第36話 クロシェットへ会いに
翌朝、早速デュボワ宅へ訪問した。するとパトリシアさんが笑顔で出迎えてくれた。クロシェットさんにヴァイオリンの先生についていくつか尋ねたいことがあると用件を伝えると、パトリシアさんはにっこりと微笑んだ。
「クロシェットならシャルロットのアトリエにいると思います、どうぞ入って?」
どうやら今手が離せないようで、パトリシアさんはすぐにキッチンへと向かってしまった。去り際に、シャルロットのアトリエは廊下のつき当たり左手にある階段を下りて画材の香りのする部屋ですと説明を受けた。案内出来ないことを謝罪されたが、こちらほ方がなんだか申し訳なくなってしまう。忙しいところお邪魔してしまって、さらに別荘内を屋敷の主なしで歩き回るなんて。
「物騒ですよ、パトリシア。君が何かで手を離せない時はいつも来客にはこうですか?」
「ふふ、ご心配ありがとうございますラフィネさん。だけどお二人だからですよ」
どうやら僕たちはよほど信用されているらしい。ちょっと心配だけど、信頼してもらえているというのは素直に嬉しかった。
キッチンで忙しなくしているパトリシアさんにお礼を言って、彼女の案内通りに廊下をつき当たりまで進む。途中でいくつも分かれ道があったが、つき当たりに行くまでひたすらまっすぐに進んで行く。
ここが本宅なのではないかと思ってしまうほど別荘内は広かった。前にお邪魔した際に通された自画像の並ぶ廊下の先にも、沢山の部屋や分かれ道があった。
「案内があっても少し気を抜いたら迷子になりそうです…」
「手でも繋いで差し上げましょうか?」
からかわれていることにむっとして、わざとらしく差し出された手をぐっと押し戻した。
「君が本宅を見たらまるでお城だと驚くでしょうね」
先々代よりもっと前からデュボワの人間に依頼されているラフィネさんは、本宅にもお邪魔したことがあるのだろう。確か本宅は城下町にあると言っていたし、きっとどの建物も背が高いのだろう。
僕がもし死ぬまでに城下町に行くことがあったら、必ずしっかりとした地図を持って行かなければ。
「どうやらこの先がアトリエのようですね」
廊下のつき当たりを左に、階段を下りて行くと微かに画材の香りがした。近くにみつけた部屋の扉に直接『シャルロットのアトリエ』と彫られていた。シャルロット自身が掘ったようで、慣れない手つきで掘ったのがわかる味のある文字だった。彫られた文字のくぼみには、ボタニカルな絵柄が描かれて色づけされていてとても可愛らしい。
「ところで、なぜクロシェットさんがシャルロットのアトリエにいるんでしょう」
その理由はすぐにわかった。
ノックすると「どうぞ」と言われたので、扉を押し開けて部屋へと足を踏み入れる。絵具などの独特の香りや鉛筆といった木で出来た画材の香りが広がる部屋の中央には、顔に緑色の絵の具をつけたシャルロットが寝息をたてて眠っている。健やかに眠る彼女の周りはとんでもなく散らかっていた。
「ボンジュール、ラフィネさん。スヴニール君。ごめんなさい、散らかっていて。お履き物が汚れないよう気を付けてください、そこら中に絵の具のついた筆や、濁った水の入ったバケツがありますから」
この様子だと、アトリエの片付けをクロシェットさんが眠ってしまったシャルロット代わりにしているようだ。
「面倒見がいいのですね」
「いえ。それより、ご案内出来なくて申し訳ありません。迷われませんでしたか?」
どこからか声がするけれど、クロシェットさんの姿が見当たらない。
「大丈夫です。それより何だかすみません、お忙しそうな時にお邪魔してしまって…」
「実は今夜お父様の友人を招いた晩餐会がありまして。お母様は晩餐会の準備で忙しいし、それにシャルロットも今日の為に連日絵を描いていたので疲れたんだと思います。今は寝かせてあげたいので、私が代わりに片づけを」
何か作業をしながら返事をしているようで、しっとりとした洋菓子を口に含んでいるかのようなもそもそとした話し方だ。
「クロシェットさんもヴァイオリンの演奏があるのではないですか」
「大丈夫…です、私こう見えて結構…タフだから」
あきらかに、ながら返事だ。そんなに片付けが大変なのだろうか。
晩餐会はクロシェットさんの誰もが虜になるヴァイオリン演奏と、シャルロットの誰もが足を止める絵のお披露目会と言い換えても差し支えなさそうだ。
「デュボワの家では代々行っている通過儀礼ですよ。昔一度だけ強引に誘われたことがあります」
片づけを手伝おうという気持ちが微塵もなさそうな、入り口に佇むラフィネさんを置いて僕はクロシェットさんを探す。
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