反省会はうどん屋で
真田ヒョウ
第1話 反省会はうどん屋で
「情けなくないですか」
「情けなくねえ」
俺の問いかけに、間髪入れずに師匠が答える。
群青色に染まる、ライブハウスの中。重厚な扉で閉ざされた空間には、俺たちしか客はいない。スモークでほんのりぼやけている空気を引き裂くように、DJが爆音で曲を流している。はじめは五月蠅いと思っていた音量も、長くいるせいか慣れてしまった。流れている曲の歌詞を口ずさんでいた師匠が、DJがアレンジするせいで、思うように口ずさめず、イライラしているのがわかる。
DJとは既存の曲を繰り返したり、混ぜたりして、新しい音を確立する役割だ。何度も説明しているはずなのに、師匠は理解してくれない。
はぁ、とため息をついたが、ただの吐息だ。大きな音のせいで誰にも届いていないだろう。と、突然師匠が俺にスマホ画面を見せてくる。
「みぃみちゃんだ」
わざわざスマホのメモにそう打ち込んである。直接言わないのは、俺の先ほどの問いかけが、師匠にとってきまりが悪いものだったからなのか。それとも曲が思うように進まないことに苛立っているからなのか。そのどちらか、もしくは両方だ。
薄暗い空間に、師匠のスマホから出る白い光がやけに眩しく感じられる。慣れない光で目の奥が痛い。
師匠が顎で示す方向に目をやると、リボンやレースでふりふりに飾り付けてある淡い桃色の衣装を着た、髪の毛を高い位置で2つに括った若い女が、DJに何か言っている。
みぃみちゃん、とは師匠お気に入りのアイドルである。彼女が所属するグループが月に一度、ライブを主催するのだが、師匠と俺はそれの常連となっている。一回のライブのチケットは、ドリンク込みで3500円ほど。そこまで派手に売れているアイドルではないのに、3000円も取るのか。それとも3500円は安い方なのだろうか。どちらかは未だにわからない。
今も俺の手にはジンジャーエール、師匠の手にはクラフトビールが握られている。プラスチック製の大きなコップに入った、角が丸くなった氷が、飲み物の中でゆらゆらと泳ぐ。
「皆さん、もう少ししたら始まります、待っていてくださいねー!」
みぃみちゃんがDJブースにあったマイクを使って、俺たち客に呼びかける。いつの間にか客席は10人超の客であふれていた。呼びかけに対して会場がわっと湧くのを確認したみぃみちゃんが、にっこりの笑みを浮かべるのが、暗い中でもわかった。
友達なのか、俺たちと同じ客なのか、見た感じみぃみちゃんと変わらない年齢の女が、「みぃみー!!」と叫ぶ。
「情けなくないですか」
俺はもう一度、師匠に尋ねた。こんな子たちを騙して。師匠がそっぽを向く。
音楽が流れ出す。先ほどとは違う、DJがいじっていない、純粋でポップな音楽がライブハウスに充満する。歓声が混じった大音量の曲によって、心なしか息苦しくなる。みぃみちゃんを先頭として女が7人、手を振りながらステージ横から飛び出してきた。それぞれ定位置につくと、7人ともポーズをとった。
一瞬の沈黙の後に再び音楽が流れだすと、7人がそれぞれの笑顔で踊り出す。
ライブが、幕を開ける。
ライブを観戦している師匠をちらりと見る。
年は、40代後半くらい。一つにまとめた長めの髪。ぼさぼさにのびた髭。薄い色のサングラスは派手なアロハシャツのポケットに引っかけてある。そして、ダメージの加減を間違ったのか疑いたくなるような、ぼろぼろのジーンズ。
明らかに堅気ではない見た目をしているが、ライブハウスに来る人間なんてみんなどこか変わっている。刺青が入っていたり、目の下が真っ黒だったり。もちろんみんな変わっているわけではないが、そういう人たちが多いように思う。
ここでは師匠も特段浮いては見えない。
サングラスで覆われた目は、ステージの上で踊るみぃみちゃんを確実に追っている。
それに比べて俺は、ゆったりとしたシルエットのズボンに白いTシャツ。ごちゃごちゃと色々身に着けている師匠に比べると、すっきりとした服装だ。年齢も、今年で24になるので、師匠より大分若い。
なぜ、正反対な俺と師匠が一緒にライブに来ているのか。
それは多分、後でわかることだ。
1時間程のライブが終わった。
みぃみちゃんたちがステージからいなくなったのを見計らって、俺たちは早々に会場を後にする。なかには、ライブの余韻が抜けきれないらしい人たちが、体を揺らしながらダンスらしきものをしていた。彼らの頭の中では、まだ音楽が流れ続けているのだろう。
階段を下りて外に出る。4時過ぎだが、太陽はまだぎらぎらと照っている。
俺はまだ残っていたジンジャーエールを飲み干し、少し存在していた氷もばりばりとかみ砕く。外の気温との寒暖差で口の中が、より涼しく感じられる。
飲み終わった後のコップは、近くにあった自販機横のごみ箱に投げ入れた。
師匠は、コップを持っていない。置いてきたのだろう。
俺たちはライブハウスを出て、駅前の飲み屋街をぶらぶら歩く。生ぬるい風が体中を舐めていく感触が気持ち悪い。
まだあちぃなとつぶやく師匠に、まだ八月ですよと返す。
そうだけど、と返した師匠がサングラスをかける。今まで外の世界との境界線を持たなかった師匠の眼が、レンズによって世界との隔たりを持つ。
そうだ、と師匠が再び口を開いた。
「やったか?」
続けて思い出したようにつぶやく。
やった、というのは多分入口で払った取り置きのチケット代のことだ。今まで本当に忘れていたのだろう。この人はそういう人だ。目の前のことしか見られない、職人タイプ。とても不器用な人だな、といつも思う。
「あげたろ、お小遣い。」
やっぱりそうだ。
チケット代は師匠が5000円をくれた。いつもそうである。チケットは前売り券を買わず、取り置き。おつりのことなど考えずに、大きい額の紙幣を師匠が渡してくれる。5000円だったり、あるいは10000円だったり。
俺はため息をついた。ライブ前は俺のほうが師匠を責めていたのに。これでは立場が逆転したみたいだ。
返答の代わりにポケットから師匠がくれた紙幣を取り出す。人差し指と中指の間に挟んだ5000円札が風によって揺れる。
師匠が、ある部分を見て顔をしかめた。またお前は、と師匠の心の声が頭にするすると流れ込んでくる。
「今夜はうどんだ。」
この言葉が、師匠の感情を一番示していた。
俺は5000円札をポケットに仕舞った。
ポケットに入れたこの紙幣には、ホログラムがはいっていない。すかしも、パールインキも、マイクロ文字もはいっていない。紙幣を作る際に、日本銀行が必ずいれるという偽造防止技術の数々がはいっていない、俺のポケットの中の紙幣。
つまりこれは…偽札。
時刻は午後5時前。ライブハウスの近くにうどん屋がなかったためかなり歩いたので、こんな時間になってしまった。
夕飯の時間には早い時間のチェーン店のうどん屋で師匠と向かい合う。席は当然空いており、すんなり座ることができた。
汗が滲んだTシャツに、きつめの冷房からの風が気持ちいい。
席に着くと師匠がスマホを取り出す。自分が前何を頼んでいたか、なんてこの人は覚えない。覚えられない。だから代わりに、いつもメモしている。
「親子丼セット一つ。」
スマホのメモで確認した師匠が、店員を呼んで、そう告げる。
うどん屋の丼は出汁がきいて上手い。そんな理由で、師匠は親子丼とかつ丼をセットにして、交互に注文していた。今日は親子丼の日。
街であまり見かけないタイプの派手な服装の師匠に戸惑いつつ、店員が俺に視線を移す。
「お前は?」
師匠が店員の声を代弁するかのように尋ねる。
「肉うどんでお願いします。あと、おにぎりも。」
弟子である俺は師匠のこだわりなど気にしていない。丼ものにはせず、うどんを注文する。俺はまだ20代半ばなので、肉が沢山乗ったうどんが好きである。それだけでは多分足りないので、おにぎりも付けた。
師匠はおにぎり、と聞くと少し顔をしかめた。おそらく無意識にだが。
「セットの方は、うどんと蕎麦どちらにいたしますか」
師匠は少し迷ったが、結局はいつも頼んでいるうどんに決めた。俺が、いつもうどんですよ、と口を挟んだからだ。多分、いつも蕎麦だと言ったら、師匠は蕎麦を注文していただろう。少々お待ちください、と注文を復唱した店員が下がっていく。
その後ろ姿をぼんやりと見つめながら、師匠が俺にかける言葉をじっくりと選んでいる。のがわかる。
いつだって師匠はそうだ。俺が失敗したときだって怒鳴って見せるような真似はしない。俺が傷つかない、後ろめたさを感じない、適切な言葉を生み出して、紡いで、完成させてから口に出す。
でもそれがわかってしまうから、俺は申し訳なくて、自己嫌悪に陥ってしまうのだが。
俺と師匠は犯罪者だ。具体的には師匠がほとんど毎日偽札を作り、どこかの店で使う。この時になるべく多くお釣りがでるように支払い、お釣りを収益としているのだ。お釣りは師匠が作ったものが循環していない限り、偽札ではない。
この犯罪を行う上で最も大切なのが、自動決済のレジといった、本格的なレジを置いていない、個人商店を狙うこと。特定されないように、一日の利用者数が多いという条件もいる。これらを満たしていなければ、連続の利用は避けるようにしている。
師匠は自分が作った偽札を、何の躊躇いもなく出す。俺が作った芸術品を受け取れるなんて光栄だ、有難く思え、ということらしい。師匠は一枚一枚、偽札を手描きで作っている。にわかには信じ難いが、本当なのである。
師匠は目の前にあるものを複製するという能力が凄まじく、描く絵も写真のようにできる。俺は偽札なんか作るのを止めて、絵描きにでもなればいいのではと思うのだが、そこは絶対に譲れないことらしい。どこか壊れているのだ、この男は。
一方俺は、偽札を出すことができない。色々考えてしまうからである。店の人のこと、その人の家族の人のこと。
過去に偽札で払ったことは一度だけだ。それ以降、師匠は偽札を使わなかった俺をうどん屋に連れてくるようになった。反省会と称して。そこで毎回、師匠の過去と想いを聞く。そして伝える。俺の考えも。反省会と言いながら、次のことは話さない。
うどん屋を出た後、俺は毎回、次はやると嘘をつく。最初はその言葉を信じていた師匠だが、最近は定例と思い始めたのだろう。わかった、と信じていない口調で答える。
そして次以降も俺は、自分でバイト代としてもらった本物の紙幣で払うのだ。
派遣のバイトでこき使われた報酬としてもらった財産の一部を出すことが苦でない、と言うと嘘になる。一生懸命働いてもらった金だ。自分の趣味のゲームに課金したい、などの願望はある。
でも、だからと言って、師匠がもらったお釣りを使うことは絶対にしない。人の利益を奪うほど、俺は悪に育てられていない。
「お待たせしました、親子丼セットのお客様。」
お互い言葉を一言も発さないでいると、親子丼とうどんが運ばれてきた。
師匠が黙っているので俺は、この人です、と手で示した。店員が師匠の前に親子丼セットを置く。師匠はまだ俺にかける言葉を考えているのだろう、何も言わない。
この人は職人なので、目の前のことに一生懸命になっている。もっとも、全国の職人たちが師匠のように一つのこと以外は手につかなくなるということではないのだが。
「肉うどんのお客様。」
俺の注文したものも、ほどなくして到着した。おにぎりも小皿に乗ってうどんの横に置いてある。巻かれた海苔はまだ湿っておらず、作り立てであることがわかる。一方、うどんの方は、薄切りにした牛肉からでた油が気泡となって、丼の淵にくっついている。
伝票をテーブルの端に置いて、店員が調理場に戻っていく。夜のピーク時の為の仕込みでもするのだろう。店内には俺たち2人が残された。
うつむいた俺は師匠を見ると、師匠はまだ手を付けないつもりらしい。腕を組み直して咳払いをする。
喋りながら食べることは絶対にしないのが師匠なので、食事をする前かした後に話すことになっている。
今回はどっちだろう、と思っていると、師匠が口を開いた。
「いいか。」
はい、と返す。今日は食事の前に話すらしい。
そして、師匠はいつものように昔話をはじめた。いつも飽きずに繰り返す、師匠の昔話を。
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