやつ? 頭弱すぎ」
「な」
男子生徒数人による嘲笑は、こだまし増幅していく。
「てかいつまで荷物持ってんだよ。お前が持ってたら俺らまで頭悪いのうつるだろーが」
「それな」
「俺あとで除菌シートで拭いとこ~っと」
笑い声は次第に遠くなっていった。
ゴロウはそのあともしばらく息をひそめて外の様子を窺っていた。しばらくすると、ザッという運動靴とアスファルトがこすれる音と共に一人の男子生徒がにょきりと弱弱しく立ち上がったかと思うと、肩を落としながらとぼとぼと歩き去っていった。
ゴロウは自身の学生時代の苦い記憶が思い出され居ても立ってもいられなくなり、急いでゴムサンダルをつっかけると、男子生徒がしょんぼり歩き去った方角へと足を向けた。
幸い通りが長い一本道であったことと、少年の歩くスピードがかなり遅かったこともあって、その後ろ姿をすぐに捉えることができた。
ゴロウは久しぶりに足早に歩いたこともあって、すでに息が上がりかけていた。呼吸の荒さのせいで、三十メートルほど離れたところを歩いている少年が今にも振り返らないだろうかとどぎまぎした。俺が一方的につけてるだけだ。たとえ少年が振り返っても何の問題もないさ。ゴロウはそう自分に言い聞かせながら歩を緩めた。
少年はしばらく歩いた
ゴロウはいかにも散歩中ですという風を装いながらも、その家の前だけ多少歩みを緩めながら通り過ぎ、表札にある「青葉」という文字をその目に焼き付けた。
そして次の日からゴロウのとある計画が始まった。
ゴロウはまず、青葉家の家の前に立っている電柱にボルトに擬態させた小型カメラを設置し、青葉家の家族構成やそれぞれの活動時間帯を細かく割り出していった。そしてゴロウは、青葉家は父と母とその息子のタカシの三人で暮らしであることや、両親が共働きということもあり平日の昼間は家が完全に留守であることをあまり時間をかけずに突き止めた。
次にゴロウは平日の誰もいない青葉家の敷地に侵入すると、庭に面している窓の一つをピッキングでいとも簡単に開けてしまうと、そこからさらに屋内へと侵入した。鳴かず飛ばずの推しの地下アイドルのアパートを物色するために磨いた技術の一つだった。
ゴロウがピッキングで開けた部屋の窓は、図らずもタカシ少年の部屋のものだった。本棚にはライトノベルや少年向けのコミックスがずらりと並んでおり、勉強机の上の参考書類も綺麗に整頓されていた。
そしてゴロウは、本棚の上に部屋全体を見渡すように鎮座しているライトノベル『Return:100』という作品のヒロインのフィギュアに目を付けた。
風をはらんだスカートの内側に超小型の盗聴器を取り付け、マフラーさながらにヒロインの首に巻き付き大口を開けている蛇のような見た目をしたモンスターの口の中には超小型カメラをそれぞれ素早く設置し、手元のスマートフォンで映像と音声が問題ないことを確認する。
それからゴロウは蜘蛛を一匹本棚の裏に
これらのゴロウの卓越した技術力は、どれもアイドルの追っかけをやるなかで死に物狂いで身に着けたストーカー行為の中で磨かれてきたものだった。
ゴロウは蜘蛛ロボットの動作に問題ないことも確認すると、慣れた手つきで青葉家を後にした。
それからゴロウは青葉タカシの情報収集に徹した。時には自ら下校中のタカシの後をつけたりもした。好きな食べ物に嫌いな食べ物、学校の時間割にタカシの口癖まで徹底的に調べ上げた。すべては光の悪魔計画を成功させるためだった。
光の悪魔計画。いじめられている青葉タカシを目撃したときに、突如としてそれは赤羽ゴロウの頭の中を埋め尽くした。
悪魔を信じ、悪魔に縋る少年の前に、光の悪魔を騙って現れる。光はすべてを遍く照らす。それを信じさせるための、盗聴、盗撮、ストーキング。そして光の悪魔として、いじめっ子たちを殺す。
* * *
「……緊張した」
赤羽ゴロウは深いため息をつきながら、部屋のドアを後ろ手で閉める。
そして異変に気づく。何者かが、ゲーミングチェアに腰かけている。
「待っていたよ」
親ではない。そもそも両親には部屋には勝手に入らないようにきつく言ってある。聞きなれぬ声にゴロウは身体をこわばらせる。
声の主が、椅子をギ……とわずかに軋ませながら振り返る。
ゴロウは全身の毛穴という毛穴がめくれ上がるような錯覚に襲われた。貧血でぶっ倒れる直前のように、全身から血の気という血の気が引いていった。冷たい脂汗が全身から噴き出し、餌に群がる鯉みたい口をパクパクして呼吸するのがやっとだった。自分が今、果たして立っているのか座っているのかすらもわからなかった。
そこにはただ、深遠な光が腰かけていた。
「どうもこんばんは。光の悪魔です」
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