第39話 魂柱の取り替え

「先生がよく弾いてくれた曲なんです。今まで聞いたことがない不思議な音色だったものですから、これだけははっきり覚えているんです」



彼女は僕たちにその曲を弾いて聴かせてくれた。

 彼女が最後まで弾き終わると、二人分の拍手が客間に響いた。僕にはただただ美しい旋律だなという陳腐でつまらない感想しか思い浮かばなかったけれど、どうやらラフィネさんは違ったようだ。



「先生が私にだけと言って弾き方を教えてくれた曲で、確か曲名は…」



なかなか曲名を思い出せないでいるクロシェットを見て、ラフィネは口を開いた。



「『霧雨』というタイトルでは?」


「ええそうっ、そうですっ。なぜご存知なの?」


「「聴いただけでは弾けないようにしてある魔法の楽曲、私が教えた者にしか弾けない特別な旋律」とオンドさんは仰って、私に今の曲を聴かせてくれたことがありました」


「ラフィネさんはオンド先生とお知り合いなのですか」



彼女の話すオンド先生と依頼主であるオンドさんが同一人物だとわかり、『鈴を転がすような声で笑う可愛い子』が確かにクロシェットさんであると確信した僕らは、彼女にオンドさんから依頼があったことを一から丁寧に説明した。



「申し訳ありませんでした、クロシェットさん。あなたが『鈴を転がすような声で笑う可愛い子』かどうかはっきりさせないことには依頼の詳細などに関してお話しすることができなかったもので」


「決して隠そうとしていたわけではないんです」



ティーカップをテーブルに置いて真剣にラフィネさんの説明を聞いていた彼女は、表情を和らげて微笑んだ。



「お二人に悪気がないことはわかっていますよ」


「こちらがオンドさんからあなたにと依頼され、お作りした作品です」



例の箱をラフィネさんが差し出すと、クロシェットさんは感激した様子で箱を手に取った。



「やはりオンドというのはヴァイオリンの名前ではなく、先生のお名前だったのですね…」



感慨深そうに箱に書かれた差出人の名前を眺めていた彼女は、ふと可笑しそうに笑った。



「『鈴を転がすような声で笑う可愛い子』って、まさか私のこと?」


「そのようです。オンドさんの方もあなたのお名前を知らなかった。互いに名前も知らずにヴァイオリンのレッスンを?」


「ええ、可笑しいですよね本当に」



二人ともそれだけヴァイオリンに夢中だった、ということだろう。



「オンドさんは、君の将来を見据えてこれを作ってほしいと依頼されたのだと思いますよ」



箱を開いた彼女は、中に敷かれた綿の上にそっと乗せられた透明の魂柱をしばし眺めた。



「オンド先生、お久しぶりです。…出来ることならご尊命のうちにお会いしたかったです」



流した涙を素早く拭って鼻をすすった彼女は、魂柱から視線を僕らに向け目を真っ赤にしながら無理矢理微笑んだ。



「早くこの魂柱に取り替えて演奏がしたいです」



微苦笑するクロシェットさん。というのも、彼女がいつもお世話になっているヴァイオリンの修理をしてくれるという工房は本宅のある城下町にあり、今すぐに魂柱を取り替えるというわけにはいかないようだ。



「よろしければ私が今の魂柱とお取り替えいたしましょうか」



意外な申し出に、僕まで驚いてしまう。



「あら驚いた、ラフィネさんはヴァイオリンの修理のご経験がおありなのですか?」


「オンドさんからこの日のために、半ば強引に教えられましてね」



どうやらオンドさんは自分の望みのためなら、かなり強引になる人のようだ。ラフィネさんは腕をまくり、クロシェットさんから彼女の愛用しているヴァイオリンを丁寧に受け取った。

 ラフィネさんに指示されるまま彼の鞄を開くと、魂柱立てという道具が入っていた。最初から魂柱の取り替え作業もするつもりだったのだろう。魂柱立てを取り出して手渡すと、彼は今立てられている魂柱をそっと取り外した。



「失礼ですが、そちらもお渡していただけますか」



クロシェットさんが両手で差し出した箱の中にあるオンドさんの骨で作られた透明な魂柱を、ラフィネさんは注意深く手に取った。それをf字孔からそっとヴァイオリンの内部へと入れると、次は魂柱立てで魂柱の位置を調節していく。

 傍でオンドさんが見張っているのではないかというほど、いつになく真剣で少し緊張感の滲んだ面持ちで作業を進めるラフィネさん。こんな顔もする人だと知ることが出来て、少しだけ得をした気分だ。



「一度弾いてみてもらえますか」



クロシェットさんに弾いて音を確認してもらいながら、魂柱を立てる位置の調節は何度も続いた。魂柱の少しの位置の違いで、ヴァイオリンから奏でられる音色も変わるようだ。僕はヴァイオリンについて無知だけれど、二人の様子を見ていて、とても繊細な楽器だということだけは理解出来た。

 何度目かの調節でやっとしっくりくる音色になったようだ。それまで首を傾げて何度もラフィネさんに調節を頼んでいたクロシェットさんも満足そうに頷き、それを見たラフィネさんもほっとしたように汗を拭っていた。



「ありがとうございます。おかげで今夜の晩餐会にはオンド先生の魂柱の立てられたヴァイオリンを演奏することが出来ます」


「それはよかった」


「オンド先生に直接お礼を言うことは叶いませんでしたが、その代わりに今夜の演奏はヴァイオリンを私に教えてくれた先生へ感謝を込めながら弾きます」



ヴァイオリンを抱きながら喜ぶクロシェットさんを見るラフィネさんもまた、心なしか嬉しそうに見える。

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