第9話 半魔法使い
弾む足で階下へ下りていると、ピアノの音が聞こえた。
「その曲、イストワールですよね」
「よくご存じですね」
「前に働かせてもらっていたおもちゃ屋で売っていたオルゴールに使われていた曲なんです。良い曲なので僕も一つ頂いて」
「そうですか。…よかったですねアレテ」
愛でるようにピアノに向かって何事かを呟くラフィネさん。
「今何か?」
「いや、食事にしましょうか」
ラフィネさんがピアノの蓋を閉めるのと同時に、ピアノの正面にある長テーブルの燭台に火が灯った。
「かけなさい」
ピアノの椅子から腰を上げた彼はフリルのついたシャツに着替えていて、長い黒髪を下ろし肩に流していた。この人本当は女性なんじゃ…
「その目には辟易や呆れを通り越して、すっかり慣れてしまいました。私は男ですよ、スヴニール君」
少し申し訳なく思いながら席につく。
こんなごちそう食べたことがないしテーブルマナーも知らないから、ラフィネさんの見よう見まねでカトラリーを持ち、やっとの思いで口へ運ぶ。
「自己紹介をしましょう。スヴニール君は私のことが知りたくて仕方がないようなので」
静かにカトラリーを置き、ナプキンで口元を上品に拭うラフィネさん。
「私は骨董品店ロン・ドルミール店長のラフィネです。色々な噂が立っているようですが、私は魔法使いではなく、正しくは半魔法使いです」
半魔法使い。
魔法使いと人間の間の子という意味なのか、それともどんな魔法でも使えるわけではないという意味なのかと色々考えを巡らせていると、「魔法使いと人間の両方の血を引いているということです」と尋ねる前に答えが返って来た。
「では先程の模様替えや燭台の火、昨日アトリエで見た宙に浮いた人と炎も?」
「魔法です。〝半〟なので使える魔法は限られますが」
ワインを口にすると、再び言葉を継いだ。
「ロン・ドルミールでは亡くなった方の骨を使って唯一無二の作品を作ります。骨董品のように少し年季の入った仕上がりになりますし、骨董品の「骨」ともかけてアンティークの店ということにしたんですよ」
温野菜を咀嚼し飲み込んでから疑問に思っていたことを尋ねる。
「言い方はあまりよくないと思うのですが、ラフィネさんの仕事は仕入れにかかるお金がないですよね。けどパトリシアさんの額縁は…」
「高額で取引しましたよ。当然でしょう」
至って真剣にそう話すその訳も説明してくれた。
「パトリシアの一族のように代々私の存在を伝承している人間は稀です。ほとんどの場合依頼主と契約書を生前に結んでいたとしても遺族には憤慨されます」
契約書を結んでいても、その場にいなかった遺族は彼の話を信じられない。どんなに亡くなられた本人の拇印があっても、偽物だと思われてしまうらしい。
「契約で火葬もうちでやることもありますから「勝手に火葬された」とか「人骨で作品を作るなんて気が触れている」と訴えられてしまうことも多々ありますね」
悠々とステーキを切り分けているけれど、とんでもないことをこの人はさらっと言ってのけている。
「それでいつもどうなさっているんですか」
「お国の人が来て事情を聞かれます。大体は契約書の拇印と国が管理している国民指紋届が一致するのでそれで解決します」
「ああでも」とラフィネさんは可笑しそうに笑った。
「一度だけ捕まってしまったことはありますよ」
え。
思わずフォークで口へ運んでいた野菜を皿へ落としてしまう。
「依頼人が契約書へ拇印を押した際、指に怪我か何か負っていたんでしょう。それで国民指紋届の指紋と一致しなかったんです。とっても優秀な方のおかげですぐに牢獄から出してもらえましたが」
皮肉たっぷりな言い方だ。きっとなかなか出してもらえなかったのだろう。
「八十年ほどで」
それを聞いて思わず咽る。
「は、八十年ッ?」
「ええ。まあ…もう数百年も前の話ですが」
八十年だってこの国の平均寿命よりもずっと長いのに、今から数百年前の出来事だって?
「貴方一体何年生きてるんですか」
ラフィネさんは僕の反応が思った通りだったようで、口元に手を近づけ笑っている。
「いいですかスヴニール君。人間の命は有限、魔法使いは無限です」
「ではラフィネさんは…」
半分有限で半分無限?。ん、どういうことだろう。
「不細工な顔になっていますよ。簡潔に言えば不老自死といったところでしょうか」
「不老自死、ですか」
「年は取らない、けれど死は自ら望めば得られるということです」
魔法使いは死にたくても死ねない憐れな生き物、人間はいつ訪れるかわからない死に怯える可哀想な生き物。彼はそう言った。
不老不死や不老自死について、今まで考えたこともなかった。でも、終わりがあることは悲しいことで、だけど終わりがあるからこそ命が尊くかけがえのないものに思えるんじゃないかと思う。
だけどそれは僕が人間だからそう思うのであって、もし僕が魔法使いとして生まれていたら違う考えを持っていたのかな。
「私の話はこれくらいにして、今度はスヴニール君の話を聞かせてください」
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