第3話 馬車の修理

 スヴニールは生まれて初めて列車に乗り、生まれ育った町を出た。

 早く大人にならなければと常に気を張っている彼も、まだほんの十歳の子ども。不意に焦燥感に襲われ、流れていく景色を眺めながら不安に押しつぶされそうになる心を必死に鼓舞していた。

 しっかりしなければ。

 誰かに甘えてはいけない。

 けれど早くに両親を亡くしたスヴニールはそうせざるを得ず、そんな彼を見た周囲の大人も彼を「頼れるしっかり者だ」と褒めるばかり。それはかえってスヴニールを苦しめ、彼は弱音を吐くことを罪だと感じるようになっていった。しっかりしなければと背伸びをする自分が褒められるならば、きっと年相応に無邪気でわがままを言うのは孤児として褒められたことではないのだ、と。

 同年代の子どもと遊ぶ経験すらろくにないまま働き始めたせいで、お客の言うことを優先しているうちに自分の気持ちを口にすることが極端に少ない子どもになってしまっていた。



「大丈夫」



そう自分に言い聞かせながら拳を強く握る。

 寂れた町を越えると大自然が広がっていて、見たことのない町が見えてくると少しずつ不安が期待へと変わり、スヴニールの表情を明るくした。



―――――



 夜間列車へと乗り継ぎ、うとうとするだけであまり眠れぬまま朝を迎えた。



「次で下車すればいいのか」



列車での長旅も終わり。さあ歩いてロン・ドルミールへ向かうぞと両頬を叩き気合を入れる。

 駅を出るとモルガンおじさんにもらった地図があまりにも古いことを知り、早速道がわからなくなった。

 誰かに尋ねようと辺りをきょろきょろと見回していると、喪服に身を包んだご婦人が頬に手を当て困ったように立ち尽くしていた。



「ボンジュール。どうかなさったんですか」



婦人は深いため息をつき、目を伏せた。



「実は…父を運ぶための馬車の車輪が壊れてしまってね」



豪華な棺を乗せた馬車が路肩に止まっているけれど、これが彼女の馬車らしい。自分の馬車を持っている人がこの町にはいるのか。



「今から別の馬車を手配するとなると、日没に間に合わなくて…」


「日没、ですか」


「ええ。父は夕日を見るのが好きで。火葬の前に見せてあげたかったのだけれど…諦めるしかないわね」



ご婦人は眉尻を下げ微苦笑した。

 どうにか力になれないかと思案していると、ふと廃れたがらくた置き場に目が留まった。あれは使えそうだと、そこから金属片をいくつか取ってくる。



「よかったらその車輪、僕に直させてもらえませんか」


「え?、ええ」



馬を刺激しないように、まず彼らへ挨拶をする。言葉はわからなくても、こうすることでこちらに敵意がないことはわかってくれるはずだ。初対面の僕に馬が慣れてきてくれたところで、彼らの足元――馬車の前輪の前にそっと座り込む。

 見たところ車輪は錆びていないし、単にガタついているだけだ。先月おもちゃで同じようなガタつきを直したことがあったから、同じ要領で金属片を工具の代わりに一度車輪を外す。

 絡まった牧草や挟まっている小石を丁寧に取り除き、流石にがらくた置き場にもボロ布は捨てられていなかったので自分の服の裾で車輪の汚れを拭き取る。車輪には所々宝石がはめ込まれていて、大きめのそれが何かの拍子で外れて挟まったのが最大の原因だったのだろう。

 最後に綺麗な袖部分でもう一度綺麗に磨いてやってから車輪を元のように取りつけると上手く回った。



「まあ凄い、直ったわ。メルシィー…ええっと、お名前を伺ってもいいかしら」


「これくらい大したことないですから」



そう言って去ろうとしてもどうしても名前を聞きたいと引かない彼女に結局折れて名乗ることにした。



「僕はスヴニールと言います」


「いいお名前ね。私はパトリシアです。お礼に何か」


「いえ、どうかお気になさらず」


「そういうわけにはいきませんわ。父にも怒られてしまいます。見たところ地図をお持ちね、今からどこかへ?」



はっとして遠慮がちにロン・ドルミールへの行き方を尋ねると、彼女はにっこりと笑った。



「これから向かう火葬場はロン・ドルミールへ行く途中のソレイユ・クシャン・コリーヌという丘にあるの。よかったら乗って行って?」


「でも…」



服の汚れを気にすると、パトリシアさんは白いレースのハンカチで汚れを取ろうとしてくれた。



「同乗すると私のドレスが汚れると思って気を遣ってくれたのね。でもいいのよ。この汚れは私があなたにつけさせてしまったようなものだし。むしろ謝らないといけませんね」



素敵なハンカチが汚れるからと身を離そうとしたが「いいから」と言われてしまい、それ以上断れなくなってしまった。

 口の周りに着いた食事の汚れを優しく拭ってくれた母親に少し似ているな、と不意に感傷的になってしまう。

 汚れが完全に落ちることはなく、町で新しい服をと提案されたがそれは全力で断った。ただ手助けしたかっただけなのに、これじゃあ僕が得したくて声をかけたみたいになってしまう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る