第37話 アトリエの片づけ
足元に気をつけながら部屋を探し回りようやっと大きなイーゼルに乗せられたキャンバスの向こうにいた彼女を見つけられた。
「クロシェットさん、もしよかったら部屋の片づけを僕にも手伝わせてくれませんか」
話しかけても返事がない。
彼女が向き合っているのはごく普通の大きさのイーゼルだ。何か描いているのかもしれないと、キャンバスを覗き込むと、震えた手で描いたのかと思うほど波打った線で描かれた何か。
「えっ…」
突如振り返ったクロシェットさんが、僕とキャンバスを交互に見て、みるみるうちに頬を真っ赤に染めた。
「声をかけさせていただいたのですが、お返事がなくて」
「そ、そうだったのね。ごめんなさい」
ぎこちない笑みを浮かべているクロシェットはさりげなくキャンバスを裏返しにした。
「見ちゃった?」
「すみません」
「シャルロットの寝顔が可愛らしかったからちょっと描いてみようと思ったのだけれど…」
「そ、そうだったんですね」
まさかこの波打つ線で描かれた何かがシャルロットだったとは…。見えても個性的な解けた毛糸の絵にしか見えない。
「いいわよ、下手って言って」
苦笑いを浮かべる彼女に、僕も苦笑するしかない。
さっきの絵、まさか人間が描かれているとは微塵も思わなかった。この人は謙遜ではなく、本当に絵の才能は引き継いでいないようだ。失礼な感想過ぎて、とても口にはできないけれど。
「私が絵を描いてたことは内緒にしてね」
「はい」
「お二人はシャルロットに用があって来てくださったのですよね、今起こしますから」
「いえ、あなたに聞きたいことがありまして」
クロシェットがアトリエの入り口に立っているラフィネさんに気がつくと、軽く会釈をした。
「それはごめんなさいね、すぐに片づけを終わらせるから」
「僕にもお手伝いさせてください」
「まあそんな、申し訳ないわ」
「今夜演奏されるんですよね?。二人なら片付けも早く終わりますし、僕たちの用件は少しお時間を頂いてしまうと思います。ヴァイオリンの練習時間を奪いたくないので、是非お手伝いさせてください」
「ありがとう。それなら、お言葉に甘えさせていただこうかしら」
片づけをしながら会話をしていたところ、「今夜シャルロットはこのアトリエにお客様を招いて絵画をご覧になっていただくの」と彼女が言うものだから、僕は慌ててモップ掛けも提案した。床がキャンパスになってしまっていたので、照明が反射する程度には二人でモップ掛けをした。
そうしてクロシェットさんと僕は半刻ほどでシャルロットの散らかったアトリエを綺麗に片づけ終えた。
「ふう…」
「お疲れ様スヴニール君」
「いえ、掃除は慣れていますから。クロシェットさんこそ疲れていませんか?」
演奏前に疲れてしまってはと思い気を遣ったつもりだったけれど
「この程度で疲れていたらヴァイオリンは弾けないわ。それより汚れるのはやっぱり大嫌い」
そう言って汚れたドレスの裾でシャルロットの汚れた頬を拭った。
クロシェットさんはアトリエの真ん中で眠るシャルロットにブランケットをかけてやると、「お待たせしました」と言って僕とラフィネさんに頭を下げた。
「私にご用があると先程スヴニール君から伺いました。客間へ案内しますね、それからすぐに美味しいお紅茶を淹れますから」
そんなお構いなく、と僕が言う前にラフィネさんが目を輝かせた。
「是非その美味しいお紅茶、いただきたいです」
紅茶好きな先生は、片付けも何もしていないじゃないか。
不服そうなスヴニールの考えていることを見透かすように、クロシェットは彼の頭を宥めるように優しく撫でた。
客間に通された僕たちは豪奢な応接用のソファに腰を下ろした。
着替えを済ましたらしいクロシェットさんは、ティーセットを乗せたプレートを持って客間に戻って来た。目の前の低いテーブルに艶やかな赤茶の水面の揺れるティーカップを並べるクロシェットさんにお礼を言い、彼女が席についたところで本題に入った。
「今日お訪ねしたのは、クロシェットさんがヴァイオリンを教わった先生について教えていただきたくて」
「オンド先生のことを?」
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