第11話 先生、ですか

「ここにサインすればいいですか」


「名前は書けるんですね。ええ、そこにお願いします」


「本当に名前くらいですが。字は自力で何とか読めますが書く方は全然で」



契約書を渡すとラフィネさんはサインを確認してから僕に視線を戻した。



「もしこの契約が破られた場合、君が大切に思う人たちに取り立て…るなんて面倒なことはしません。その代わり君の骨をもらいます」



契約を破れば殺すぞ、と柔和な笑みで脅してきたと思えば「冗談ですよ。ふふ、面白いですね」とからかわれた。つかみどころのない人だ。



「でも骨があると助かるのは事実ですね。人の死が関係している以上、好きな時に作品が作れないので」



やっぱり冗談じゃないのか?と身を震わせると、彼は堪えられないといったように声を出して笑い出した。完全に遊ばれている。良い性格をしていらっしゃるようで。



「これは完全に私の趣味と暇つぶしの一環ですが、時々森へ出掛けて動物の死骸を見かけたらそのまま持ち帰って作品を作っています」


「カウンター周りの作品はもしかしてそれで?」



ラフィネさんは首を横に振った。



「あれは人骨です。動物のものは主にアトリエや自室にあります」



依頼主に頼まれた作品は必ずしも遺族が受け取るとは限らないらしい。それに受け取った方が亡くなって作品の引き取り手がいなくなるということもあるそう。



「事情は様々ですが、店には結果的に引き取り手がいない方のものを飾らせていただいています」



そういったこともあると、契約内容にその旨を提示して最初に了承してもらうらしい。

 店に置かれた作品たちのことを思い浮かべる。彼らの人生やその背景を僕は知らないけれど、作品になっても家族の傍にいられない事情があったのだろう。悲しい話だ。

 両親が死んだ時の一人取り残された気持ちを不用意に思い出してしまって、寂しい香りが鼻腔を掠めた。

 食後の珈琲がキッチンからふわりふわりと軽やかに飛んできて、ソーサーとカップを手にしたラフィネさんは珈琲の芳ばしい香りを楽しんでいた。



「あの、依頼人というのは自分の骨を作品にしてほしいと希望する方だけなのでしょうか」


「というと?」



僕の前にも珈琲の入ったソーサーとカップが危なげなくやってきた。他にもミルクと砂糖の入った入れ物も一緒だ。



「例えば幼い子どもを亡くした母親が娘の骨を作品にしてほしいと依頼してきたら、依頼人は娘本人ではなく母親ですよね」



彼はカップを傾け一口飲んでから、それをソーサーに乗せた。



「骨となるご本人でない限りお受けしません。生前に交わした契約通りに仕事をするのが私のポリシーですので」



「それに」と大げさにため息をつき、両手を上に向けて肩をすくめる。



「死人が望んでいなかったらどうするんです?。それこそ牢獄行きですよ」



 彼は何か思い出したようで、もう一枚書類のようなものを差し出してきた。



「これは?」


「国民指紋届です」



この国に住む者はみんな国に指紋を提出しなければならないらしい。永住でなくともこの国に訪れる場合は提出が必須で、魔法使いが国境を越え諜報員として紛れ込むのを警戒して布かれた法令とのことだった。

 同じ国に住んでいるのに、全く知らなかった。貧困層の町に住まう人間は、きっと人間として扱われていないのだ。



「僕の生まれたのは町外れの貧困層の住む場所でしたし、自分で言うのもあれなんのですがあまり人扱いされていないというか…。お国の偉い方からしたら、いないも同然なんでしょう」



自嘲気味に話すと「それはそれは、お気の毒なことですね」と、そんなこと思ってもいない様子で口にした。そんな彼は「一年に一度更新があるんですよ」と眉間に皴を寄せた。面倒なことがさぞ嫌いらしい。

 右手側にある窓、束ねられた重厚感のある長いカーテンがタッセルを解かれて閉じていく。タッセルは蝶々結びになって僕らの頭上を羽ばたくと、壁面に打たれていた釘にとまるように納まった。



「明日の朝六時にまたここへ。朝食を摂ったら開店する九時まで勉強です」


「わかりました。よろしくお願いします先生」



試しにそう呼んでみると、席を立って再びピアノに触れようとしていた彼は意表を突かれたような表情でこちらを振り返った。

 すると柔らかい眼差しで「先生、ですか」と微笑んだ。勉学も作品作りも習う身として適切な呼び方だと思ったけれど、思ったよりも気に入っていただけたようだ。



「今日はベッドでしっかり休みなさい。何かありましたら私はここでピアノを弾いていますから」


「はい。ボンニュイ、ラフィネ先生」


「ボンニュイ」

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